第9話:聖女の戦慄と、天界の特等席
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【セリア視点】
王都にそびえ立つ、神聖教会の総本山。
ステンドグラスから差し込む荘厳な光が、大理石の床を神聖に照らし出している。
いつもならば、この光を浴びるだけで心が洗われるような安らぎを感じるはずでした。
しかし今の私は、その光にすら過敏に反応し、ガタガタと肩を震わせていました。
「……セリアよ。その泥と汚泥にまみれた姿は、一体どうしたというのですか」
玉座に腰掛ける大司教様が、私のボロボロの法衣を見て眉をひそめました。
私は王都に帰り着くや否や、身を清める暇も惜しんで大司教様の元へ直行したのです。
あの恐ろしい体験を、一刻も早く報告しなければならないという使命感、ただそれだけでここまで走り抜けてきました。
「大司教様……。ご報告、いたします。あの辺境に現れた迷宮は……私たちが想定していたような、魔物の巣窟などではありませんでした」
私は乾いた唇を震わせながら、搾り出すように言葉を紡ぎました。
思い出すだけで、呼吸が浅くなり、視界が暗く歪むような錯覚に陥ります。
「魔物ではない? では、あの迷宮に潜む魔王とは何者なのですか。強大な悪魔ですか、それとも邪竜の類ですか」
「いえ……あれは……『光と音を憎む、絶対静寂の虚無』です」
私の言葉に、大司教様をはじめ、周囲に控えていた高位神官たちがざわめきました。
「虚無、だと?」
「はい。迷宮には、罠も魔物も一切存在しませんでした。しかし、私が浄化の光を放ち、同行していた少年が声を上げた瞬間……迷宮の主は、明確な『殺意』ではなく、徹底的な『排除と消滅』の意思を向けてきたのです」
私は自分の体を抱きしめ、恐怖に耐えながら報告を続けました。
「神聖なる光は巨大な黒い物体に飲み込まれ、私は泥水に引きずり込まれました。そして無数のスライムが、私の口と耳を完全に塞ぎ……光を奪い、音を奪い、存在そのものを『無』に帰そうとしたのです」
「なんと……。神の光を真っ向から否定するとは……」
「あの迷宮の主は、生命の営みそのものを許さないのでしょう。息づかい、足音、祈りの声……あらゆる『生』の証を嫌悪し、ただ完全なる静寂と暗闇だけを渇望する、最悪の概念……っ!」
涙がポロポロとこぼれ落ち、大理石の床を濡らします。
私は泥水の中で感じた、あの途方もない「拒絶」の意志を忘れることができません。
「大司教様! あの迷宮を放置すれば、やがてあの絶対の静寂は迷宮の外へ溢れ出し、世界から全ての音と光を奪い去ってしまうでしょう! そうなる前に、教会と王国の総力を挙げて、あの虚無を討ち祓わねばなりません!」
私の必死の訴えは、静まり返った大聖堂に重く響き渡りました。
大司教様は深く息を吐き、手元の十字架を強く握りしめました。
「……相分かった。神の光を飲み込む闇の根源。これを放置することは、我ら教会の威信、ひいては人類の存亡に関わる重大事」
大司教様が立ち上がり、厳かに宣言します。
「直ちに国王陛下に奏上し、王国最強の騎士団による『聖戦』の布告を要請します。あの忌まわしき迷宮を、光の海に沈めなさい!」
神官たちが一斉に祈りの言葉を唱和します。
人類と、見えざる絶対静寂の魔王との、全面戦争が決定した瞬間でした。
……私は祈りました。
どうか、神の加護があらんことを。
あの理不尽なまでの闇と無音の暴力に、私たちの光が届くことを。
【神様視点】
「ひぃーっ、ひゃはははははっ!! 傑作! もうダメ、腹痛いっ!」
天界のVIP専用ラウンジ。
ふかふかの雲のソファに寝転がりながら、僕は持っていた特大サイズのポップコーンを派手に撒き散らして爆笑していた。
目の前の巨大モニターには、教会で涙ながらに「絶対静寂の虚無」について熱弁を振るう聖女セリアの姿が映し出されている。
「ちょっと君、笑いすぎだよ。ポップコーンがこっちに飛んできてるじゃないか」
隣の席で優雅に紅茶を飲んでいた『農神』が、迷惑そうに顔をしかめた。
「だってさぁ、見てよこれ! 凛ちゃん、ただ『眩しいから』『うるさいから』って理由で、スポンジと泥水で目隠しと耳栓しただけなんだよ? それが『光と音を憎む絶対静寂の虚無』だって! 最高の勘違いエンターテインメントじゃないか!」
僕は笑い涙を指で拭いながら、モニターを指差した。
「おまけに王国軍と合同で『聖戦』だってさ! 何も知らないで玉座のベッドで爆睡してる元社畜の女の子相手に、国を挙げての大討伐隊が組まれようとしてるんだぜ? こんな面白い展開、何百年ぶりだろう!」
「君の担当する転生者は、相変わらず極端というか……規格外だな」
逆側の席に座っていた『闘神』が、呆れたように溜息をついた。
「初期ポイントを執事と枕に全振りするなんて正気の沙汰じゃないと思ったが……まさか、それが巡り巡って世界最大の脅威(S級災害指定)として扱われることになるとは」
「でしょでしょ? 凛ちゃんの『働きたくない』『寝ていたい』っていう執念が、有能すぎる執事・影山の『超解釈』と化学反応を起こして、とんでもないタワーディフェンスを生み出してるんだ」
僕はモニターのチャンネルを切り替えた。
画面には、ダンジョンの最深部で、寝起きのボサボサ頭のまま、執事に無理やりラジオ体操をさせられている凛の姿が映った。
『いち、に、さん、し! あぁもう、なんで私がこんなこと……!』
『主様、もう少し腕をしっかり伸ばしてください。王国軍の襲来に備え、さらなる防音設備の拡張には膨大なポイントが必要です』
『もう嫌だぁぁぁ! 私はただ、静かに寝たいだけなのにぃぃぃ!』
悲痛な叫びを上げながら、必死に有酸素運動(ポイント稼ぎ)に励む迷宮主。
「ほら見てよ、世界最大の脅威(魔王)の本来の姿を。寝るために泣きながら体操してるんだぜ?」
「……なんというか、不憫になってきたな」
農神が、少しだけ同情の籠もった目を向けた。
「いやいや、ここからが本番だよ。教会と王国騎士団が本気で攻めてくるってことは、数千人規模の軍勢と、大魔法の雨霰が迷宮に降り注ぐってことだ。当然、ものすごい『騒音』と『振動』が発生する」
僕はニヤリと悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「凛ちゃんのURベッドは、一定以上の騒音や振動を『生命の危機』と判定して、強制脱出モード(時速二百キロの暴走)に移行する設定になってる。つまり、王国軍の音を完全にシャットアウトできないと、凛ちゃんはベッドの上でミンチになるってわけさ」
「……君、本当に性格が悪いな」
「神様は娯楽に飢えてるからね! さあ凛ちゃん、君の愛する『静寂』を、国軍相手に死守できるかな? 最高のクライマックスを、特等席で見せてもらうよ!」
僕は新しくポップコーンを補充し、目を輝かせてモニターにかじりついた。
勘違いから始まった「絶対静寂の魔王」と「光の聖戦軍」の、史上最も不毛で壮大な戦いが、いよいよ幕を開けようとしていた。
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