第8話:【聖女視点】理不尽なる闇と、絶対防音の恐怖
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私の名前はセリア。
神聖教会の本部に所属し、若くして『聖女』の称号を賜った、神の光を代行する者です。
数日前、辺境の村の近くに不可解な迷宮が出現したという報告が教会にもたらされました。
魔物はおろか、物理的な罠さえ一切ない。
ただ、足を踏み入れた者の声と音を奪い、精神を破壊して全裸で放り出すという、極めて悪質で高度な呪いの迷宮。
しかも、そこに「レオン」という名の、無謀で命知らずな勇者志願者の少年が、毎日単独で突撃を繰り返しているというではありませんか。
『このままでは、あの少年は呪いに心を食い破られてしまいます。セリアよ、あなたの浄化の光で迷宮の闇を払い、少年を保護してきなさい』
大司教様からの命を受け、私は急ぎこの辺境の地へと赴きました。
そして今、私はその呪われた迷宮の入り口に立っています。
「浄化の光よ! 邪悪なる闇の迷宮を照らし出しなさい!」
私が錫杖を掲げると、神聖な光が迷宮の入り口を覆っていた不気味なスライムのような泥濘を、跡形もなく消し去りました。
なんて悍ましい邪気。
入り口の時点で、これほど高度な魔法生物が配置されているなんて。
この奥には、間違いなく人類の脅威となる大魔王か、高位の悪魔が潜んでいるはずです。
私が緊張に息を呑んだ、その時でした。
「おい! 誰が手伝えと言った、教会の女!」
保護対象であるはずの少年、レオンが、私に向かって剣を突きつけて怒鳴り込んできたのです。
「……え? 私は、この恐ろしい呪いの迷宮に単身で挑むあなたを助けるために、わざわざ王都から……」
「ふざけるな! 俺は未来の勇者だ! 強大な魔王を前にして、多人数で押し寄せるなど騎士道に反する!」
私は自分の耳を疑いました。
多人数で押し寄せるなど卑怯?
相手は人間の道理など一切通じない、常軌を逸したバケモノですよ!?
「なっ……!? あなた、馬鹿なのですか!? この迷宮の異常な魔力溜まりを感じないのですか! 一人で挑むなど、ただの自殺行為――」
「うるさァァァァァい!! 俺の戦いに水を差すなァァァァァ!!」
レオンの常識外れの大声が、迷宮の奥深くへと響き渡りました。
なんて声量なのでしょう。これでは、奥に潜む魔王を完全に怒らせてしまいます。
私が彼を窘めようと口を開きかけた、まさにその瞬間でした。
――ゾワッ。
全身の産毛が逆立つような、圧倒的なまでの『死の気配』が、迷宮の最深部から膨れ上がったのです。
「……来ます!」
私はとっさに防御結界を展開しようとしました。
しかし。
迷宮の奥から放たれた『悪意』は、レオンではなく、なぜか私だけを正確にロックオンしていました。
「え……?」
頭上から、ドサッ! という重い音と共に、巨大な黒い物体が降ってきました。
それは、異常なまでの吸音性と遮光性を持った、分厚い『スポンジの塊』のようなものでした。
「きゃあっ!?」
私はその巨大な黒いスポンジに押し潰され、地面に倒れ込みました。
光が、完全に遮断されます。
私が放っていた浄化の光も、この不気味な素材の前では無力化され、暗闇に飲み込まれてしまいました。
「な、なんなのですかこれは!? 魔王の新しい罠ですか!?」
私がもがいていると、スポンジの隙間から、レオンの能天気な怒声が聞こえてきました。
「おい魔王! 俺という勇者が目の前にいるのに、なぜその女だけを狙う! 俺以外の者を狙うとは卑怯だぞ! 正々堂々と俺と勝負しろォォォォッ!!」
彼は私を助けるどころか、自分を無視されたことに腹を立てて叫んでいます。
もう、本当に何なのこの少年は。
しかし、迷宮の主はレオンの挑発など一切無視し、私に対するピンポイントの嫌がらせを激化させました。
ズズズズズッ……!
床が突然開き、私の体はスポンジに包まれたまま、泥水のようなものが張られた落とし穴へと転落しました。
「ひぃっ!? 冷たい! 臭い! なんで私だけ!?」
私の美しい純白の法衣が、泥まみれになっていきます。
さらに、穴の壁面から無数の黒いスライムが這い出し、私の口と耳を塞ぐように張り付いてきました。
声を出すな。
光を出すな。
ただひたすらに、私の存在そのものを『消音』し、『遮光』しようとする、徹底した意思を感じます。
(なぜ……なぜ私だけが、こんなにも激しい憎悪を向けられているのですか……!)
私は暗闇と泥水の中で、恐怖に打ち震えました。
浄化の光を放ったことが、魔王の逆鱗に触れたのでしょうか。
それとも、この迷宮の主は、光や音という概念そのものを憎む、純粋な『虚無』の化身なのでしょうか。
「む、むーっ!(助けて、レオンさん!)」
口を塞がれた私は、必死にレオンに助けを求めようとしました。
しかし、その思いが届く前に。
ドゴォォォォン!!
見えない巨大な衝撃波が、穴の上から撃ち下ろされました。
私はスポンジと泥水ごと、その衝撃波に巻き込まれました。
「あ、あああ……」
強烈な風圧で体が宙に浮き上がり、私はレオンと共に、迷宮の入り口から大砲の弾のように外へと撃ち出されました。
気がつけば、私は森の木々に引っかかり、泥とスライムまみれで逆さ吊りになっていました。
少し離れた地面には、相変わらず無傷のレオンが大の字で倒れています。
「……おのれぇ、魔王めぇ。今日は女が邪魔をしたせいで負けたが、明日は必ず……」
彼はそんな寝言のようなことを言いながら、気絶していました。
「……っ、……っ」
私は逆さ吊りのまま、声にならない嗚咽を漏らしました。
怖い。
恐ろしい。
あの迷宮の奥には、絶対に触れてはならない、人間の理解を超えた理不尽な恐怖が潜んでいます。
光と音を憎み、ただ絶対的な静寂のみを渇望する、最悪のバケモノが。
「大司教様……申し訳ありません。あそこは、聖女の光など届かない、完全なる闇の領域です……」
私は泥まみれの顔で涙を流しながら、王都へ撤退する決意を固めました。
あの見えざる魔王の真の恐ろしさを、一刻も早く教会に報告しなければならない。
ただ『眩しいから』『うるさいから』という、極めて個人的で怠惰な理由で自分が排斥されたなどとは、この時の私は夢にも思っていなかったのでした。
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