第30話:偽りの奇跡と、回し車の魔王
「……はぁっ! ……はぁっ! か、影山ぁっ! まだ……まだなの!?」
地下第一層『静寂の岩窟』に、私の悲痛な叫び声が響き渡る。
私は今、UR至高の安眠ベッドのすぐ脇に設置された、巨大なハムスター用の回し車のような魔導器具の中を、必死の形相で走り続けていた。
「ペースが落ちておりますよ、主様。現在の獲得ダンジョンポイントは四百八十。目標の五百ポイントまで、あと少しです。さあ、太ももを高く上げて!」
冷徹な教官と化した影山が、ストップウォッチ片手に無慈悲な檄を飛ばす。
なぜ、引きこもりを誓った魔王である私が、こんな汗だくになって有酸素運動をしているのか。
すべては、人間たちから『至高の安眠供物』を継続的に搾取……もとい、提供していただくための、壮大な偽装工作のためである。
人間たちは現金だ。
ただ迷宮の奥で惰眠を貪っているだけの存在に、いつまでも最高級の食材を貢ぎ続けるほど、お人好しではない。
彼らの畏怖と信仰を繋ぎ止めるためには、「魔王は我々を見守り、大いなる恩恵を与えてくれている」と錯覚させる『奇跡』を、定期的に演出してやらねばならないのだ。
そして、その『奇跡』を起こすためのシステム稼働には、ダンジョンポイントが必要となる。
魔力ポイントが枯渇している現在、ポイントを稼ぐ手段は、マスターである私自身の肉体労働による自家発電しか残されていなかった。
「……ああっ! もう足が! 足がもつれるぅっ!」
「主様、本日の供物は、王都でも幻とされる『白銀の果実』をふんだんに使用した、特製の極上フルーツタルトとの情報が入っております。甘く、とろけるような果肉……。サクサクの生地……」
「……うおおおおおっ! タルトぉぉぉぉっ!!」
食欲という名の悪魔に魂を売り渡した私は、最後の気力を振り絞って猛ダッシュを敢行した。
『ピローン♪ 規定ポイントに到達しました』
無機質な電子音が鳴り響いた瞬間、私は回し車から転げ落ち、冷たい石畳の上に大の字になって倒れ込んだ。
「はぁ……はぁ……。死ぬ……。スローライフって、もっとこう……怠惰で、優雅なものじゃなかったの……?」
「お疲れ様でございます、主様。見事なラストスパートでした。これで本日の『奇跡』の準備は完了です。……おや、ちょうど聖女一行が入り口に到着したようですね」
影山が手元のコンソールを操作すると、枕元のモニターに地上の映像が映し出された。
迷宮の入り口には、純白の法衣をまとった聖女と、供物を入れた巨大な魔法容器を厳重に護衛する騎士たちの姿があった。
彼らの顔には、底知れぬ魔王に対する恐怖と、深い敬意が入り混じっている。
「偉大なる魔王様。本日も、我がラーメン王国より、ささやかながら安眠の供物をお持ちいたしました」
聖女が深くひざまずき、祈りの言葉を紡ぐ。
「我々は、あなた様の御心に従い、無益な争いを避け、ただひたすらに静寂と平和を重んじております。どうか、この供物をお納めください」
「よし、影山。奇跡のスイッチ、オン!」
「御意」
私がゼェゼェと息を切らしながら指示を出すと、影山が迷宮の環境制御システムを起動した。
モニターの中で、聖女たちの足元から、淡いエメラルドグリーンの光が波紋のように広がっていく。
荒涼としていた迷宮周辺の岩肌が、光に触れた瞬間に柔らかな土へと変質し、そこから芽吹いた植物があっという間に成長して花を咲かせた。
「な、なんだこれは……!?」
「見ろ! これは……万病に効くとされる伝説の『星詠みの薬草』だ! それが、こんな一面に……!」
護衛の騎士たちが、足元に広がる光り輝く花畑を見て、信じられないというように声を震わせた。
それこそが、私が五百ポイントを消費して発動させた奇跡『局地的一時的植生変化(効果時間二十四時間)』である。
聖女は、咲き誇る薬草の香りを胸いっぱいに吸い込み、両目から滝のように涙を流した。
「ああ……。なんという、なんという慈悲深き奇跡……! 魔王様は、我々の誠意を認め、この枯れた大地に生命の祝福を与えてくださったのだわ!」
聖女は地面に額を擦り付けんばかりに平伏し、騎士たちも一斉にそれに倣った。
「魔王様、万歳! 魔王様、万歳!」
迷宮の入り口に、狂信的とも言える歓喜の合唱が響き渡る。
これでいい。
彼らは、たったこれだけの演出で、自分たちの供物が「奇跡」という形で報われたと信じ込み、明日もまた極上の食事を運んできてくれるだろう。
「……ふふっ、ちょろい。人間なんて、エフェクトと薬草ちょっと生やすだけで大喜びね……」
私は、全身の筋肉痛に悶絶しながらも、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「主様、供物の転送が完了いたしました。さあ、冷めない……いえ、ぬるくならないうちにお召し上がりください」
テーブルの上に、宝石箱のように美しい極上フルーツタルトが現れる。
私は震える腕を懸命に持ち上げ、フォークを突き刺した。
「……美味しい……。甘さと酸味が、疲れた体に染み渡る……。生きててよかった……」
一口食べるごとに、先ほどまでの地獄の苦しみが昇華されていく。
この至高の味を堪能するためなら、悪魔に魂を売ってもいい。
「お気に召したようで何よりです。……さて主様。明日の供物は、最高級の『飛竜の霜降り肉のロースト』の予定です。奇跡の演出には、本日と同じく五百ポイントが必要となります」
影山が、再びストップウォッチを取り出しながら、悪魔の微笑みを浮かべた。
「それでは、食後の運動と参りましょうか。本日はあと五百ポイント、稼いでいただきますよ」
「……嘘でしょ?」
私の手から、フォークが乾いた音を立てて滑り落ちた。
至高の安眠ライフを守るための戦いは、まだ始まったばかりである。




