第27話:聖女の決断と、至高の安眠供物
私は、王都へと続く街道を、夢遊病者のようにふらふらと歩いていた。
昨日の惨劇は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
国王陛下が発案された「大騒音パレード」。
それは、恐るべき魔王に対して、ラーメン王国の底抜けの明るさと誠意を示すための、決死の平和交渉のはずだった。
私は先頭に立ち、祈りを込めて迷宮への歩みを進めた。
しかし、我々が迷宮の境界に足を踏み入れた瞬間、ダンジョンの奥底から、言語を絶するような「得体の知れない波動」が放たれたのだ。
それは明確な殺意でも、残酷な破壊衝動でもなかった。
強いて言葉にするなら、途方もなく巨大な「拒絶」の念だった。
その波動に触れた瞬間、王立合唱団の歌声は喉の奥で凍りつき、百面の大太鼓は音もなく内側から崩壊して、細かい木屑となって宙に舞った。
物理法則を完全に無視したその圧倒的な現象を前に、我々は悟った。
魔王とは、我々人間の理解が遠く及ばない、次元の違う存在なのだと。
浅薄なパレードでの交渉など不可能であり、我々はただ、あの恐るべき闇が世界を飲み込む日を、怯えながら待つしかない。
国を救う手立てを失った私は、絶望の淵に突き落とされ、せめてもの贖罪として、もう一度あの迷宮の入り口へと向かった。
そこで私が見たのは、いつものように騒ぎ立てる愚かな勇者候補、レオンの姿だった。
彼が入り口で焚き火を起こし、悠長に昼食を作っているのを見た時、私は彼をひどく哀れに思った。
あのような圧倒的な力を持つ魔王に、人間の剣や魔法が通じるはずがないのに。
だが、彼の口から飛び出した言葉が、私の運命を大きく変えた。
『さっきあの魔王め、腹が減ったから俺の飯を寄越せって泣きついてきやがったんだ』
魔王が、食事を求めている。
その事実が、凍りついていた私の心に一筋の強烈な光を差し込んだ。
食事とは、生命の営みそのものである。
全てを超越した悪意の塊だと思っていた魔王が、人間と同じように空腹を感じ、あまつさえ人間が作るシチューの匂いに惹かれたというのだ。
さらに、迷宮の奥から響いた魔王自身の言葉が、私にすべてを理解させた。
『私、別に世界を支配するとか、人間を滅ぼすとか、そんなのどうでもいいのよ! 毎日フカフカのベッドで、誰にも邪魔されずに静かに眠りたいだけなの!』
私はその言葉を聞き、気づけば涙が溢れていた。
ああ、なんという慈悲深きお方だろうか。
魔王様は、世界を滅ぼすほどの規格外の力を持っていながら、ただ「静かな安息」だけを求めて迷宮に籠もられていたのだ。
それなのに、我々人間はどうだ。
討伐部隊を送り込み、勇者候補が毎日入り口で喚き散らし、あまつさえ軍隊を率いて大騒音のパレードまで強行してしまった。
昨日のあの恐ろしい「拒絶の波動」は、我々の無礼な騒音に対する、至極当然の罰だったのだ。
魔王様は怒っていたのではない。
ただ、度重なる騒音によって眠りを妨げられ、困惑していらっしゃっただけだった。
その真実に気づいた瞬間、私の中で、聖女としての使命という名の炎が激しく燃え上がった。
王都へ帰還した私は、直ちに国王陛下への謁見を求めた。
玉座の間には、昨日のパレードで心を折られ、すっかり老け込んでしまったバリカタ十四世の姿があった。
「おお、聖女よ……。其方も無事であったか。もはや我が国に、あの魔王を止める手立ては残されておらん……」
「いいえ、陛下。希望はございます」
私がきっぱりとそう告げると、玉座の間にいた全ての大臣たちが驚きの声を上げた。
「魔王様は、争いを望んではおられません。ただ、静かな眠りを求めているのです。そして……」
私は一呼吸置き、力強く宣言した。
「魔王様は今、大変お腹を空かせていらっしゃいます。我々が為すべきことは、討伐でも騒音パレードでもありません。国を挙げて『至高の供物』を用意し、魔王様に捧げることなのです!」
最初は半信半疑だった国王や大臣たちも、私の熱意と、魔王の言葉の真意を聞いて、次第に顔色を変えていった。
「なるほど……。力で敵わぬ相手には、胃袋を掴めという昔の格言もある。よし、直ちに王宮の料理長を呼べ! 国中の最高級食材を集めるのだ!」
バリカタ十四世の号令のもと、王都はかつてない活気に包まれた。
私は王宮の厨房に立ち、自ら料理人たちに采配を振るった。
魔王様が求めているのは「静かな眠り」。
ならば、供物はただ美味しいだけでは足りない。
心身を温め、深いリラックス効果をもたらし、極上の安眠へと誘うための料理でなくてはならない。
「香草は、南の森で採れる『月明かりのミント』を使いなさい! 神経を鎮める効果が最も高いはずです!」
「肉は、北の山脈で育った『幻影牛』の最も柔らかい部位を! スープは一晩かけて徹底的にアクを取り、透明になるまで澄ませるのです!」
私は聖女としての祈りを込めながら、食材の一つ一つを丁寧に下ごしらえした。
勇者候補レオンの作った粗末なシチューなど、ただ空腹を満たすだけの野蛮な食事にすぎない。
魔王様ほどの高貴な存在には、国の威信を懸けた、最高峰の料理こそがふさわしい。
料理長たちと共に徹夜で作業を続け、やがて夜明けの光が厨房に差し込む頃、ついにその「至高の安眠供物」が完成した。
黄金色に輝くコンソメスープは、宝石のように澄み切っている。
その中には、口に含んだ瞬間に溶ける幻影牛の肉と、優しく胃を温める新鮮な野菜が美しく盛り付けられていた。
そして何より、湯気と共に立ち昇る香草の香りが、嗅ぐ者すべての心を穏やかにし、心地よい微睡みへと誘う力を持っていた。
「完成しました……。これならば、必ずや魔王様にご満足いただけるはずです」
私は、スープを冷めないように特製の魔法保温容器に収めると、深く一礼した。
私は今日、再びあの辺境の迷宮へと向かう。
愚かな勇者候補の妨害など、もう許さない。
私は聖女として、いや、魔王様の真の理解者として、この至高の供物を必ずやお届けするのだ。
誰にも邪魔されない、完璧な静寂と眠り。
それをお守りすることこそが、ラーメン王国が生き残るための、唯一の道なのだから。
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