第25話:究極の深夜飯テロと、魔王の凄絶なる葛藤
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「……んん……?」
私は、深い眠りの底から、強烈なフックを顎に食らったような感覚で意識を浮上させられた。
音ではない。
振動でもない。
それは、私の前世の記憶――残業明けの深夜、疲れ切った胃袋を暴力的に満たしてくれた、あの『背徳の香り』だった。
「……なに、この匂い。すごく……ニンニクと、濃厚な豚骨の……」
私はモコを抱きしめたまま、寝ぼけ眼をこすって身を起こした。
そして、暗がりの岩窟の床、私の目の前に置かれた『それ』を見て、完全に硬直した。
漆黒のどんぶり。
その中には、黄金色に輝く濃厚なスープ、山盛りのもやしとネギ、そして、見るからにトロトロの極厚チャーシューが乗った、湯気を立てる『特製ラーメン』が鎮座していた。
「……は?」
なぜ、異世界の地下ダンジョンに、出来立てホヤホヤのラーメンがあるのか。
夢か? これは安眠の精霊が見せている幻覚なのか?
私が混乱していると、背後の暗がりから、スッと影山が姿を現した。
「お目覚めですか、主様。どうやらラーメン王国の隠密部隊が、音もなく潜入し、これを『供物』として置いていったようです」
「い、隠密!? 侵入されてたの!? なんで防がなかったのよ!」
「彼らは完全に音を消しておりましたし、攻撃の意思もありませんでした。何より、主様がこの『深夜の高カロリー爆弾』を前にして、どのような反応(ポイント生成)を示すのか、わたくし自身が興味がありまして」
影山が、タブレットを構えながらニヤリと笑った。
「あんた、本当に悪魔ね……っ!」
私は影山を睨みつけたが、すぐに私の視線はどんぶりへと吸い込まれてしまった。
グゥゥゥゥ……。
私のお腹が、静寂の岩窟に響き渡るほどの大音量で鳴った。
美味そうだ。信じられないほど美味そうだ。
前世の社畜時代、この匂いに何度救われたことか。一口スープをすすれば、きっと脳髄がとろけるような多幸感に包まれるに違いない。
だが。
「(だ、だめよ! 今は深夜よ! こんな時間にこんな暴力的なカロリーの塊を食べたら、明日の朝、胃もたれで最悪の目覚めになるわ!)」
私は必死で自分を戒めた。
私の目的は『究極の安眠』だ。
寝る直前のドカ食いは、睡眠の質を著しく低下させる。消化器官が働き続け、深い眠り(ノンレム睡眠)を妨害するのだ。
「(でも……一口だけなら……チャーシューをちょっとかじるだけなら……)」
私の右手が、無意識にどんぶりの横に添えられた割り箸へと伸びる。
「おや、召し上がるのですか? ちなみにそのラーメン、一杯で約二千キロカロリーはありそうですね。主様の普段の運動量では、消化するのに相当な時間がかかるかと」
「うるさいっ! 言わないでよぉぉぉ!」
私は手を引っ込め、頭を抱えてのたうち回った。
食べたい。でも寝たい。
最高のラーメンを前にして、食欲と睡眠欲、そして健康への罪悪感が、私の脳内で第三次世界大戦を引き起こしていた。
「あぁぁぁぁ! なんでこんな時間にこんな美味しそうなものを置いていくのよ! これはテロよ! 精神を破壊するための飯テロよぉぉぉぉ!!」
チャリンチャリンチャリンチャリンッ!!
「素晴らしい! 主様の『食欲と理性の凄絶なる葛藤』が、凄まじいストレスとなってポイントに変換されております!」
影山が、ウキウキとした声でポイント残高を読み上げる。
「この究極のジレンマ、天界の神々も大爆笑で投げ銭をしております! 一気に三千ポイント獲得です!」
「笑い事じゃないわよ! 早くこれを片付けて! 見てたら食べちゃう! 食べたら明日、胃がもたれて後悔するのよぉぉぉ!」
私が涙ながらに絶叫した、その時だった。
岩窟の入り口付近で息を潜めていた隠密部隊の頭領が、恐怖に顔を引き攣らせていた。
「(ば、馬鹿な……! 王国最高の傑作である『極上背脂ラーメン』を前にして、魔王は一切口をつけず、あまつさえ激怒してのたうち回っているだと!?)」
暗殺者たちの目には、私の葛藤など分かるはずもない。
彼らには、私が「こんな下等な供物を持ってきたのか」と激怒し、周囲の魔力(ポイントの光)を暴走させているようにしか見えなかったのだ。
「(いかん、これ以上の滞在は危険だ! 我々の誠意すらも、あの魔王には通じないというのか!)」
頭領は部下たちに撤退のサインを出し、音もなく、しかし全力のスピードでダンジョンから逃げ出していった。
「あいつら、逃げたわね……! 置き逃げよ!」
「いかがいたしますか、主様。このまま放置すれば、スープが冷めて匂いだけが岩窟に充満し、主様の安眠をさらに妨害し続けることになりますが」
「……捨てる。捨てるわよ! 私の安眠のために、こんなカロリーの化け物に負けるわけにはいかないのよ!」
私は血の涙を流すような思いで、ラーメンに背を向けた。
「承知いたしました。では、先ほど主様の葛藤で稼いだ三千ポイントを使用し、この岩窟内に『完全脱臭・空気清浄結界』を追加展開いたします」
影山が指を鳴らすと、岩窟を包んでいた冷たい空気が一新され、ラーメンの匂いが嘘のように消え去った。
同時に、どんぶりも影山の魔法によって異空間へと廃棄された。
「……消えたわね」
「はい。これで再び、完全なる無音と無臭の安眠空間が戻りました。どうぞ、おやすみください」
「……うん。寝る。……寝るんだけど……」
私はモコを抱きしめたまま、布団の中で小さく丸まった。
匂いは消えた。
だが、私の胃袋は、あの強烈な豚骨の香りを完全に記憶してしまっていた。
グゥゥゥゥゥ……。
「……お腹空いて、寝られないわよぉぉぉぉっ!!」
私の悲痛な叫びは、完全なる防音と脱臭の結界に阻まれ、誰にも届くことはなかった。
ラーメン王国が放った無音の刺客(飯テロ)は、物理的な攻撃よりも遥かに深いダメージを、私の心と胃袋に刻み込んでいったのだった。
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