第15話:狂音のオーケストラと、無音という名の暴力
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【ディゾナンス視点】
「ヒィィィヤッハハハハ! 見えきたぞ! あれが音を喰らうという、忌まわしき虚無の迷宮か!」
私、狂音のディゾナンスは、森の開けた場所にぽつんと存在する不気味な岩山を前に、指揮棒を振るって歓喜の声を上げた。
私の背後には、魔王軍が誇る最狂の音楽部隊が控えている。
人間の精神を数秒で狂わせる超高音を発する『絶叫ハーピー』の群れ。
内臓を破裂させるほどの重低音を響かせる『デスボイス・ゴブリン』の大隊。
そして、私が手塩にかけて作り上げた、不協和音を奏でる呪われた楽器を持ったスケルトン楽団。
「ラーメン王国の馬鹿共は、あの外側に張られた白銀の結界に魔法を撃ち込んで自滅したそうだな。馬鹿め、結界に拒絶されるなら、中に入って内側から音で満たしてやればいいのだ!」
私は、扉すら存在しない、ぽっかりと開いた迷宮の入り口を指差した。
「さあ、我が愛しき騒音の使徒たちよ! あの静寂の空洞に雪崩れ込み、我々の極上のノイズを響かせよ! 迷宮の主に、狂気の芸術を刻み込んでやるのだァァァァッ!!」
『ギィィィィィィィィィィヤァァァァァァッ!!』
『グォォォォォォォォォォォォンッ!!』
私の号令と共に、魔物たちが耳を劈くような奇声と重低音を上げながら、一斉に迷宮の入り口へと殺到した。
私はその後方から、優雅に歩を進めて結界の内側へと足を踏み入れた。
――その瞬間だった。
スッ……。
世界から、あらゆる音が「消失」した。
「……?」
私は思わず、指揮棒を振る手を止めた。
私の目の前には、数百匹のハーピーとゴブリンが、口を限界まで大きく開けて叫んでいる光景が広がっていた。
しかし。
音が、一切聞こえない。
鼓膜を破るはずの絶叫も、内臓を揺らすはずの重低音も、全く存在しないのだ。
「どういうことだ……? お前たち、サボっているのか! もっと声を出せ!」
私は怒鳴りつけた。
だが、私自身の声も、私の耳には届かなかった。
「……っ!?」
喉は震えている。間違いなく声帯は振動している。
しかし、口から出たはずの音が、空気を伝わる前に「何か」に完全に吸収されてしまっているのだ。
これは、外側を覆っていたプラチナ結界の力ではない。
迷宮の内部そのものが、音という物理現象を絶対に許さない『絶対吸音空間』に変貌していたのだ。
私は周囲を見渡し、異常な光景に戦慄した。
魔物たちは、自分たちの発した「音」が聞こえないことにパニックを起こし始めていた。
彼らは音を武器とするがゆえに、自らの発する音が自分の存在証明でもあった。
それが完全に消し去られたのだ。
ハーピーたちは喉から血を流すほど口をパクパクさせながら、無音のままのたうち回っている。
ゴブリンたちは自分たちのドラムや腹を力の限り叩きつけるが、虚しい衝撃だけが体を巡り、やはり音は一切出ない。
足音も、衣擦れの音も、そして何より恐ろしいことに……『自分の心臓の鼓動』すら、耳の奥で響かないのだ。
人間や魔物は、無意識のうちに自分の呼吸音や心音を聞いて、生きていることを実感している。
それすら奪われた完全な無音空間は、感覚を狂わせ、精神を急激に死の淵へと引きずり込んでいく。
「(……ヒィィッ!? な、なんだこの気味の悪い空間は……っ!)」
私は叫ぼうとしたが、やはり無音だった。
平衡感覚が狂い、三半規管がおかしくなる。自分が立っているのか、倒れているのかすら分からなくなってきた。
目の前で、音を出せない恐怖に発狂した魔物たちが、次々と泡を吹いて白目を剥き、バタバタと無音のまま倒れていく。
まるで、出来の悪い無声映画のホラーを見せられているような、圧倒的な不気味さと絶望。
「(芸術が……私の狂音が、こんな、何もない虚無に……っ!)」
私は、生まれて初めて「静寂」というものが、これほどまでに暴力的で、恐ろしい攻撃になり得るのだという事実を思い知らされた。
ここにいては、精神が崩壊する。
私は這いつくばりながら、無音の恐怖から逃れるために、必死で迷宮の入り口を目指して後ずさりした。
【凛視点】
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……! 影山、これ、いつまで走ればいいのよぉぉぉ!」
「ペースが落ちていますよ、主様。時速十キロをキープしてください」
私は玉座の間にポツンと置かれた、最新式の黒いルームランナーの上を、赤いジャージ姿でひたすら走らされていた。
目の前の空中に展開されたモニターには、ダンジョンの入り口付近の映像が映し出されている。
そこには、口を大きく開けたまま、声も出さずにバタバタと倒れていく不気味な魔物たちの姿があった。
「な、なにしてんのあいつら? 集団でパントマイムでもしてるの?」
走りながら画面を見た私は、その異様すぎる光景にドン引きした。
「いいえ。彼らは『絶対吸音トラップ』の恐怖に耐えきれず、自律神経が崩壊して気絶しているのです」
影山が、横で紅茶を注ぎながら涼しい顔で解説する。
「主様がランニングで稼いでくださったポイントを使い、入り口から百メートルの空間の『空気を振動させない特殊な魔力場』を形成しました。彼らは自分の声も足音も聞こえないという絶対的な静寂に、精神を食い破られたのです」
「……えぐっ」
私は思わずルームランナーの上でつまずきそうになった。
物理的なダメージはゼロなのに、精神攻撃としてあまりにも陰湿で容赦がない。
モニターの中では、コウモリの羽を生やしたボスらしき男が、自分の耳を塞ぎながら涙と鼻水まみれで外へと這い出していくところだった。
「見事な防衛でしたね、主様。物理で攻めてきたラーメン王国は『プラチナ結界』で跳ね返し、音で攻めてきた魔王軍は『絶対吸音トラップ』で精神を破壊する。これで当ダンジョンの『静寂の守り』はさらに強固なものとして世界に知れ渡るでしょう」
「……ねえ影山。私、ただ『静かに寝たい』って言っただけなんだけど。なんで私、世界で一番えげつない魔王みたいな防衛網を築いてるの?」
「主様の安眠への強い意志が、わたくしの能力と完璧なシナジーを生み出している結果です。誇りに思ってください」
「ちっとも嬉しくないわよ!!」
私はルームランナーのベルトの上で、泣きながら両足を動かし続けた。
「それにしても、このルームランナー、なんでこんなにハイテクなのよ! 前世のスポーツジムにあったやつより立派じゃない!」
「主様のポイント稼ぎのために、特別に五百ポイントで召喚した一品です。心拍数やカロリー消費量だけでなく、主様の『絶望ゲージ』も可視化できる優れものです」
「私のポイントを、私を走らせるための道具に使わないでぇぇぇぇっ!!」
狂音の魔王軍すら恐れて逃げ出す、絶対静寂の迷宮。
しかしその最深部では、迷宮の主である私が、誰よりも騒がしく絶叫しながら、涙の強制ダイエット(防衛費稼ぎ)をさせられているという、この世の終わりのような地獄の構図が完成していた。
私の安眠への道は、健康的な汗と涙によって、どこまでも理不尽に舗装されていくのだった。
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