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芽生える命

 次の日の晴れた朝方、産婦人科へ来てみた。  

入口に入ると自分が目にしたのは、白くて清潔な病院内だった。もう一つは、受付の前のイスに座る妊婦さん達の姿。多くの方はお腹が膨らんでいた。中にはまるで、今にも赤ん坊が産まれるであろう女性が自らのお腹を優しく撫でていた。 

魅花はまだお腹は張っていない。更に言うと、今の段階では膨らむ様子さえ無かった。自分は受付の女性に話し掛ける。


「あの、すみません。妻が先日前から吐き気……とか目眩を訴えるんですが……」


受付の女性は「少しお待ち頂いても宜しいでしょうか? 数分後にまたお呼びします」と、手を前に出してお待ち下さいのポーズ。少し早とちりになりすぎた自分を反省し、魅花に伝える。受付の女性は次々と他に座っている妊婦さんに呼びかける。十分程すると自分の名前が呼ばれる。看護婦さんの後を魅花の乗る車椅子を押しながら廊下を歩く。

 部屋の前に着くと、女性が「此方の部屋で待っていて下さい」と、手を横手にある部屋のドアを指す。ドアを開けると、部屋の小さな窓ガラスの手前にあるブラインダーの隙間から、太陽の光が漏れていた。ほのかに明るい部屋だった。パソコンの横に椅子が二つ並べて置いてあったので、パソコン側の椅子を先生に。その反対側に魅花を乗せた車椅子を移動させた。自分は魅花の横に付いた。数分すると、自分等が入ってきたドアから若い先生が入ってきた。先生は一礼すると、ゆっくりと椅子に座った。 


「先日前から嘔吐や目眩といった症状が出るとの事ですね」


カルテを見ながら先生はそう言った。

魅花は小さな声で先生に症状を訴える。


「はい……一週間位前から若干手に力が入らなくて、上手く車椅子が操作出来なかったり、この前マフラーを編んでいる時……吐いちゃって……一時間程落ち着いたんですが、また吐いて……落ち着いては吐いての繰り返しで……それで、今日も起きたら吐き気がしました……」


魅花の口から此処まで話を聞いた事は無かった。それに、いつもはこんな弱音を吐かない魅花が珍しかった。 


聞いているいるだけでも自分は辛かった。 

只でさえ魅花は身体が小さい。体重も普通の人よりかは少しだけ軽かったのだから、吐いた……とするならば、今の魅花の身体は痩せている一方な筈だ。


「では、佐田上さん。食欲はありますか?」


と、先生は魅花を見ながら言った。


「食欲は……全く無いです……正直、食べ物を見るのも……」


言われてみれば、前の晩ご飯の時もそうだった。

久し振りに二人一緒になって唐揚げを作っていた時の事。料理では随分と手際の良い魅花だったが、その時ばかりは鳥モモを卵と小麦粉に潜らせる時も。楽しそうに、そして綺麗にサラダを皿に盛り付ける時も。いつもより何だかペースが遅かった。

いや、遅い……と言うよりかは、何だか気怠そうな雰囲気だった。やはり只の風邪が原因……という訳では無かった。もっと早く気付いてやれば良かったと、その時自分は少しばかりか後悔した。 

 今回の妊婦は魅花に起きる筈のつわりの症状が通常より遅いらしく、魅花曰く気付かなかったらしい。そして今は妊婦8週間目。香が亡くなった頃と同じであった。先生には水を沢山摂取する様にと言われた。 


 それから2週間程は苦労の連続だった。

 魅花の為だと、自分も仕事を早く終わらせ、早め早めにアパートへ帰るようにと心掛けた。 

アパートではいつも、魅花はベッドかソファーで横になっていた。身体が落ち着いている時は産まれてくる子供にと、手編みのマフラーと帽子を編んでいた。産まれてくる子供の出産予定日が大体2月の終わり頃らしいからと、魅花は一生懸命編む。しかし、思った以上にマフラー等は編めない。それは魅花曰く、なぜだか分からないが、無性に苛々する……というのだ。いつも自然と嗅いでいる物の匂いが、急に見たくもなくなるらしい。その匂いというのは糸の匂い。マフラーの素材である糸でもある。 

 この前、マフラーを編んでいる時、心の奥底からフツフツと煮え上がる何かがマフラーの匂いを拒絶したため、魅花が毛糸を無惨にも引きちぎった事があった。自分がアパートに帰り、リビングには散らばったマフラーと毛糸。そして、床にうなだれていた魅花が居た。 

 また、匂いが駄目……というものの他にも、一緒にご飯を食べていた時、マグカップに入ったコーンスープを何の予兆も無しに床に落として、マグカップを割った事があった。原因は目眩だった。魅花の膝には熱々のコーンスープが零れ、軽い火傷になった。それに、一番肝を冷やしたのは、割れたマグカップの破片が魅花の右足に刺さりかけたのだ。あと数センチ足が横に出ていたら……出血だけでは無かった筈だろう。 

 実際の所、上に挙げた出来事だけでは無いのだが、数え出したら霧が無い。それ程までに妊娠とは大変なものなのだなと、自分は痛感させられた。


そんな日々も妊娠4ヶ月を過ぎると、自然と無くなっていった。

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