三十八話 覚醒(挿絵あり)
アーノルドの錆色の瞳と、視線がかち合う。
……その瞳の奥には、まだ強い意志が揺らめいていた。
奴は折れていない。……ならば。
「……。」
―――覚悟を決め、私は静かに目を閉じた。
そして、体内の乱れきった魔力循環を制御下に置こうと試みる。
呪符から流れ込む力に飲まれ、体内の大部分の魔力はまるで言うことを聞かない。
ーーーならば、さらに奥へ。
私は、自身の魔力の奥底へと意識を向けた。
「……。…………。」
……今まで潜ったことのない領域まで潜った時、私は妙な感覚を覚えた。
(……母さん……?)
それは幼き頃、私を膝に乗せて撫でてくれた、母の気配によく似ていた。
(違う。これは……。)
(―――精霊の魔力か。)
その力は、魔力の奔流の底にありながら、ただ静かに凪いでいた。
(ずっと、此処にあったのか。……。)
私はその力にゆっくりと意識を溶かし、そしてそのまま同化した。そのまま、周囲を巻き込むように、力を伝播させていく。
その静謐は水面に波紋が広がるように、体内の荒れ狂う魔力を飲み込み、鎮めていく。
私の心に、先ほどまでの焦りはない。
ただ自身の底に在る力に身を委ね、そして受け入れる。
―――体内のすべての魔力が、凪いだ。
目を開ける。
鉛のように重かった体が、いやに軽い。
……背に張り付いた呪符が、静かに燃え散るのが分かる。
「……ノーラ殿……それは……」
イアンの声が、頭上より降る。
私は自身の体に目を遣る。
淡い燐光が、薄らと身体を包んでいた。
「……。さあな。」
手を伸ばしてイアンの胸に軽く触れ、死なない程度に魔力を吸い取る。
……魔力は、まるで元々自身の身体の一部であったかのように私の意思に応えた。
「……ッ!」
イアンが崩れ落ちる。
その表情には、驚愕の色が浮かんでいた。
「副官を止めろ、撃て。」
敵方指揮官の指示で、魔力兵器から幾条もの雷が放たれる。
だがそれらも私に届くと同時に魔力へと還る。
「なんだ、アレは……!」
それを見て怯んだ敵の槍兵隊の隙を、オーウェンが見逃す道理はない。
「中央、退がれ!!」
兵が退いた、その一瞬ですかさずオーウェンが割り込む。
「……ぶっ、飛べッ……!!」
斧が振り抜かれ、敵の陣形が大きく崩れる。
「―――副官殿ッ!!」
その声に応え、私は強く地を蹴って飛び出した。
狙うは、敵指揮官。
奴の胸元の護符が光り、結界が展開される。イアンがあらかじめ仕込んでおいたものだろう。
……これまでの私ならば、この結界を破ることはできなかった。だが。
……結界の表面に掌で触れる。
結界はたちまちに霧散し、魔力へと還った。
一瞬の後、即座に抜剣した敵指揮官の剣と私の剣がぶつかり、火花を散らす。
私は左腕の剣を振り抜いて、その刃を大きく弾いた。
そのまま右腕を、奴の首へと伸ばす。
「……なるほど、届かんか。」
独り言のように呟いた敵指揮官の首に手をかけ、私は躊躇わずその魔力を吸い尽くした。肉体が力を失い、地面へと崩れ落ちる。
「……他に、こうなりたいものは。」
敵兵が、直ちに降伏の意を示す。
それをオーウェンたちに任せると、私は踵を返した。
……膝をついたまま浅い息をするアーノルドの元へ、歩み寄る。
「生きているな。」
「……ああ。」
その声は枯れ切って弱々しいが、完全には覇気を失ってはいない。
ただし、悠長にしている猶予はない。
私はアーノルドの胸を貫いている銛に手を掛けた。
「……死ぬなよ。」
「……ああ。」
そのまま力任せにそれを引き抜く。
流石のアーノルドも痛みに息を詰めるが、意識は手放さなかった。
私はその傷口に手を添え、魔力を流し込んだ。
アーノルドの体内の魔力を循環させ、回復を促す。
だくだくと流れていた血が、徐々に止まる。
……そしてそのまま、抉れた傷口の再生へと移る。
ズタズタに断たれた体内の魔力を集め、大まかに傷を塞ぎ、塞ぎきれなかった部分は魔力糸で縫い合わせる。
「……これぐらいが精一杯だな。」
私はアーノルドの胸から手を離した。
「しばらく中で寝ていろ。」
「……いや、必要ない。」
「ある。寝ていろ。」
「……。……必要なら起こせ。」
「ああ。」
押し問答の末、アーノルドが折れた。
私は兵を呼び、アーノルドを寝室に連行させた。
さて……戦の後始末を始めなくては。




