三十七話 危機
対竜兵器は過たず、アーノルドの右胸を貫いた。
アーノルドの巨体が、ぐらりと揺れる。
そしてそのまま膝を折り、地面についた。
ボタボタと、アーノルドの血が地面に滴った。
上空の魔法陣は、まだ消えていない。
……そしてそれを押し返すアーノルドの魔力も、まだ消えていない。
アーノルドは上空の魔法陣から目を逸らすことなく、魔力を注ぎ続けている。
……恐らく死にはしない。だが、無視できる損傷では到底ない。
アーノルド本人の足元には、血溜まりが静かに広がり続ける。
遠くで、領軍らしき兵の声がする。
城壁からの伝令で、応援が寄越されたのだろうか。
「……よそ見ですか、ノーラ殿。」
不意に背後でイアンの声がし、肩に静かに手が添えられる。
呪符が背に触れ、ひたりと張り付いた。
「………かっ、は………!!」
刹那、体内の魔力の流れが激しく乱れ、私はその場に膝をついた。
ひどい眩暈に、魔術どころか立ち上がることさえままならない。
私は首だけを辛うじて捻り、奴を睨みつけた。
その表情は勝ち誇るでもなく、怒りを滲ませるでもなく、静かな笑みを湛えている。
「……イアン。」
「……貴女は、ずいぶん甘くなられた。」
「……どういう、意味だ。」
イアンの顔から、笑みが消えた。
「……昔の貴女は、もっと気高かった。」
「あの頃の貴女なら、このような無様は晒さなかったはずです。」
私の肩に手を添えたまま、イアンは此方の顔を覗き込んだ。
「ノーラ殿。貴女に、此処は似合わない。」
イアンが何を言っているのか、分からない。
背筋に冷たい汗が伝った。
私の視線の先では、アーノルドが遂に上空の魔法陣を相殺し切った。
……アーノルドの巨体がゆっくりと傾き、そのまま地面に手をついた。
俯いたその顔を、長い髪が隠している。表情を窺い知ることはできない。
敵方の司令官が兵を率いてアーノルドに歩み寄り、温度のない声でこう言い放った。
「……捕縛しろ。」
魔術紋様の刻まれた物々しい拘束具が、無抵抗なアーノルドの腕に掛けられた。
駆けつけた領兵の誰かが、呆けたように呟いた。
「っ、……領主、様………?」
「……副官殿……。」
あの戦線を死守した兵たちが、大きく揺らいでいるのがわかる。
彼らを鼓舞したいが、思うように声が出ない。
その背後から、オーウェンが檄を飛ばす。
「――怯むな!領主殿に加勢する!!」
オーウェンが駆け出し、兵がそれに続く。
敵の槍兵が、その行手を阻む。
「……一列目、退け!」
開いた敵前衛に向かい、思い切り踏み込んで放たれたオーウェンの大振りを、イアンの結界が止める。
「ッ、イアン殿、血迷いましたか!!」
「いいえ。正気ですよ、初めからね。」
オーウェンが歯噛みし、大きく飛び退いた。
そしてそのまま声を張り上げる。
「敵から離れるな!魔術に巻き込まれる!!」
敵味方が入り乱れ、乱戦となる。
オーウェンはこの状況では、大きく斧を振れず防戦一方にならざるを得ない。
兵は極限の緊張の中、鍔迫り合いを続けている。
私は動かぬ指先で地を掻き、前に進もうとする。
「……っぐ……!!」
……だが身体は全く言うことを聞かず、その勢いのまま前のめりに倒れ込んだ。
「無駄ですよ。……半精霊の貴女にはさぞお辛いでしょう。昏倒しないだけでも、正直驚いていますよ。」
「………。」
忌々しく歯噛みをして、私は無理やり顔を上げる。
視線の先では、味方が今も闘っている。
敵方有利の戦況で、兵が一人、また一人と負傷していく。
すぐにでも飛び出したい。私は手の骨が浮くほど強く、拳を握り込んだ。
視界の端で沈黙していたアーノルドが、微かに身じろいだ。
「ァ……ノル、ド……。」
「………。」
アーノルドが微かに顔を上げる。
……錆色の瞳が、真っ直ぐに此方を見た。




