二十六話 予兆
ある晩。
詰所で帳簿をめくっていた私の元に、イアンが尋ねてきた。
「……東に妙な動きがあります。」
「東?空白地帯のあたりか?」
「……いいえ。空白地帯の東側が、です。」
空白地帯の東側には、数多の国が並び立っている東宝国家群が存在する。
交易をおこなう国々も存在するが、我々の居る西方と対立関係にある国も多い。
私は帳簿を閉じ、イアンを伴って執務室へと向かった。
改めて、イアンが説明を始める。
「まず、近頃空白地帯に人が流れています。」
「内訳は。」
「難民の割合が多いようです。辺境伯領にも、幾らか流入があるので気がつきましたが……。」
私はイアンに続きを促す。
「……探りを入れたところ、軍備の進行と、水面下での武器取引も活発化しています。」
「きな臭いな。」
アーノルドが僅かに目を細める。
「……戦か?」
「…………。現時点では断言はできません。東方での小競り合いの可能性もあります。」
私の問いに、イアンは難しい顔でそう返した。
「まあ、何にせよ警戒は必要だろうな。明朝になったらオーウェンとヴォルフにも共有しておく。それでいいな、領主。」
「……ああ、頼む。」
私がこの後の動きを確認し、アーノルドが首肯する。
「イアンは引き続きあちらの動向を探ってくれ。」
「御意に。」
イアンが執務室を去り、重い沈黙が残った。
「…………嫌な感じがする。」
「ああ、私もだ。」
明朝、緊急の会議が開かれた。
参加した顔ぶれは、アーノルド、私、ヴォルフ、オーウェン、そしてヴォルフにくっついてきたタルト。
フランには城内に眠っている魔道具の点検と動作確認を頼んでおり、イアンはすでに調査のため城外に出ている。
領城周辺の見取り図を覗き込みながら、オーウェンが切り出す。
「城壁東側の警備を強化します。副官殿のところからも、人員を回していただけるとありがたい。」
「承知した。ヴォルフ、……訓練の調子は?」
「まだ荒いが、悪くはねえな。」
ヴォルフがそう言うのなら、成果は上々だろう。
「……有事の際の、領民の避難先はどうする。」
「一番近い砦に匿いましょう。」
「備蓄が心許ないな。買い付けておく。」
「魔道具の稼働用に、魔石がいるか。」
ここで、タルトがぴくりと動いた。
「副官さん!」
「どうした。」
「魔石ならあるよ!領主さまに魔力入れてもらったやつ!」
運び屋から譲り受けたクズ魔石のことだろう。
なんと、見事に再利用したらしい。
「いつのまに……量はどの程度ある?」
「砦一つなら、多分五日はもつよ!」
「わかった。ありがとう。」
タルトの頭を軽く撫で、会議を続ける。
「中央へも報告を送った方がいいな。」
「ああ。さっき遣いの鴉を飛ばした。」
アーノルドもいつのまにか動いていたようだ。
警備の人選と配置、備蓄と設備の検討、有事の際の分担を会議するうちに、昼になっていた。
「……飯にするか。」
今日は全員、城の食堂を利用することにした。
私は、一人執務机に向かおうとするアーノルドを呼び止めた。
「アーノルド。飯にするんだろう。」
「……ああ。」
アーノルドが食堂に入ると、食事をしていた兵や使用人がギョッとしたように振り返ったが、すぐに食事に戻った。以前ならもっと驚かれていただろう。
……飯を済ませ、それぞれ持ち場に戻る。
アーノルドは書類を片付けに執務室へ。
オーウェンは兵の選抜と指示のため詰所へ。
ヴォルフは若いのを鍛えると言って訓練場へ。
タルトは避難所で役立つ道具を作ると言って工房へ。
私はあちこちから声が掛かり、雑務の処理へ。
雑務を終え、執務室で書類仕事をして、夜には飯を作る。
普段通りの仕事だ。
1日の終わりには、詰所でまたいくらか雑務をこなし、うちの連中やフランと雑談をした。
「……おやすみなさい、姉さん。」
「ああ、おやすみ。」
そう言って部屋に戻ったものの、私はなかなか寝付くことができなかった。
まだ、何も起きてはいない。
火急の伝令も、事件もない。
イアンからの連絡も、まだ来ない。
だが。
「……。嫌な感じだな。」
結局何度かまどろむうちに、明け方になっていた。
私は床を離れ、窓を開けて外を見る。
うっすらと白み始めた東側の空は、なんだかいやに静かだった。




