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9話 崩壊する防衛線


 「走らないで! 落ち着いて順番に進んでください!」

 

 王国の防衛結界が砕け散る甲高い音が響き渡る中、受付嬢のサリアは声を張り上げ、ギルドの地下避難施設へと一般市民を誘導していた。

 

 大共鳴(スタンピード)は、周期的に世界各地で発生する大厄災。

 原因は今も解明されていない。だが、過去の歴史からおよそ二十年周期で起きるものだと認識されていた。しかし、前回の発生からまだ十五年しか経っていないにもかかわらず、今回はあまりにも早く、そして突然に発生したのだ。

 未曾有の事態に、街の誰もがパニックに陥っていた。

 

 (どうして……! )

 

 サリアもまた、内心では恐怖で心臓が破裂しそうだった。だが、そんな不安をおくびにも出さず、ギルドの受付嬢として、市民を守るという使命のもと気丈に振る舞い続けている。

 彼女がここで取り乱せば、市民のパニックはあっという間に伝染し、暴動や将棋倒しによる二次被害が起きてしまうからだ。

 

 「ねえ、本当に大丈夫かしら!? さっき、凄い音が……結界が割れちゃったんじゃないの!?」

 

 幼い子供を抱えた女性が、顔を青ざめさせてサリアにすがりついた。

 

 「大丈夫です! 今、最前線で兵士の皆さんとハンターの方々が一生懸命戦ってくれています! きっと大丈夫です!」

 

 サリアは女性の手を力強く握り返し、決して恐怖を見せない真剣な眼差しで訴えかけた。

 

 「ですから、皆さんがここでパニックになって怪我をされたりすると、兵士やハンターの方々が、街の護衛に多く人員を割かなければならなくなります! 彼らが目の前の敵に全力を注げるよう、今はどうか、私たちの避難誘導に従ってください!」

 

 「わ、わかったわ……っ」

 

 サリアの必死で説得力のある言葉に、女性はハッとして頷き、足早に地下施設への階段を下りていく。

 他の市民たちもその言葉を聞いて少しだけ冷静さを取り戻したのか、誘導のペースが徐々にスムーズになり始めていた。

 

 「……っ」

 

 途切れることのない避難者の波を捌きながら、サリアはふと、重い雨雲に覆われた空――結界の外の方角へと視線を向けた。

 

 最前線で戦うバレンやクレインの無事を祈ると同時に、一人の少年の顔が脳裏をよぎる。

 

 (ミーヴェル君……お願いだから、無事でいて……!)

 

 彼が今朝、いつも通り一人で結界の外へ薬草採集に出かけたことを、サリアは知っている。

 絶望的な大群が押し寄せる結界の外で、魔法の使えない非力な彼が生き延びられる確率など万に一つもないだろう。それでも彼女は、泥まみれになりながらも曇りのない笑顔を見せてくれた少年の奇跡を、祈らずにはいられなかった。

 

 ◇

 

 「クッ! キリがねえッ!!!」

 

 炎、氷、雷。

 ハンターや兵士たちが放つ属性魔法の極彩色が、砕け散った結界を乗り越えてなだれ込んでくる漆黒の大群へと絶え間なく降り注ぐ。

 

 「半魔はどうした!?」

 「後方に下がりやがった! あそこじゃ魔法の射程が届かねえ!」

 

 防衛側の兵士やハンターたちは既に限界近くまで疲弊しており、城壁を這い上がろうとする眼前の魔物を処理するだけで手一杯だった。

 戦況は、完全に後手へと回っている。

 ドゴォォォンッ!!

 

 「――がああッ!?」

 

 突如、城壁の上で魔法を放っていた一人の兵士の体が、くの字にへし折れて宙を舞った。

 城壁の遥か下から、異形の牙を剥き出しにした巨大な豚の魔物――オークが、大岩を全力で投擲したのだ。

 「おい、大丈夫か……ッ!?」

 

 すぐ傍にいた仲間が血相を変えて駆け寄るが、その声はふつりと途絶えた。

 吹き飛ばされた兵士の首は、かろうじて薄い皮一枚で胴体と繋がっているだけの、あまりにも無残な状態だったからだ。即死である。

 

 「なんなんだよ……いったい、こいつらなんなんだよ!!!」

 

 仲間の無残な死体と、見渡す限りの絶望的な暴力の波。

 その光景に耐えきれなくなった一人の若いハンターが、頭を抱えて発狂したように叫び声を上げた。

 十五年前の凄惨な大共鳴を経験していない、若い世代なのだろう。

 

 「俺たちが、一体何をしたって言うんだよォッ!?」

 

 男は完全に恐慌状態に陥り、武器を放り出して後ずさる。

 死と隣り合わせの絶望的な状況において、一人の錯乱は伝染病よりも早く周囲へ伝播し、部隊の致命的な連鎖崩壊を引き起こす。事実、若いハンターの悲鳴を聞き、周囲で戦う者たちの顔にも次々と色濃い恐怖が伝染し始めていた。

 

 「……チッ、まずいな」

 

 城壁から地平へと降り、最前線で大剣を振るうバレンが、舌打ちをして血濡れた顔を歪めた。

 その間にも、絶え間なく襲い掛かって来る異形の魔物達を剛腕で吹き飛ばし、次々と切り刻んでいく。

  

 「バレン!」


  血飛沫を上げながら、クレインが群がる敵を切り伏せてバレンの元へと駆け寄ってきた。その端正な顔は、かつてないほどの焦燥に染まっている。

 

 「クレイン! どうした、側面の状況は!?」

 「ダメだ! 若い連中の恐慌が伝播して、部隊の士気が完全に崩壊した! もう陣形が維持ない!」

 「あァーッ、クソが!!!」

 

 バレンが怒りに任せて手近な魔物を両断した瞬間。

 頭上から、拡声の魔法に乗った団長ジーグの悲痛な大音声が戦場に響き渡った。

 

 『兵士、並びにハンター諸君! 第一次防壁を放棄する! 総員、直ちに第二次防壁まで後退せよ!!』


 「なにぃ!? 早すぎる……ッ!?」


 退却命令を聞き、バレンは絶望に歯軋りした。

 結界が割れてから、まだほんの僅かな時間しか持ちこたえられていない。このままでは、街の中心部に魔物がなだれ込むのも時間の問題だと思った――その矢先のことだった。


 「おい……なんだあれ!?」


 退却のために背を向けようとした若手ハンターの一人が、鉛色の空を指差して悲鳴を上げた。

 バレンが上空を見上げると、そこには分厚い雨雲を引き裂いて飛来する、無数の『異形の群れ』がいた。

 翼膜から鋭利な青い結晶を生やし、白銀の羽をしなやかに翻す、神々しいまでに美しい怪鳥たち。だが、その洗練された猛禽のようなフォルムからは、相反するように背筋が凍るほどの禍々しい負のオーラが黒い靄となって立ち上っている。大気中のナノヘイズを風の推進力に変えて空を飛ぶ飛行型魔物の群れだ。


 (飛空種の魔物だと……!?)


 普段なら、街全体を覆う強固な結界に阻まれ、上空からの直接侵入など不可能なはずだった。だが、今は違う。地上の猛攻によって結界が砕け散ったことで生じた絶対的な空の死角を突き、大共鳴に狂わされた飛空の魔物たちがここぞとばかりに雪崩れ込んできたのだ。

 

 『ピギィィィィィッ!!』

 

 数百羽にも及ぶ美しくも恐ろしい怪鳥の群れは、地上で奮戦するバレンたちや第一防壁を完全に無視し、一直線にドワーフの街の内部へと侵入していく。

 

 「馬鹿な……ッ! あの半魔!、最初からこれが目的だったのか!?」


 クレインが絶望に顔を青ざめさせる。

 壁を越えられたということは、非戦闘員である子供や女たちが直接狙われるということだ。ギルドの地下へ避難誘導を行っているサリアや、逃げ惑う市民たちの無防備な頭上に、今まさに『死の雨』が降り注ごうとしている。


 「待て! 街に行かせるなァッ!!」


 バレンが血を吐くような声で叫び、空に向けて大剣を振るう。

 幾人かの兵士が慌てて弓や魔法を上空へ放つが、遥か高空を滑空する魔物の群れには届くはずもない。

 もはや地上の防衛線は瓦解し、空からは街の心臓部へ直接死がもたらされようとしている。

 ガルガント王国は今、真の滅亡の淵に立たされていた。


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