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8話 開戦


 城壁を打ち据える豪雨と、絶望的な魔物たちの咆哮。

 その轟音を切り裂くように、聞き慣れた野太い声が響いた。

 

 「バレン!」

 「ジーグ!」

 

 振り返ると、そこには王宮の鎧を身に纏った中年の兵士――先程、ガルバン王子へ大共鳴(スタンピード)の緊急報告に向かっていたジーグの姿があった。

 

 二人は現在の立場や職業こそ違えども、若き日に同じ過酷な戦場を潜り抜けた、古くからの気心の知れた戦友であった。

 「他の支援部隊は!?」

 「港湾都市シーバスに緊急の支援要請を送った!奴らの後方から現れる予定だが、到着まで早くても三時間は掛かる!」

 「ぐっ……それまで、この結界は持たん!」

 「やるしかない。……だがバレン、今回の大共鳴(スタンピード)はおかしすぎる」

 

 ジーグが重々しい口調で、城壁の眼下――結界の外を睨みつける。

 

 「ああ。……兆候は確かにあったが、発生までがあまりにも早すぎる」

 バレンの視線の先。結界を力任せに叩き続ける無数の魔物(エコー)たちの後方に、明らかに異質な存在が佇んでいた。

 半透明な幽霊のように揺らめく、高濃度のナノヘイズそのもので構成されたような異形の生命体。この世界で『半魔(ヘイズ・コレクター)』と呼ばれる生命体、ただ狂乱するだけの獣たちとは違い、明確な『知能と殺意』を持ってドワーフの街を静かに見据えていた。

 

 「恐らくあの半魔が魔物を統率している……意図的な奇襲か?」


 ジーグが顔を引きつらせる。

 通常、大共鳴の兆候が表れてから、これほど多種多様な魔物が一つの群れとして集結するまでには、実に半年は掛かるのがこれまでの歴史の定石であった。ギルドも、その過去のデータを元に防衛の準備を進めていたのだ。

 だが今回は――。

 

 「たったの一週間だぞ。異常だ」

 「ギルドの調査不足だったかもしれん。だが、奴が意図的に群れを操り、このタイミングで奇襲を仕掛けてきたのだとしたら……」

 「いや、それについてはこちらにも責任がある。調査費用が渋られて兵士を十分に派遣できず、ギルドにばかり負担をかけた。すまない」

 「気にするな。お前のせいじゃない事くらい、ここの連中なら誰もが分かってるさ。にしても――」


 バレンはギリッと奥歯を噛み締めた。

 絶望的な戦力差に加え、敵には知能と明確な戦術がある。最悪の事態だった。

 

 「ふぅ。……で、あの馬鹿王子はどうした?」

 

 少しでも気を紛らわせるようにバレンが尋ねると、ジーグは忌々しげに雨に濡れた石畳へ唾を吐き捨てた。

 「ハッ。国が滅びる緊急事態だってのに、扉を開けたら若い女とベッドでイチャコラしとったわ。今頃寝室で布団にくるまってビクビクしとるだろうよ!防衛の指揮も碌に執れん、あんなのが次期王だとは笑わせるわい。……国も終わりが近いかもしれん。国王陛下が病に伏していなかったらこんな事にはなっていなかったであろうに」

 「おいおいジーグ、お前、めったなこと言うんじゃねえぞ」

 「ハッ、事実じゃよ。もしこの国が滅んでワシが生き延びたら、お前のギルドで雇ってくれや」

 

 死を目前にした状況での、ジーグの自嘲気味な軽口。

 それを受けたバレンも、張り詰めていた顔の筋肉を少しだけ緩め、皮肉げに口の端を歪めた。

 

 「ッハッハッハ! 団長様が、最前線でもう就職先の相談か! まぁ、生き残ったら考えてやらんこともない!」

 「そうこなくてはな! 可愛い孫に、今度の誕生日は豪勢なプレゼント買ってとせっつかれとるんじゃ。こんな泥に塗れた場所で、まだまだ死ぬわけにはいかんわい!」

 

 豪雨と絶望の最前線で、二人の歴戦の戦士は不敵に笑い合った。

 どちらも既に白髪と白髭を蓄えた老齢の域にあるドワーフだ。だが、雨に濡れて張り付いた鎧や服の下から隆起するその肉体は、若い戦士たちを軽く凌駕するほど丸太のように太く、鋼のように鍛え抜かれている。

 死地においてなお少しも揺るがない、古参兵たちの半端ではない強靭な肉体と精神力。

 

 ――ピキィィィンッ……!!

 

 だが、そんな勇士たちの意地すらも嘲笑うかのように。

 無数の魔法と質量攻撃を受け続けていた青白い防衛結界の表面に、ついに致命的な亀裂が走り始めた。

 

 「わっ……割れる! 結界が割れるぞォッ!!」

 

 兵士たちの間に恐慌が走りかけた、その時だった。

 

 ジーグの口元に、青白く発光する『幾何学的な模様』が浮かび上がった。大気中のナノヘイズを取り込み、自身の声を魔法的に増幅させる拡声の術式だ。

 

 「兵士達よ! それにハンターの諸君もよく聞いてくれ!!」

 

 豪雨と魔物の咆哮すらも掻き消す、ドワーフ国団長としての威厳に満ちた大音声が城壁全体に響き渡った。

 「結界が割れた瞬間、中央後方に陣取る半魔を一斉に狙え! 分かるな!? ただの魔物ではない、あの半魔だ! 奴らを仕留めれば、敵の指揮系統は必ず瓦解するはずだ!次いで、遠距離攻撃を仕掛けてくる魔物を優先して叩け! 壁に取り付かれたら這い上がられる前に何としてでも叩き落とせ! 万が一持ち堪えられなくなった場合は、この第一防壁を放棄する! その際の退陣命令はワシが必ず下す! ――総員、構えェッ!! 目標、中央後方の半魔!!」


 王国の兵士たちが一斉に武器を構え、弓や魔法の照準を合わせる。

 その隣で、バレンもまた自身の身の丈ほどもある大剣を肩に担ぎ直し、後ろに控えるハンターたちへ向けて野太い怒号を飛ばした。


 「お前らも聞いたな! こいつらをここで食い止めなけりゃ、明日からの俺たちのメシの種がごっそり無くなっちまうぞ! それが嫌なら、張り切ってぶっ潰しやがれ!!」

 

 そして、恐怖で震え上がる三人の男たちをギロリと睨み据える。

 

 「おい、そこのクズ三人組! 生きたきゃ死に物狂いで剣を振るうんだな!」

 「ぐ、くそぉぉぉっ……!」

 「「「お、おおォォォォォッ!!!」」」

 

 恐怖を怒りと闘志で塗り潰すように、兵士とハンターたちの雄叫びが重なり合う。

 絶望の波が押し寄せる中、ついにその瞬間は訪れた。

 

 ――パリィィィンッ


 限界を迎えた青白い防衛結界が、甲高い音と共に空中で砕け散った。

 無数の細かい破片となった結界の光が、土砂降りの雨に混じってキラキラと地上へ降り注ぐ。

 それは、この街の終わりと凄惨な地獄の始まりを告げる、絶望の合図であるはずなのに。皮肉なことに暗い空をゆっくりと舞い散るその青白い光の雨は、息を呑むほどに儚く、そして


 ――美しかった


 圧倒的な暴力と、幻想的な美しさ。

 戦場の最前線に一瞬だけ生まれた、あまりにも矛盾した光景だった。



 

 「―――!!!!!撃てェェェェーーッ!!!!!!!!!!!!!!」



 

 だが、その儚い静寂を、ジーグの裂帛の号令が打ち砕く。

 放たれた無数の矢と魔法の光が、結界の破片を突き抜けて漆黒の群れへと吸い込まれていく。

 かくして、ガルガント王国と大共鳴との、凄惨な開戦の火蓋が切って落とされる。


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