6話 星空の箱舟
泥の中でピクピクと痙攣する狼たちを呆然と見つめていると、リーダー格と思われる一回り大きな銀色の球体が、空中でクルクルと回転した。
その中心にある単眼のようなレンズが、赤から青色へとカシャリと切り替わる。
『――周囲ノ脅威――エコーノ沈黙ヲ確認……広域スキャン実行。警告。エコー群、及ビ多数ノヘイズ・コレクターニヨルスタンピードガ、本座標付近へ急速接近中』
ピピピッ、と鋭い電子音が鳴り、レンズの色がオレンジへと激しく点滅し始めた。
「えっと……助かった……の?」
「ぴぃ?」
未だに現実感が湧かないまま、ミーヴェルはルナを大事に抱え込み、泥まみれの体をゆっくりと起こした。
動くたびに全身の骨が軋むように痛んだが、目の前をフワフワと飛ぶ奇妙な球体たちからは、先程の狼たちのような明確な殺意は一切感じられない。
そこへ、大きな球体がミーヴェルの目の前の高さまで静かに降下してくると、点滅していたオレンジのレンズを穏やかな緑色へと切り替えた。
果たして、この色が変わるのには一体どんな意味があるのだろうか。
ミーヴェルが不思議に思っていると――。
『個体アイザック・ミーヴェル、並ビニ随伴生命体ノ無事ヲ確認。私ハ自律型AI。個体ミーヴェルヲ救出シニ参リマシタ』
「こたい? えーあい……? その……アイ、さん?」
突如として発せられた、これまでに聞いたこともない不思議な単語の羅列に、ミーヴェルは目をパチクリとさせて首を傾げた。
魔法すら使えない人間である彼にとって、目の前の球体が『自分を助けるためにやって来た機械』だということが、すぐには理解できなかったのだ。
よく分からないが、『えーあい』と名乗ったのだから、きっとアイさんという名前なのだろう。
『現在地ハ、スタンピードノ進行ルート上ニ該当。数千ノ敵性反応群ガ到達スルマデ、残リ35分。極メテ危険ナ領域ト推測サレマス』
再びレンズがオレンジ色に激しく瞬く。
(スタンピード……? )
『直チニ脱出ヲ実行シマス。――空間座標、固定』
「えっ? 脱出? って――うわぁ!?!?」
「ぴいっ!?」
直後、周囲を滞空していた小さな銀色の球体たちが、ミーヴェルの四方を囲むように陣形を形成した。
球体同士を繋ぐように青白い光のラインが走ったかと思うと、ミーヴェルの身体からふっと重力が消え失せる。
「えっ、えええっ、なに!?」
見えないフカフカの絨毯に乗せられたかのように、ミーヴェルの身体が、ルナを抱えたままゆっくりと宙に浮かび上がったのだ。
空を飛ぶ魔法など、エルフの高位魔法使いでもなければ使えない奇跡だと聞いたことがある。それが詠唱もなく発動した驚きと、足が地面から離れていく浮遊感に、ミーヴェルは思わずルナと一緒にジタバタと空中で手足を動かしてしまった。
『個体ミーヴェル、暴レナイデクダサイ。コレヨリ安全圏へト離脱シマス』
警告と共に、さらにフワリと高度が上がる。
ミーヴェルを乗せた青白い光の空間は、雨の降りしきる暗い森を抜け出し、分厚い雷雲が渦巻く遥か上空へと向かって、一直線に昇り始めた。
「う、わあああっ……! アイさん、高すぎる!」
いきなりの高所という異常事態に完全にパニックに陥ったミーヴェルは、ギュッと強く目を閉じ、ルナを抱きしめたまま丸く縮こまった。すべてが落ち着くまで、ただひたすらに耐え続けるしかない。
そのため――眼下の森で巨大な土煙が上がり、数え切れないほどの魔物や半魔の群れが、今まさに自分たちがいた場所を飲み込もうとしている絶望的な光景に、ミーヴェルが気づくことはなかった。
◇
『――アークポッド、表層エリアへノ到達ヲ完了。空間固定ヲ解除シマス』
「えっ? 着いた!? あっ、足が付く! 気がする! 目を開けていいの? 開けるよ? いいの!?」
『個体ミーヴェル。私ハ最初カラ、目ヲ閉ジテトハ一言モ指示シテオリマセン』
「そ、そうだったかも……」
「――ぴぃーっ!」
「えっ、なに? ルナ、もう目を開けてるの!? じゃあ、ボクも開けるよ?」
恐る恐る、ギュッと瞑っていた目をゆっくりと開ける。
そこには――。
「うわぁ……っ!」
ミーヴェルは、目の前の光景に言葉を失った。
足を踏み下ろしたのは、冷たい石畳や金属の床などではない。ふかふかの緑の草花が広がり、澄み切った川のせせらぎが聞こえる、どこまでも豊かな自然だった。
だが、その豊かな緑のあちこちに、見たこともない滑らかな銀色で作られた不思議な建物がいくつも建ち並んでいる。
(ガルガントの街の、黒くてゴツゴツした建物とは全然違う……。なんだろう、これ)
まるで空に浮かぶ島のような、自然豊かでありながらもどこか未来的な景色だった。
だが、それ以上にミーヴェルを驚かせたのは、頭上の光景だ。
「ねえ、アイさん! 空の……あの、キラキラとぽつぽつ光ってるのは、なに!?」
地上では、常に空は分厚いナノヘイズの霞や雨雲に覆われていた。だが、雲の遥か上空に位置するこの場所からは、遮るもののない漆黒の空間が広がっている。
『アレハ星ト言イマス。宇宙ト呼バレル果テシナキ空間ニ存在スル、無数ノ星ヤ惑星ガ遠ク離レタ場所カラ光ッテ見エテイルモノデス』
「へー……! 星、かぁ。すっごく綺麗だね……っ」
生まれて初めて見る本物の夜空の美しさに、ミーヴェルが我を忘れてうっとりと見惚れていた――その時だった。
「う、ぐっ……!」
不意に、忘れていた全身の激痛がぶり返し、ミーヴェルはたまらずその場にうずくまって体を抑えた。先程ハンターたちから受けた、無慈悲な暴力のダメージだ。
「ぴいっ、ぴい!」
ルナも心配そうに鼻先を擦り寄せるが、その小さな体も泥と血で汚れ、かすかに震えている。
『個体ミーヴェル、並ビニ随伴生命体ノ著シイバイタル低下ヲ確認。直チニ、メディカルチェックヲ実行シマス』
アイさんの単眼レンズが青色に発光し、柔らかな光の帯がミーヴェルとルナの体を優しく包み込んだ。
『スキャン完了。外傷、及ビ打撲多数。――緊急治療シークエンスヘ移行シマス』
すると、近くにあった銀色の不思議な建物の一部が音もなくスライドし、透明なカプセルのような機械のベッドが現れた。
その傍らには、淡く発光する青色の液体が入った、小さなシリンダーが用意されている。
『コチラノ治療カプセルヘ。ソシテ、コノナノポーションヲ飲ンデクダサイ。地上ノ者ガ使ウ回復薬ヨリモ、遥カニ高度ナ治療効果ガアリマス』
「えっ、ポーション? あ、ありがとう……!」
アイさんに促されるまま、ミーヴェルはルナと一緒にそのふかふかの機械のベッドに横たわり、用意された不思議な青いポーションを口に運んだ。
「え? 嘘!? もう痛くない!?」
体を動かしてみるが、やはり先程まで悲鳴を上げていたはずの全身の痛みが嘘のように消え去っていた。泥や血の汚れまで分解されたように綺麗になくなっている。
「ぴい!」
ルナも、ミーヴェルが飲んだのを確認すると意を決してポーションをぺろぺろと舐めてみた。すると、見事に痛みが消えたらしく、ぴょんぴょんと元気にベッドの上を跳ね回り始めた。
『ココニイレバ、モウ安全ハ保障シマス』
アイさんのその言葉に、ミーヴェルは心からの安堵の息を吐き、治療ポッドの上にへたり込んだ。
――そして、ふと一番の疑問を口にした。
「……そうだ。何故、ボクを助けてくれたの? アイさん、初めからボクの事を知っているような感じだったけど……」
すると、アイさんの大きな球体が空中で静かに回転し、レンズを青色に光らせて、信じられない真実を告げた。
『個体ミーヴェル。アナタハ元々、コノアークポッドニイマシタ』
「え……?」
『今カラ約五百年前。アナタハ、コノ世界ニ蔓延スル致死性ノナノヘイズニ適応スルタメ、コノ施設ノ中デ長イ冷凍睡眠ニ就イテイタノデス。私ハ、ソノ管理AIデアリ、ミーヴェル。アナタヲ守ル任務ニ就イテイマシタ』
「ご、五百年!?」
予想外すぎる途方もないスケールの話に、ミーヴェルは目を丸くして固まった。
しかし、アイさんはミーヴェルの驚きなど意に介さず、淡々と事実を紡いでいく。
『シカシ、約十五年前。コノアークポッドニ規格外ノ落雷ガ直撃シマシタ。耐性電力ヲ超エル膨大ナエネルギーニヨリ、施設ハ深刻ナシステムダウンヲ起コシタノデス』
「十五年前……」
『ハイ。ソノ際、生命維持装置ノ停止カラアナタヲ守ルタメ、システムハ緊急射出ヲ実行。アナタノ入ッタカプセルヲ、地上ヘト投下シマシタ』
ミーヴェルは息を呑んだ。
(それじゃあ……ボクは、その時に地上に落ちて、王様に拾われたんだ)
自分がどうしてドワーフの王様に育てられたのか。何故、人間が自分一人しかいないのか。その理由が、今ここでようやく繋がった。
『本来デアレバ、カプセル内デ睡眠状態ガ保タレル予定デシタ。シカシ、地上ニ着陸後、何ラカノ理由デカプセルノロックガ解放。結果トシテ、アナタハ地上デ成長シ、十五歳ノ少年トナッテイタ……トイウコトデス』




