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4話 無能への裁き


 「……遅いですね」

 

 受付嬢のサリアは、窓の外を見上げた。

 この世界の大気に溶け込む『ナノヘイズ』の影響で、空は常に薄青く霞んでいる。しかし今日の空は、さらに分厚い雨雲に覆われており、どんよりと重く暗く沈んでいた。


 降りしきる雨の音を聞きながら、彼女はふと一人の少年の顔を思い浮かべる。

 彼がこのギルドにやって来たのは、ちょうど一年前のことだ。


 最初は、彼のことが嫌いだった。いや、明確に憎悪さえしていた。かつて世界に大罪をもたらした人間の歴史を知る者なら、誰だってそうなるのは仕方のないことだ。


 初め、偉大なるドワーフの王が人間を保護しているなどという風の噂を聞いた時は、何かの悪い冗談だとしか思えなかった。

 だが、それは紛れもない事実だった。


 王が重い病に伏し、ガルバン王子が代理として政務を代行するようになった直後。少年が王宮から無情にも放逐された時、街の皆が『あの噂は本当だったのだ』と理解したのだ。

 彼がハンターズギルドにやって来たのは、そんな矢先のことだった。


 王宮を追い出されたと聞いていたから、どれほど陰惨な顔をしているのかと思いきや――彼は少し土で汚れてはいたものの、明らかにスラムの孤児とは違う仕立ての良い服を着て、くしゃくしゃの笑顔を向けてきたのだ。

 『仕事をください!』と。

 サリアはひどく戸惑った。

 憎むべき大罪人の人間。だが、目の前にいるのは、ドワーフの子供たちと何一つ変わらない、無邪気であどけないただの少年だったからだ。

 少しだけ、手を差し伸べてあげたい。

 そうサリアが心を動かされかけた、まさにそのタイミングだった。王宮から――正確にはガルバン王子から、ギルドに対して冷酷なお達しが届いたのだ。

 

 『――ミーヴェルという人間種に、一切の便宜を図るな。さらに、街の中で彼に与える仕事は存在しないものとせよ』と。

 ならば、ハンターとしての通常の業務の範囲内でどうにか助けてあげよう。そう思ったが、適性検査の結果はあまりにも残酷だった。彼はドワーフと違い圧倒的に非力で、さらに『魔法』が全く使えないことが分かったのだ。


 この世界に生きる者なら、誰しも大気中のナノヘイズを取り込んで発動することができる魔法。それが、彼には一切使えない。

 一切の便宜を図るな。それはつまり、遠回しな『死刑宣告』と同じ。

 じわじわと、誰にも助けられることなく野垂れ死ぬように仕向けられたのだと、否が応でも理解させられた。

 彼にできることと言えば、結界の内側での安全な薬草採取くらい。それは、ドワーフの子供がお小遣い目的でやるような仕事でしかない。

 それでも彼は、どんなに不遇な目に遭っても決して笑顔を絶やさず、毎日泥まみれになりながら薬草採取の仕事を欠かさなかった。

 

 先日、ミーヴェル君は『内緒だけどね』と、カウンター越しに少し得意げな顔をして教えてくれた。

 「もうすぐ、剣を買えるくらいにお金が貯まりそうなんです!」と。

 その純粋な笑顔を向けられた時、私は心の底から嬉しかった。過酷な一年間の努力が、ようやく一つ報われる時が来そうだと。それと同時に人間という種に対しての偏見はとうに消え去っている事にも気づいた。


 だけど同時に、もし本当に武器を買って魔物と戦うようになったら、また新たな心配の種が増えるな……と、少しだけ親心のようなものを抱いて案じていたのだ。

 ……そんなミーヴェル君が、今日はもうとっくに帰ってきてもいい時間なのに、未だに戻ってこない。

 胸の奥が、嫌な予感でざわつく。

 その時だった。ギルドのスイングドアが乱暴に押し開かれ、見覚えのある三人組のドワーフが上機嫌で入ってきた。昨日の夕方、ミーヴェル君を理不尽に嘲笑っていたハンターたちだ。


 「今日はパーッと行こうぜ!」

 「いいっすねぇ、朝まで飲んじゃいます?」

 「ガッハッハッハ! いやぁ、アイツ結構金持ってやがったな!」


 下劣な笑い声を上げるリーダー格の男の腰元を見た瞬間、サリアの全身に冷たい衝撃が走った。

 男の腰に無造作にぶら下がっていたのは、紐がちぎれかけた、泥に汚れた古びた革袋。

 間違いない。

 ――あの袋は、ミーヴェル君がいつも肌身離さず大事そうに抱えていた『全財産』だ。

 瞬間、サリアは頭の中が真っ白になり、一瞬クラッと目眩を覚えた。

 ――と同時に、ギルド内の温度が急激に下がるような、異様な寒気を肌に感じた。

 

 「――――おい」

 

 重く、地の底から響くような声。

 声の主を見上げた男の一人が、そのままカッと目を見開いて硬直する。

 

 「お前、その袋……なんでお前が持っている」

 

 声を発したのは、ギルド長のバレンだった。彼は能面のように一切の感情が読み取れない、底知れぬほど冷たい瞳で男たちを見下ろしていた。

 

 「な、なんでって……俺の、だけど……」

 「――もう一度聞く。次の返答次第では、貴様ら全員終わりだ」

 

 男たちは、ギルド長と言えども所詮は引退した老いぼれだと、先程までは心の底で舐めてかかっていた。

 だが今、その認識を本気で後悔していた。

 歴戦の戦士から放たれる圧倒的な覇気。視線という名の殺気が突き刺さるだけで、生きたまま心臓を抉り取られるような死の錯覚に陥る。

 

 「ひっ、あ……ぁ……」

 

 バレンは無言のまま、先頭にいた男の髪を乱暴に掴み上げ、自身の眼前にまで顔を引き寄せた。

 

 「はよ、答えんか」

 

 だが、その男はすでに恐怖で白目を剥き、口から泡を吹いて気絶していた。バレンはゴミでも捨てるように男を床へ放り投げると、残されたリーダー格の男へとゆっくり顔を向ける。

 

 「なっ!? なんだよ!? なんなんだよ!? ただの無能者から少し金を巻き上げただけだろうが! 同族じゃねえんだから、別にいいだろ!?」

 「……ミーヴェルは、どこへやった」

 「……っ、結界の外だよ! ルーキーの森の入り口付近に転がしてきた! だけど、たかが無能者一匹じゃねえか!!」


 その言葉を聞いた瞬間、バレンの瞳の奥で決定的な怒りが爆発した。


 「ギルドの規約に、人間から奪っていいなどというルールは書かれておらん。――窃盗は、等しく窃盗だ」


 バレンは冷酷にそう吐き捨てると、青ざめているギルド職員の一人を怒鳴りつけた。


 「おい!!! すぐに衛兵を呼んで来い! 窃盗犯の引き渡しだ!!」

 「りょ、了解です!!」

 

 職員が弾かれたように外へ駆け出そうとした――まさにその時だった。

 「――バレン!!」

 

 ギルドのスイングドアが勢いよく開き、切羽詰まった声でクレインが飛び込んできた。

 彼はギルド内の異常な惨状を確認する間も惜しみ、血相を変えて叫んだ。

 

 「大共鳴は既に発生していた! 先陣を切った魔物の群れが、もう一直線にこっちへ向かってきているぞ!!」

 「――馬鹿な!?」

 

 バレンの顔に、かつてないほどの戦慄が走った。

 大共鳴――それは、多種多様な魔物や半魔と呼ばれる異形の存在が、まるで一つの意思に統率されたかのように共鳴を起こし、一斉に他種族の街へ襲い掛かるという原因不明の大厄災である。

 

 「兆候はあったが、実際に起こるのはまだ先のことだっただろう!?」

 「ああ! 俺もそう思っていた。だが、半魔が魔物の群れを率いて、このガルガントへ一直線に向かってきている! 間違いない!」

 「くそっ……! おい、誰かすぐに王宮へ走れ! 緊急事態だ!!」

 

 バレンの怒号が響き渡り、ギルド内の空気が一瞬にして戦場のそれへと変貌する。

 

 「……ッ!!」

 

 そのやり取りを聞いていたサリアは、ハッとして両手で口元を覆った。バレンもまた、鋭い視線をギルドの入り口――街の外の方角へと向ける。


 「ギ、ギルド長! こいつらはどうしますか!?」


 職員の問いかけに、バレンは気絶している男と、腰を抜かして震えている窃盗犯のハンターたちを、まるで汚物でも見るかのように冷酷に見下ろした。


 「……衛兵への引き渡しは後回しだ。これより、全ハンターを対象とした街の防衛クエストを緊急発令する。――そうだな、お前ら三人は『強制参加』だ。逃げることは許さん」

 「ひっ……! む、無理だ! 大共鳴なんて死んじまう!!」

 「……ん? 『無能者には何をしても良い』んだろう?」

 

 バレンのひどく冷たく、凄惨な声が落ちた。

 

 「俺から見れば、貴様らなど救いようのない『無能』だ。ならば、俺が貴様らに何をしようと文句はあるまい? 違うか? 結界の外で立派な肉壁として街を守れ。――出なければ、今この場で俺が直々に貴様らを殺す」

 

 絶対に逆らえない死の宣告。歴戦の戦士から放たれる本気の殺気を前に、男たちはついに絶望の叫び声を上げてその場に泣き崩れた。

 (……すまない、ミーヴェル)

 バレンは周囲に悟られぬよう、密かに強く拳を握りしめた。

 バレンもまた、あの一生懸命な少年に触れ、人間という種に対する偏見が完全に消え去った大人の一人であった。

 本当なら、今すぐにでも結界の外へ飛び出し、あの理不尽に虐げられた少年を救いに行きたかった。だが、彼はこの街のハンターたちを束ねるギルド長。迫り来る大厄災から数万の民を守るため、個人的な感情で防衛の指揮を放棄することは許されない。

 

 血を吐くような苦渋の決断として、彼は街を守ることを選ぶしかなかった。


 

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