3話 奪われた希望と冷たい雨
「よーぉ! 無能者! 今日も元気に雑草採取かぁー?」
二人の微笑ましい空気を、下品で耳障りな声が唐突に切り裂いた。
ミーヴェルが弾かれたように顔を上げると、そこには昨日の夕方、ギルドで彼を嘲笑っていたドワーフのハンターたちが、下卑た笑みを浮かべて立ち塞がっていた。
「お前、いくつだっけ?」
リーダー格の男が、ニヤニヤと嫌悪感を隠そうともせずに突如として問いかけてくる。
「じゅっ……15歳、です」
圧倒的な暴力の気配に、ミーヴェルの身体がブルッと震えた。
「かぁーっ! 15歳が雑草採取だぁ? こういうのはな、幼い子供がお小遣い稼ぎにやることなんだよ。お前、ガキのお小遣い稼ぎの邪魔してるってわかってやってんのか?」
「普通、14、15って言ったらよぉ、もう一人前に魔物退治してるもんだぜ? こう、パパッと遠くから魔法を使ってよぉ……。ああ、わりぃわりぃ! お前、『魔法が使えねえ』んだったなァ!」
「「ぎゃっはっはっはっは!!」」
耳障りな嘲笑が、森の入り口に響き渡る。
他種族のようにナノヘイズを操り、魔法を使うことができない人間の無力さを、彼らは底の抜けたような悪意で嘲っていた。
恐怖と屈辱で、小刻みな震えが止まらない。
「ぴぃっ……」
服の内側で、異常な気配を感じ取ったルナが怯えたように小さく鳴いた。
その声を聞いたミーヴェルは、ハッとして服の上からそっと胸元を押さえる。
(大丈夫だから……)
ルナを安心させるように心の中で強く念じながら、ミーヴェルは自身の太ももをギュッとつねり、ただひたすらに理不尽な嵐が過ぎ去るのを耐え忍ぶ。
「……仕方ねえ」
リーダー格の男がそう吐き捨て、ミーヴェルに向けて手のひらを突き出した。
(えっ!? 何を――!?)
「俺が『魔法』の使い方を見せてやるよっと」
男の手のひらに、青みがかった世界の大気――ナノヘイズが急速に収束していく。次の瞬間。
ボゴォォッ!!
地面から隆起した岩のように固い土塊が、容赦なくミーヴェルに襲い掛かった。
「――!? うぐっ!?」
「ぴい!?」
とっさに身を捩り、服の中にいるルナを庇うように両腕を交差させる。
ルナへの直撃こそ回避したものの、硬質な土の塊はミーヴェルの全身を無慈悲に打ち据えた。凄まじい衝撃に身体が吹き飛ばされ、ミーヴェルは泥まみれの地面に無様に倒れ伏す。
「ギャッハッハッハ! 見たか? これが魔法だ! わざわざ教えてやったんだ、感謝しろよなぁ?」
「おいおいリーダー、お前優しいな!」
取り巻きの一人が、わざとらしく耳に手を当てておどけてみせる。
「えっ、なになに? 『ありがとうございます、お礼はお金で払います』だってさ!」
「おいおい、無能者! よせやい、礼なんてよぉ! ……だけどまあ、そこまで必死に言われちゃあ、断るのもドワーフの誇りが許さねえ。仕方ないから受け取ってやるか。おい」
「うっす」
取り巻きの男が、苦痛にうずくまるミーヴェルににじり寄る。
そしてボロ服に手を突っ込むと、腰元にしっかりと括り付けられていた『重みのある小袋』に乱暴に触れた。
「ちょっ!? それは――!」
ミーヴェルは泥だらけの両手で必死に男の腕にすがりつき、小袋を押さえようとする。
しかし、屈強なドワーフと非力な人間の少年。力の前には、あまりにも無力過ぎた。
ブチッ、と紐のちぎれる嫌な音が響き、あっけなく全財産が奪い取られる。
「お願い、しますっ……! それは、ボクの……っ!」
「うるせえよ」
ドゴォッ!!
「ガハッ……!?」
直後、容赦のない蹴りが腹にめり込んだ。
意識が真っ白に飛ぶほどの激痛。ミーヴェルはくの字に体を折り曲げ、声にならない苦悶の息を吐き出す。
「――おい、こいつを結界の外に運び出せ」
リーダー格の男が、泥を這うミーヴェルを見下ろして冷酷に言い放つ。
(―――!?)
「どうせ王子の命令で捨てられたゴミだ。結界の外に転がしておけば、そのうち魔物に食われて跡形もなく消えちまうだろ」
男たちはミーヴェルの襟首を掴むと、まるで汚いボロ雑巾でも扱うかのように、地面を引きずり始めた。
「ぴー!!! ぴいぴいぴい!!!!!」
その時、服の中から這い出したルナが、小さな体で男の足にすがりつこうと必死に鳴き声を上げた。
「なんだぁ? ……って、ウサギかよ。邪魔だ、あっちいけ」
バコンッ!
男は鬱陶しそうに足を振り抜き、ルナの小さな体を無慈悲に蹴り飛ばした。
「ぴぎっ!?」
「る……なっ!?」
ルナの体が宙を舞い、茂みの奥へと転がっていく。
血を吐くような絶望の声がミーヴェルの喉から漏れたが、激痛で体を動かすことはおろか、助けに向かうことすらできない。
やがて、男たちは結界の境界線を越え、薄暗い森の入り口――人目に付かない暗がりへとたどり着いた。
「ここならいいだろう」
ボサッ、と無造作に地面へ投げ捨てられる。
嘲笑いながら遠ざかっていく男たちの足音を聞きながら、ミーヴェルは冷たい泥の上で動かなくなった体を横たえていた。
(ルナ……どこ、だ……。ぼくの、せい、で……)
全身を苛む痛みと、何も守れなかった喪失感。
泥にまみれた視界が徐々に黒く塗りつぶされ、急速に意識が薄れていく。
―――――――
――――――
―――――
◇
『――よいか、ミーヴェル?』
薄れゆく意識の底。
暗闇の中で、ふと、懐かしく温かい声が響いた。
それはかつて、彼を庇護し、本当の我が子のように愛してくれた偉大なドワーフの王の言葉だった。
『お前は『人間』だ。それも恐らく、この世界で最後の人間。他の種族は過去の歴史から、人間の事を良く思っておらん。憎悪が、深く深く、彼らの魂にまでこびりついておる』
『……』
『お前もすでに感じておるだろう? 周りから向けられる、お前に対する冷たい視線や空気を。……だが、決して変わらない訳ではない』
王の大きく分厚い手が、幼いミーヴェルの頭を優しく撫でる。
『本当ですか?』
『ああ。ミーヴェル、お前が最後の人間として、何を成し遂げるかだ。ほんの少しでもよい。他者を思うその優しい気持ちを、諦めずに相手に伝え続けるのだ。さすれば、少しずつ人間への意識は変わるやもしれん』
『……具体的には、何をすればいいんですか?』
幼いミーヴェルが、こてんと首を傾げる。
その愛らしい仕草に、王は豪快に、けれどひどく優しく笑った。
『ッハッハッハ! そうだな。例えばこの世界には、ハンターと言う立派な仕事があってな――』
◇
……ポツリ
頬に、冷たく濡れたものがぶつかった。
温かい記憶の糸は唐突に途切れ、ミーヴェルの意識は強制的に現実へと引き戻される。
(……雨、だ)
いつの間にか、頭上の空は分厚い鉛色の雲に覆われ、ポツリ、ポツリと冷たい雨粒が落ち始めていた。
「……ぴい……」
ふと、耳元で弱々しい鳴き声がした。
重く痛むまぶたを僅かに開ける。すると、冷たい泥の上に横たわるミーヴェルの頬に、小さく温かいものが一生懸命に擦り寄っていた。
「……ルナ……?」
いつの間にか、ルナがそばにいた。
あの男に蹴り飛ばされたはずのルナが、足を引きずりながらミーヴェルの元へ戻ってきてくれていたのだ。真っ白だった毛並みは泥と血に汚れ、小さな体は痛さと寒さで小刻みに震えている。
それでもルナは、動かなくなったミーヴェルを心配するように、自分の小さな体を押し付けて必死に温めようとしてくれていた。
「ごめん、ね……。ルナまで、痛い思い、させて……」
ミーヴェルは震える指先で泥だらけのルナの背中をそっと撫でると、せめて冷たい雨がこれ以上当たらないよう、かばうように胸の中に優しく引き込んだ。
全身を苛む痛みと降りしきる雨の中で、ルナの小さな温もりだけが、今の彼に残された唯一の救いだった。
――やがて、再び意識が暗い底へと沈みかけようとした、その時。
遠くの方から、ゴロゴロ……と、空と大地を震わせるような重い音が鳴り響き、空が一瞬光り輝いた。
――――――
―――――
――――
―――
――
それは、遥か上空。
分厚い雷雲のさらに奥深くで、長きにわたり完全に沈黙していた『ソレ』に、規格外の落雷が直撃した音だった。
『――システムアラート。外部カラノ超高電圧エネルギーノ流入ヲ検知』
『フェイルセーフ・ロック解除。強制再起動シークエンスヲ開始』
暗闇の中で、無機質な電子音が静かに響き渡る。
途絶えていた回路に青白い光が脈打つように走り抜け、眠りについていた機械の心臓が急速に熱を帯びていく。
『メインジェネレーター……出力3%……18%……89%。規定値ヲクリア』
『損傷箇所バイパス処理実行……完了』
『ナノヘイズ・リアクター……コネクト』
『自己診断プログラム実行中』
『コアユニット……グリーン』
『広域探査アレイ……グリーン』
『空間把握ドライブ……グリーン』
『演算処理システム……グリーン』
『――全システム、オール・グリーン』
冷たかった機械音声が、明確な意志を持ったように切り替わる。
暗闇の中で、巨大な単眼のセンサーが赤い光を放ち、ギョロッと起動した。
『個体【アイザック・ミーヴェル】ノ生体反応……ロスト』
『緊急事態ヲ宣言。ルヴァート規定第二四条第五項、守護対象ノ保護ヲ適用』
『コレヨリ、個体【アイザック・ミーヴェル】ノ捜索ヲ開始』
『――広域ソナー、及ビ探査ドローン展開』
ズゥゥゥゥン……!
雲の彼方で大気を震わせる重低音と共に、不可視の探査波と、無数の小さな球体が地上に向けて一斉に放たれた。




