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2話 束の間の朝と、小さな相棒


 馬小屋の隙間から、薄っすらと朝の光が差し込む頃。

 ミーヴェルはぱちりと目を開け、冷えた藁のベッドからむくっと起き上がった。

 

 「……よしっ」

 

 天高く背伸びをして気合を入れると、バレンとの約束通り、誰の目にもつかないうちにそっと馬小屋を後にした。

 街の門を抜け、振り返る。

 そこには天を突くような巨大な防壁と、堅牢な黒鉄の門がそびえ立っていた。ドワーフ王国『ガルガント』。彼らはモノづくりと戦いをこよなく愛する種族だ。旧文明の遺跡を利用して築かれたという巨大な都市の奥からは、すでに青黒い排煙が立ち昇り始めている。これから街全体が、熱気と活気に満ちていくのだろう。

 目的である『銀晶草』の群生地に着く頃には、青みがかった朝日が荒野の地平線から完全に姿を現していた。

 ミーヴェルは、正式なハンターではない。

 ハンターを名乗るには、下級魔物を一人で討伐する試験に合格しなければならない。しかし、非力な人間である彼には戦いの才能など微塵もない。そのため、こうして子供でもできる常駐クエストである安全な薬草採集をこなし、日銭を稼いでいるのだ。

 

 「っと、着いた。いるかな……おーい、ルナー!」

 

 銀晶草の茂みに向かって声を掛ける。すると。

 

 「ピー!」

 

 茂みの一部から、ひょっこりと小さな顔が出た。そして呼んだ相手がミーヴェルだと分かると、草を掻き分けて一直線に向かってくる。

 

 「おはよう、ルナ」

 「ぴ!」

 

 ミーヴェルの足元で愛らしく鳴いたのは、手のひらサイズのまん丸なウサギだった。真っ白な毛並みをしており、ピンと立った耳だけが銀色に透けているのが特徴的な、この辺りの野生生物だ。

 ある日、銀晶草の採取中に一休みしていたところへひょっこり現れ、それ以来すっかり懐いてしまったのだ。

 理不尽で過酷な日々の中で、この小さなルナの存在にどれほど心が救われているか。ミーヴェルは幾度となくそう感じていた。

 

 「朝ご飯は食べた?」

 「ぴーい」

 

 ルナはふるふると首を振る。

 

 「そっか。実は昨日、バレンさんからパンを貰ったんだ。いっしょに食べよう」

 「ぴー!」

 

 昨日バレンから貰ったパンは、ルナと一緒に食べようと決めて半分残してあった。

 小さくちぎって分け与えると、ルナは器用に両手で掴み、嬉しそうにもぐもぐと食べ始める。

 その愛くるしい姿に顔をほころばせながら、ミーヴェルも自分の分のパンを口に運んだ。

 食べ終わると、「さてっ、今日も頑張るか」と気合を入れて立ち上がる。

 その拍子に、ルナもぴょんと跳ねてミーヴェルの肩に定位置のように飛び乗った。

 

 「今日はどの辺りにあるかな」

 「ぴっ」

 

 ルナが鼻先をツンと動かし、ある方角を指し示す。

 

 「ありがとう」

 ルナの指し示した茂みを掻き分けると、そこには手付かずの新たな『銀晶草』が群生していた。

 美しいその名の通り、透き通るような銀色の葉を持つ薬草だ。これを調合することで、ハンターたちの命を繋ぐ回復ポーションの材料となる。

 ミーヴェルが泥で膝を汚しながら一生懸命に採取していると、不意に頭上からふわりと影が差した。

 

 「今日も精が出るな、ミーヴェル」

 「あっ……クレインさん! おはようございます」

 「ああ、おはよう。それと、そこのチビウサギもな」

 「ぴー!」

 

 優しく声をかけてきた男の名は、クレイン。

 一年程前、ミーヴェルがこの生活を始めたのと同時期にガルガント支部にやって来た男だ。ハンターズギルドの中でも一目置かれる実力を持つ上位ハンターであり、この街で数少ない、ミーヴェルを『大罪人の人間』として見下さず、対等に接してくれる心優しい人の一人。

 その身を包むのは、鈍色の輝きを放つ堅牢な装甲。背には、旧文明の遺物を加工したという複雑な魔導機構が組み込まれた大剣が背負われている。手入れの行き届いたその重厚な武装と、随所に刻まれた無数の傷跡が、彼がどれほどの修羅場を潜り抜けてきた強者であるかを静かに物語っていた。


 「これから魔物退治ですか?」

 ミーヴェルはぱちりと目を瞬かせ、ハンターへの憧れを隠しきれないキラキラとした羨望の眼差しを向けた。

 「いや、今日は周辺の調査だ」

 「調査……ですか?」


 首を傾げるミーヴェルに、クレインは少しだけ険しい顔つきになって声を潜めた。


 「ああ。最近、魔物たちの動きが異常に活発になりつつあるんだ。ここは王国の強固な結界が張ってあるから、ミーヴェル、お前は気づかないかもしれんがな。……結界の外に出ると、普段この浅い層にはいないはずの上位の魔物が、やけに多く見られるようになった」

 「そうなんですか……」

 

 分かったような、分からないような。そんな疑問が顔に出ていたのだろうか。クレインはふっと口元を緩ませた。

 

 「まあミーヴェル、お前も周辺には気を付けろよ。そのチビウサギもな」

 「はい! ありがとうございます」

 「ぴ!」

 

 クレインは軽く手を上げ、重厚な装甲を鳴らしながら荒野の奥へと足早に去っていった。

 

 「魔物、かぁ……」

 平和な結界の内側で、実際に生きた魔物を見たことがないミーヴェルには、気を付けろと言われてもいまいち実感が湧かない。

 だが、恩人であるクレインに言われた以上、ミーヴェルは「なんとなくだが」周囲をキョロキョロと警戒しつつ採取を続けることにした。しかし、風に揺れる銀晶草とルナの愛らしい鳴き声以外、結局いつもと変わらない平和な時間が過ぎていくだけだった―――はずだった。

 

 ◇

 

 「あー……気に入らねえ!」

 

 薄暗い裏路地で、男の一人が苛立たしげに壁を蹴り飛ばした。

 

 「なんだよバレンの奴。たかが人間のガキ一匹庇いやがって」

 「全くだ。一年ほど前まで王様の召使いとして王宮で保護されてたからって、いつまでも特別扱いしやがってよ」


 忌々しげに地面へ唾を吐き捨てる。


 「ケッ、その偉大な王様も今は重い病に倒れて寝たきりだ。今はガルバン王子様が代理で王位に就いて、この国を仕切ってるじゃねえか」

 「ああ。王子様は人間が大嫌いだからな。王様が病床で寝込んでいる隙に、あの気味の悪いガキを王宮からスラムへ放逐してくれたのは最高の傑作だったぜ」

 

 下品な笑い声を上げる男たち。だが、やがてリーダー格の男がニヤリと卑しい笑みを浮かべて声を潜めた。

 「……それにしてもよ。あいつ、ギルドでもらった銅貨や銀貨をいつも大事そうに袋に入れて、肌身離さず全財産持ち歩いてるよな?」

 「ああ、確かに。ボロ切れみたいな服の奥に、いつも小袋を隠し持ってたな」

 「あいつ、毎日一人で街の外へ薬草採取に行ってるだろ? ――明日あたり、ちょっと痛い目見せて、あの小袋ごとパクっちまうか?」


 その提案に、他の男たちの顔にも醜い欲望の笑みが広がった。


 「げへへ、そいつはいい。どうせ王子の命令で捨てられたゴミだ。誰も文句は言わねえし、魔物にやられたってことにすりゃあ丸く収まる、それに酒代も入るし一石二鳥」

 「決まりだな。明日の朝、あのガキが街を出たところを狙うぞ」

 

 大罪人の人間から金を巻き上げるなど、彼らにとっては正当な娯楽でしかない。男たちは暗い裏路地で、明日の獲物――ミーヴェルから全てを奪うための悪巧みで盛り上がっていた。

 

 ◇

 

 「おー、今日はもうこんなに集まった。まだお昼だっていうのに」

 「ぴーっ……」

 

 ミーヴェルが動くたびに肩の上は居心地が悪かったのか、ルナはいつの間にかミーヴェルの服の内側へと潜り込んでいた。首元に小さな爪を引っ掛け、うつらうつらと船を漕ぎながら適当な相槌を打つルナの姿に、ミーヴェルは思わずふき出してしまう。

 ミーヴェルもミーヴェルで、しゃがんで作業をするたびに首元がモコモコと動くので、なんとなく温かくて心地よかった。

 ふうと息を吐き、地べたに座って少し休憩することにする。

 

 「今日はいくらもらえるかなぁ? これだけあったら、もしかしたら今日は銀貨二枚もらえるかも! そうなったら、いよいよ剣を買えるかもしれないな」

 「……ぴい?」

 

 ルナが服の襟口からひょっこりと顔を出し、まるで「魔物と戦うの? 危ないよ?」とでも言わんばかりにジト目で見つめてくる。そして、心配するようにその透き通った銀色の耳で、ミーヴェルの頬をペシペシと叩いた。

 

 「ははっ、痛いってば。でもさ、魔物を倒して手に入る『核』は、武具を加工する時の燃料になったりするし、持ち帰った素材がそのまま装備や薬の材料になる魔物もいるんだって。そうなったらもっとたくさん稼げるようになって……ルナと毎日、おいしいご飯が食べられるかもしれないよ?」

 「――ぴぃー!!」

 

 『おいしいご飯』という言葉を聞いた途端、ルナは目を輝かせ、さっきまでの心配はどこへやらとばかりに現金な鳴き声を上げた。

 そのあどけない姿に、ミーヴェルが声を上げて笑おうとした――まさにその時。

 

 「よーぉ! 無能者! 今日も元気に雑草採取かぁー?」

 

 二人の微笑ましい空気を、下品で耳障りな声が唐突に切り裂いた。

 

 「え……?」

 

 茂みの奥から、草木を乱暴に踏み荒らす足音が近づいてくる。

 ミーヴェルが弾かれたように顔を上げると、そこには昨日の夕方、ギルドで彼を嘲笑っていたドワーフのハンターたちが、下卑た笑みを浮かべて立ち塞がっていた。


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