1話 ミーヴェル
降りしきる豪雨。天地を揺るがす雷鳴。
その日、ドワーフの王は魔物を討伐するため、自ら兵を率いて辺境の地へと足を踏み入れていた。
大地を赤く染め上げる、幾多の魔物と誇り高き戦士たちの躯。その凄惨な光景が、先の戦いの熾烈さを否応なく物語っている。
生き残った軍が撤収を始めようとした――その時。
ズガァァァァンッ!!
先ほどまでの雷鳴とは違う、耳をつんざくような轟音が響き渡った。
「おい……! 空を見ろ、あれは!?」
兵士の一人が天を指差す。
分厚い雨雲を突き破り、空から『隕石のような何か』が一直線に落下してくる。
「王よ! お下がりください!」
やがて、それは凄まじい衝撃と共に大地を抉り、王たちの眼前に降り立った。
もうもうと舞い上がる土煙が晴れた後に姿を現したのは、未知の金属で覆われた硬質な物体だった。
「……なんだ、あれは?」
兵士たちが一斉に武器を構え、王を庇うように強固な壁を作る。
緊迫した空気が張り詰めた。
だが。
『――オギャア、オギャア』
その硬質な物体から聞こえてきたのは、恐ろしい魔物の咆哮などではなく。
か細く、無力な『赤ん坊の泣き声』だった。
予想外の事態に、その場にいた全員が弾かれたように言葉を失う。
王は硬直する兵士たちを掻き分け、ゆっくりとその物体へと近づいていく。
やがて、未知の金属で出来た扉が、プシュゥッと白い蒸気を吐き出して開かれた。
「おぎゃあ、おぎゃあ」
中には、青い金糸の模様が入った毛布にくるまれた赤子の姿があった。
一見すれば、ただの無力な赤子にしか見えない。だが――。
「なっ……ナノヘイズの揺らぎが無い!? それにこの特徴、まさか……!」
「人間!?」
「馬鹿な!?」
「何故ここに!? とっくの昔に絶滅したはずでは!?」
赤子の正体に気づいた途端、皆が一斉にどよめき、騒ぎ立てる。
「静まれ」
低く、しかし絶対的な王の声が響き渡った。
王がゆっくりとカプセルの中を覗き込むと、それまで泣きじゃくっていた赤子がピタリと泣き止んだ。
赤子は純真な瞳で、目の前の厳めしい顔をじっと見つめ――やがて無邪気に「キャッキャ」と笑い声を上げたのだ。小さな手を伸ばし、王の分厚い指をギュッと握りしめる。
そのあどけない姿に、王はふっと口元を緩ませた。
「――連れて帰るぞ」
「なっ……!? 王よ! 正気ですか!? 世界に大罪をもたらした『人間』ですぞ!?」
激昂し、剣を握り直す兵士を、王は静かに手で制止する。
そして、カプセルの中の赤子をその太い腕でそっと抱き上げると、誰にも反論を許さない威厳をもって言い放った。
「赤子に、罪はない」
そう告げ、踵を返して帰還の途につこうとした王は――ふと足を止め、無言で天を仰いだ。
鋭い眼差しで空の深淵を静かに見据え、思案するように目を細める。
だが、王は何も語ることはなく、ただ腕の中の小さな命を庇うようにして、雨の中を歩き出した。
◇
あれから――15年の月日が流れた
ドンッ!!
「うっ……!?」
理不尽なほどの強い力で肩をぶつけられ、少年は勢いよく泥水の中に倒れ込んだ。
「邪魔だ、無能者が」
「すっ、すみません……」
ガタイの良いドワーフの男が、路傍の石でも蹴り飛ばしたかのように吐き捨て、そのまま通り過ぎていく。
少年は呻き声を殺し、泥にまみれた手で、落としてしまった『銀晶草』の束を拾い集めた。
転んで痛む箇所を庇いながら、とある場所へと足を向ける。
スイングドアを押し開けると、冷たく鋭い視線が、一斉に少年へと突き刺さった。
嘲笑、蔑み、そして明らかな嫌悪。
少年は身を縮めるようにうつむきがちになりながら、足早に受付カウンターへと向かった。
「あの……これ」
少年は、泥を払った銀晶草の束を、受付の女性へとそっと差し出した。
「――大丈夫? ミーヴェル君」
受付嬢のサリアは、泥だらけになった彼の姿を見て、悲しげな表情を浮かべた。
少年――ミーヴェルは、痛む体を悟らせまいと、気丈にふっと笑みを作る。
「はい、大丈夫です。お気遣いありがとうございます、サリアさん」
擦り切れたボロ布のような服を着て、顔には泥と痣。
しかし、その言葉遣いや所作はどこか洗練されており、酷く礼儀正しい。事情を知らない者が見れば、そのひどくちぐはぐな様子に強烈な違和感を覚える。
サリアは痛ましそうに目を伏せた後、そっと小さなため息をつき、受付嬢としての笑みを浮かべ直した。
「……はい。銀晶草が20束で、銀貨1枚です。今日もすごいですね! お疲れ様、ミーヴェル君」
「ありがとうございます!」
ミーヴェルは泥だらけの顔をほころばせ、心の底からの明るい笑顔をサリアに向けた。
過酷な扱いを受けても決して腐らないその曇りのない笑顔に、彼女はなんともいたたまれない気持ちになり、カウンターの下でギュッと拳を握りしめた。
「ぎゃははは! あんだけ集めて銀貨1枚だってよ。まあ、底辺の無能者にはお似合いか!」
「ちげえねえ! 泥水でもすすってろ!」
下品な嘲笑がギルド内に響き渡る。
サリアは悔しげに唇を噛みしめた。上の命令で彼が底辺に落とされている以上、一介の受付嬢である彼女には、公然と彼らを叱り飛ばしてミーヴェルを庇うことができないのだ。
「――おい、お前ら」
その時、ギルド奥の扉が開き、ドスの効いた野太い声が響いた。
姿を現したのは、丸太のように太い腕に無数の『古い傷跡』を残した、白髭の屈強なドワーフの男だった。
ギルド長、バレン。
歴戦の凄みを持つ彼の登場に、ギルド内の空気が一瞬にして凍りつく。
「こいつをバカにするのは勝手だがな……。おい、お前。その腰に提げてる瓶はなんだ?」
「ひっ……な、なにって。回復用のポーションっすよ」
バレンに鋭く睨みつけられ、男は怯えながら腰の小瓶を押さえた。
「ああ、そうだな。それで、ポーションの原材料はなんだ?」
「え……?」
男は戸惑い、やがてハッとしてミーヴェルの足元――納品されたばかりの薬草へと視線を落とした。
「『え?』じゃねえよ。言ってみろ」
「――銀晶草、っすね」
「そうだな。じゃあ、この小僧が泥まみれになって持ってきた物があるから、お前らは安心してハンター稼業ができてるんじゃねえのか?」
ぐうの音も出ない正論に、男たちは顔を引きつらせて一度は押し黙る。
……が、やがて苛立ちを隠せない一人の男が、噛み付くように声を上げた。
「……ギルド長は、ガルバン王子の命令に背くってことっすか? こいつは人間だ。かつて俺たちドワーフだけじゃねえ、エルフや獣人だって殺戮しまくった大罪人だ。その肩を持つって言うんすか?」
「……そうは言ってねぇ。俺も、かつての人間が大罪を犯したって歴史を否定するつもりはねえ」
バレンは低く、地を這うような声で凄んだ。
「だがな、コイツは毎日大量に泥まみれになりながら薬草を採取して、確実にお前らの命を繋ぐ助けになってる。違うか? 王子の命令に背いてる訳じゃねえ。ただ、必死に役目を果たしてる奴を理不尽に虐げるような真似に――お前ら、ドワーフとしての『誇り』はねえのかって言ってんだ」
ギルド長という立場上、現在の実質的な支配者であるガルバン王子の決定と、この世界に深く根付く『人間への憎悪』を真っ向から否定することはできない。だからこそ、バレンはあくまで「ハンターとしての筋」を盾にして男たちを諭したのだ。
「――ッチ。冷めたわ」
バレンの気迫に圧された男は、うつむくミーヴェルを忌々しげにひと睨みすると、乱暴に舌打ちをしてギルドを出て行った。
取り巻きの男たちもそそくさと後に続き、騒がしかった酒場は一気に閑散とする。
残されたミーヴェルは、ただじっとうつむき続けていた。
「……すみません」
やがて、消え入るような声が落ちる。
「何がだ?」
「いえ……ボクがここにいるから、皆の迷惑になっているような気がして」
その弱々しい言葉に、バレンはふいっと視線を逸らし、押し黙った。
彼の問いに直接答えることはできない。上の監視がある以上、彼を大手を振って保護してやることはできないという、大人としての不甲斐なさを噛み殺すように。
やがて、バレンは短く尋ねた。
「今日の寝床は? いつもの路地裏か?」
その言葉に、ミーヴェルはゆっくりと顔を上げた。これ以上バレンに心配をかけまいとするように、無理に小さな笑みを作ってみせる。
「――はい」
「……ついてこい」
◇
「悪いな、此処しかねえんだが」
そう言って案内された場所は、ギルドの裏手にある馬小屋だった。
土と藁と獣の匂いが混じる薄暗い空間。だが、雨を凌げる立派な屋根があり、冷え切った石畳の路地裏よりはずっとマシな場所だ。
「とんでもないです……! 雨風が凌げるだけで、ボクには十分すぎるくらいです。ありがとうございます、バレンさん」
ミーヴェルが屈託のない笑顔を向けると、バレンはそれ以上何も言えず、ギリッと強く握りこぶしを作って背を向けた。
そのまま無言で去っていく彼の背中を見送り、ミーヴェルはホッと息をついて冷えた藁の中に身を預ける。
粗末な袋をあさり、中から木の実を数粒取り出して口に運ぶ。育ち盛りの少年の胃袋を満たすには、圧倒的に足りない。
その時――。
「……おい」
不意に声がして顔を上げると、そこには再びバレンが戻ってきていた。
彼はぶっきらぼうに、紙に包まれた何かを放り投げる。
「わっ……と。なんですか、これ?」
「そんな木の実じゃ、腹は膨れねえだろう」
受け取った紙包みを広げると、そこにはまだ温かく、香ばしい匂いのする大きなパンが入っていた。
「えっ、良いんですか!?」
「ああ。……にしてもお前、金をこつこつ貯めてんのは知ってるが、一体何に使うつもりなんだ?」
バレンは訝しげな表情を浮かべ、ミーヴェルの顔をじっと見つめた。
「はい! 王様が言ってました。魔物を狩るハンターは、人を助けてお金も稼げる立派な仕事だって。だからボクもお金を貯めて武器を買って、誰かの役に立てば……その。いつかみんなも、ボクの事を……」
「……っ、ああ、いい。分かった」
それ以上言わせるのが酷だったのか。バレンは痛ましそうに顔を歪め、言葉を遮るように低く唸った。
「だがな、お前。何をするにしても、まずは飯を食わねえと力が出ねえぞ」
「……はい」
ミーヴェルは申し訳なさそうにシュンとうつむく。
「まあいい、食え。それと……悪いが、夜が明ける前には」
「はい、分かっています。誰かが来る前にここから出て行きます。……本当に、ありがとうございます」
深く頭を下げるミーヴェルに、バレンは「――ああ」とだけ低く返し、今度こそ振り返らずに足早に去っていった。




