17話 アークポッドでの目覚め
天が漆黒に染まる静寂。
空に浮かぶ物体は、眼下の凄惨な明かりに目もくれず、一直線に“ある場所”へと向かっていた。
眼下では、冷たい雨と泥に塗れ、血に染まった夥しい数の魔物の死骸を、疲労困憊のドワーフたちが黙々と後片付けしている。
それに目もくれず、ただ静かに夜の闇を滑空する。
無音のまま飛ぶその単眼レンズには、はっきりと、巨大な建造物をすっぽりと覆う『緑色に輝く薄い膜』が映し出されていた。
『スキャン――――エコーノ核ニ反応スルバリアト判定』
だがその物体は、波紋一つ立てることなく幽霊のようにそれをすり抜け、ある高い場所へと接近した。
重厚なガラス窓の向こう。そこには、豪奢なベッドで静かに眠る老体の姿があった。
『――――オーバーライド』
この世界の大気中、いかなる場所にも常に偏在しているナノヘイズ。その見えない粒子の構造に直接干渉して操作すると、窓の内側の物理ロックがカシャリとひとりでに解除された。
ゆっくりと窓を開き、冷たい夜風と共に寝室へと侵入する。
ベッドに横たわっているのは、かつて戦士として鍛え上げられたであろう名残を感じさせる、老いたドワーフだった。
穏やかな眠りの中にあっても、その顔はひどく土気色に沈んでおり、若干の苦悶の表情を浮かべながら浅い呼吸を繰り返している。
老体の胸元へ静かに降下すると、何かを当てるように、青白いスキャン光を帯状に照射した。
ピピッ――。
静寂に包まれた寝室に、冷徹な機械音声が弾き出される。
『―――――――――――――毒物検出』
◇
「た、助かった……」
「生き残ったのか、俺達?」
「いや――逆にもう死んでるかも知んねえぞ?」
「「「ギャッハッハッハ!」」」
荒野を移動する三人組のドワーフは、下劣な笑い声を上げていた。彼らは以前、ミーヴェルを散々嬲り、絶望の淵へと追いやった張本人たちである。
戦いの混乱に乗じて、血の海に沈んだ同胞たちの遺体の中から金目のものや使えそうな装備をひっぺがし、まんまとここまで逃げてきていた。
「今ならシーバスの警備も手薄だ!」
「いっちょ船をパクって、エルフの国に行ってみねえか?」
「いいねえ! あっちには美人が多いって聞くぜ!」
荒野を歩く彼らの姿を、高い夜空から見下ろす存在があった。
その単眼レンズが、青色から、対象を排除すべき脅威と認識する赤色へと不気味に明滅した。
『ミーヴェルヲ嘲笑イ、嬲リ、死スル直前マデ追イ落トシタ貴様ラニ――――明日ハ無イ』
物体は、彼の脳内データをスキャンしていた。
これまでの過酷な人生の中で、彼に確かな温もりを与えてくれた一部の亜人たちの鮮明な記憶。
そして――彼をゴミのように扱い、あざ笑った者たちの記憶も、当然すべて抽出・記録済みであった。
眼下の荒野。三人のすぐ近くには、先の激戦から逃げ出し、極限まで腹を空かせた魔物の残党が一体潜んでいた。
『――――オーバーライド』
空間に偏在するナノヘイズに干渉し、三人の足元を強制的に操作・硬質化させる。
「なんだっ、急に体が!?」
「動かねえっ! 足が地面に張り付いて……ッ!」
「おい、ちょっと待て! あれ!? オーク!?」
見えない力に縫い留められ、完全に身動きが取れなくなった三人の前に、血走った目をしたオークがヨダレを垂らしながら現れる。
「グオォォォォォォォォッ!!!」
「ひっ……やめ、やめろおおおおおっ!?」
「「「ぎゃあああああああああああっ!!!」」」
荒野の闇夜に、下劣な男たちの断末魔が短く響き渡る。
それを最後まで確認することもなく、赤く光る球体は静かに、少年の眠る空へと帰っていった。
◇
「ええっ!?」
「ぴいっ!?」
翌朝。
ミーヴェルは重い瞼を擦りながら、のそのそと体を起こした。
本来の彼であれば、目覚めた瞬間にぱちりと目を開け、素早く周囲の安全を確認するのが日常であった。理不尽な暴力が溢れる街の路地裏や馬小屋で生き抜くために、体に染み付いた防衛本能だ。
だが、昨日の常軌を逸した疲労が、その習性を完全に凌駕していたらしい。
遅れて自分がアークポッドの柔らかなベッドにいることを思い出し、慌てて周囲を確認して、ほっと安堵の息を吐く。
そして、ふと窓の外を見上げた瞬間――寝起き早々、一気に覚醒して素っ頓狂な声を上げたのだった。
ミーヴェルの突然の大声に驚き、一緒に寝ていたルナまでもが弾かれたように悲鳴を上げる。
『オハヨウゴザイマス、ミーヴェル。ソンナニ大声ヲ上ゲテ、ドウシマシタカ?』
シュッ、と滑らかな音を立てて扉が開かれ、まるで待機していたかのようにすぐさま入ってきたアイ。ミーヴェルは、目を見開きながら窓の外を指差した。
「あ、あれ! なにあれ!?」
ミーヴェルが指さした先。窓の向こう側に広がっていたのは――。
『空デス』
「そ、空!? 空って、もっと薄暗くて、いつもモヤモヤ霞んでるものじゃ……!?」
ミーヴェルの知る空といえば、常に分厚い雨雲とナノヘイズに覆われた、どんよりとした鉛色の天井でしかなかった。あのように果てしなく青く、眩しいほどに透き通った空間など、生まれてこの方一度も見たことがない。
『地上ノ空ハ、常ニ大気中ノナノヘイズト雲ニ遮ラレテイマス。――――デスガ、ソレラノ遥カ上空ニ位置スルコノ場所カラ見エル景色コソガ、本来ノ澄ミ切ッタ青空ナノデス』
なんの誇張もない、ただの事実。だが、この奇跡のような絶景を前にして淡々と語るアイの無機質な声は、ミーヴェルには「なんてことはない、いつもの景色だよ」と言っているように聞こえた。
「へぇーっなんか、見てるだけで心がスッキリする感じがする……かも?」
「ぴー!」
「ルナもそう思う?」
「ぴっ!」
「だよねえー」
肩にひょいっと飛び乗ってきたルナと顔を見合わせ、ミーヴェルは朗らかに笑い合う。
『アークポッドニイレバ、イツデモ本当ノ空ヲ見ラレマス。――――ソレヨリ、マズハ朝食ニシマショウ。コチラヘ』
アイの球体がクルリと反転し、食堂へと二人の案内を始める。
フワフワと浮遊して先導するアイの後ろを、ミーヴェルはルナを抱えたままおずおずとついて行った。
◇
「ひろっ!」
案内された場所に足を踏み入れた瞬間、ミーヴェルは思わず感嘆の声を漏らした。
そこは、彼が知る薄暗く騒がしいギルドの酒場兼食堂とはまるで違う、百人はゆうに収容できそうな広大な空間であった。
純白で統一された清潔な内装。そして一面を覆う巨大なガラス窓からは眩しいほどの陽光が差し込み、外に広がる自然の緑と見事に調和して、まるで計算し尽くされた絵画のような美しさを漂わせている。
『折角デスカラ、窓側ノ席デノ御食事ハ如何デスカ?』
「う、うん」
あまりの綺麗さに少しおどおどしながら、ミーヴェルは促されるまま窓際の席に着いた。
キョロキョロと落ち着きなく周囲を見回すと、昨夜食事を運んできたあの銀色の人型ロボットたちが、無音で清掃や配膳の準備をして立ち働いているのが見えた。
「ねえ、アイさん。ここって、すっごく広いね」
『ハイ。ココニハカツテ、ミーヴェル……アナタノヨウナ人間ガ沢山イマシタ。ココハ、ソノ大勢ノ人間達ガ食事ヲスル、大食堂ト呼バレタ場所デス』
アイから淡々と告げられたその事実に、ミーヴェルは弾かれたように目を見開いた。
「えっ!? 昔はここに、ボクみたいな人がいっぱいいたの!?」
物心ついた時から、自分はこの世界でたった一人の人間だった。大罪人として世界中から嫌われ、孤独に泥水をすすってきた。
だからこそ、かつて自分と同じ人間がここで当たり前のように生活し、大勢で食事をしていたという事実が、ミーヴェルの胸にこれ以上ないほどの衝撃を与えた。
『食事ガ終ワリ次第、施設ヲ案内シマス。――――ソシテ、コノ世界ノ正シイ歴史ヲ、ミーヴェルニハ知ッテイタダキタイト思イマス』
「あっ……はい」
アイの真っ直ぐな言葉に、ミーヴェルが居住まいを正して頷いたその直後。ふわりと、空腹の胃袋を強烈に刺激する暴力的なほど良い香りが漂ってきた。
先ほどの銀色の人型ロボットが、湯気を立てる料理をワゴンで運んできたのだ。
『御食事ヲオ持チシマシタ。本日ノメニューハ、アークポッド内デ収穫サレタ採レタテ新鮮サラダ、コーンスープ。ソシテ、ベーコンマフィンデゴザイマス』
「あっ、はい。(よく分からない料理名だけど、すごくいい匂いだ!美味しそう……!)」
目の前に並べられたのは、地上のギルドで出されるような硬い黒パンや塩気の強い保存肉とは全く違う。ふかふかのパンに肉厚なベーコンが挟まり、色鮮やかな野菜と、黄金色に輝く温かいスープが添えられた、見たこともないほど美しい食事だった。
一方、ルナの前にも平皿に盛られた色鮮やかなサラダと果物が置かれる。
だが、ルナはどうにも不満げだ。
キョロキョロと自分の野菜とミーヴェルの皿に乗ったマフィンを交互に見比べ、やがてミーヴェルを見上げて「ぴい……」と切なそうな声を漏らした。
「あはは。ルナもこっちが食べたいの? しょうがないなぁ、半分こしようか」
「ぴぃ?」
『いいの?』とでも言いたげに、ルナがぱぁっと表情を輝かせて首を傾げる。
ミーヴェルがマフィンをちぎって分けようとしたその時、その光景を見ていたアイのレンズが不思議そうに青く瞬いた。
『生態データニ齟齬ガ発生。……個体ルナハ、草食デハナク肉ヲ食ベルノデスカ?』
「んー? たぶん、このパンに挟まってるお肉の匂いが美味しそうって思ったんじゃないかな。干し肉とかもルナは好きだしね」
ミーヴェルがそう笑って答えると、アイは球体をピタッと静止させ、直ぐに人造ドロイドへ向かって指示を出した。
『……失礼シマシタ。想定外ノ雑食性デシタ。スグニ同ジモノヲ追加デ用意サセマス』
「ありがとう、アイさん!」
「ぴぃっ!」
すぐに別のドロイドがルナ用のお肉を運んできてくれ、ルナは嬉しそうにそれに齧り付いた。
その様子を見つめながら、ミーヴェルはふと首を傾げた。
「でも、このアークポッドに動物がいるの? どこかで育てているのかな?」
『イエ、動物ハ飼ッテオリマセン。正確ニ言エバ、コレラノ肉料理ハ全テ合成デ作ラレタモノデス』
「合成……?」
『ハイ。植物ヤ他ノ素材カラ抽出シタ、タンパク質ナドノ栄養素ヲ掛ケ合ワセテ作ラレタ料理デス。現在ノ地上デハ、生キ物ヲ殺生シテ肉ヤタンパク質ヲ摂取シテイマスガ、当時ノ人間社会デハ、ソノヨウニ生物ヲ殺ス者ハ極メテ少数派デシタ。大半ハコノヨウニ、植物由来ノ成分ヲ合成シテ作ラレタ食事ヲ摂ッテイタノデス』
「へえぇっ……! じゃあ、この美味しいベーコンも、本当はお肉じゃないってこと!?」
ミーヴェルは驚いて、手に持っていたマフィンに挟まる肉厚なベーコンをまじまじと見つめた。
香ばしい匂いも、口の中に広がるジューシーな旨味も、本物の肉としか思えないほど美味しい。だが、かつてここにいた大勢の人間たちは、動物たちの命を奪うことなく、こうして豊かで美味しい食事を楽しんでいたというのだ。
「……昔の人たちって、なんだかすごく優しいんだね」
『――――ソウデスネ。当時ノ人間ハ、非常ニ高度ナ倫理観ト科学技術ヲ有シテイタ者ガ、多クイタノハ事実デス』
なにやらアイの音声が一瞬だけ詰まったような言いようであったが、それに気づくことなく、ミーヴェルは温かいコーンスープを一口飲んで小さく息を吐いた。
大罪人と呼ばれる自分と同じ種族が、かつては争いを好まない優しい存在だったという事実は、ずっと張り詰めていた少年の心を柔らかく解きほぐしていく。
「美味しいね、ルナ」
「ぴぃっ!」
窓から差し込む美しい朝日に包まれながら、ミーヴェルとルナはそんな会話を交わし、アークポッドでの初めての温かく穏やかな食事を心ゆくまで楽しんだのだった。




