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12話 決壊する最後の砦


 音も無く、夜の底へと滑り落ちていく漆黒の虚空。

 凄まじい風切り音が少年の身体を叩く中、アイは神経網を通じて、ミーヴェルの脳髄――記憶を司る海馬へと密かにアクセスしていた。

 

 「脳内スキャン、実行。――――――――――該当データ抽出」

 

 ミーヴェルの口から紡がれたのは、一切の感情を排した無機質な音声。

 アイが冷徹な演算の果てに見つけ出したもの。それは、この残酷な世界で少年が辛うじて心を折らずにいられた理由――理不尽な泥に塗れた日々に、確かな温もりを与えてくれた特定の亜人種たちの鮮明な記憶。

 アイは、少年のさらに下方を先行して索敵を続ける支援機へ向け、不可視のデータリンクで命令を転送する。


 「――対象ノ亜人種達ヲ早急ニ捜索セヨ。亜人トイエドモ、彼ラハミーヴェルノ心ノ支エトナッタ重要個体ダ」

 

 機体同士のネットワークへ瞬時に共有された、いくつかの顔と生体データ。

 地表へ迫る僅かな滞空時間の中、先行したドローンが市街地を高速スキャンし――瞬時に一つの『生体反応』を拾い上げた。

 

 『――ターゲット・アルファノ生体反応ヲ捕捉。現在、市街地広場ニテ飛行個体クライムバードノ強襲ヲ受ケテイル模様』

 「予測地点マデ直線距離、三キロ。自然落下デハ到達不可能」

 

 アイの無機質な音声と共に、スーツ背面のヘックス模様が激しく明滅する。


 「――軌道修正。ナノヘイズ強制固定、滑空ウイング展開。……他ノ機体ハ散開シ、引キ続キ捜索ヲ継続セヨ」

 

 ミーヴェルの青く発光する瞳が、眼下の広場を冷酷に見据える。

 直後、大気中のナノヘイズが少年の背中へと急速に収束し――幾何学的な光のラインで構成された緑色の翼がバサリと形成された。

 空中で体勢を反転させると、少年は緑の翼が生み出す爆発的な推進力に乗って、絶望の炎に包まれた広場へと隕石の如く一直線に滑空していった。

 その凄まじい落下の最中。

 アイに支配されたミーヴェルの右手が無駄のない動作で腰に伸び、鈍い輝きを放つ直刀を鞘から引き抜いた。

 同時に、少年の腰元に接続固定されたアイから、一本の光ファイバーケーブルが蛇のように伸びる。それは直刀の柄に設けられた窪みへと吸い込まれるように、カシャリと物理接続された。

 

 「――刀剣兵装アズール起動」


 無機質な音声コマンドと共に、直刀の刀身が超高周波の振動を帯び、眩い青白い光を放ち始めた。大気中のナノヘイズを巻き込み、分子レベルで対象を断ち切る絶対の刃。

 



 「――高度―――――――――――――――――――――零」



 

 光輝く刃を振りかぶり、青き瞳の死神は、今まさにサリアを引き裂こうとしていた怪鳥の頭上へと隕石の如く降り立った。

 落下エネルギーのすべてを乗せた高周波ブレードの一閃が、抵抗すら許さず怪鳥の太い首を真上から真っ二つに両断する。

 

 ズドォォォォンッ……!!!


 怪鳥の巨大な胴体が地面へ叩きつけられ、ミーヴェルの着地の衝撃と重力制御フィールドの青白い光が弾けて、凄まじい土煙が広場を呑み込んだ。

 他のドローンたちが着地の爆風に紛れ、パニックに陥る街の奥へと散っていく。

 濛々と立ち込める土煙の奥。

 怪鳥の血を蒸発させながら冷たく鋭い光を帯びる直刀を手に、フードを目深に被った少年がゆっくりと立ち上がった。

 

 「――クライムバード、沈黙」

 

 アイに支配された少年の口が、機械のように淡々と終わりを告げた。

 その直後、街の奥へと散った支援機の一機から、網膜ディスプレイに新たな情報が転送される。

 

 『――ターゲットベータ、及ビガンマ発見。現在、表層防壁ヲ放棄シ、内層防壁ヘト退却中、同時ニ敵陣中央後方部、ヘイズコレクター発見』

 「―――了解。コレヨリ移動スル」

 

 アイが無機質な声でそう応じた、次の瞬間。

 ドンッ……!!!

 石畳にすり鉢状のクレーターができるほどの圧倒的な脚力で、少年は上空へと跳躍した。

 本来の非力な身体能力を強制的に爆発させる『物理駆動拡張キネティック・アクセル』。だが、その常軌を逸した初速に、生身の肉体が耐えられるはずもなかった。

 

 ブチブチッ……!!

 

 跳躍と同時。インナースーツの裏側で、両脚の筋繊維が限界を超えて断裂する凄惨な音が響く。

 

 「……っ…がっ……ぁ」

 

 ミーヴェルの意識はアイによって深く沈められ、痛覚も完全に遮断されているはずだった。

 だが、あまりにも甚大な肉体の破壊に、少年の喉の奥から無意識の呻き声が漏れ出た。苦痛に歪むことのない無表情な顔のまま、肉体だけが悲鳴を上げたのだ。

 

 「肉体損傷率、三〇%ヲ超過――筋繊維ノ深刻ナ破損ヲ確認」

 

 アイは、少年の口から漏れた呻き声すらも単なるエラー音として処理し、空中で流れるような無駄のない動作で腰のポーチに手を伸ばした。

 青く輝く小瓶――超高度修復液『ナノポーション』。それを、作業の一環のように少年の口へと一気に流し込む。

 直後、細胞が超速で再生し、千切れたはずの肉体が瞬時に繋ぎ直されていく。

 痛々しい呻き声は、まるで初めから存在しなかったかのようにピタリと消え去った。

 

 「修復完了。――排除行動ヲ継続スル」

 アイに支配された少年の口が淡々とそう告げると、青白い光を帯びたその姿は再び音を置き去りにして、魔物の大群がひしめく次なる戦場へと掻き消えていった。


 ◇


 「まずいぞ……!」


 結界が破損した今、魔物達は容易に侵入することが出来る。そんな中、ついに飛行型が街へと侵入してしまった。


 「おい! 伝令!」


 魔物の咆哮が轟く中、第二防壁の上でジーグが血相を変えて怒号を飛ばした。


 「市街地に雪崩れ込んだあの飛行型の魔物に対処するように、王宮の近衛を直ちに街へ急行させろと伝えい! このままでは民が殺されるぞ!」

 「はっ!」


 伝令の兵士が弾かれたように腰のポーチを探り、黒光りする無骨な機械を取り出した。

 旧時代の遺跡から発掘された通信端末を、ドワーフの技術で無理やりナノヘイズ駆動に改良した希少な魔導具。前線の指揮官クラスにしか配備されていない代物だ。

 兵士はそれに口を寄せ、切羽詰まった声で状況を吹き込む。

 だが、機械のノイズ越しに返ってきた言葉を聞き、兵士の顔色は瞬時に絶望の蒼白へと染まった。


 「ダメです! ガルバン王子がそれを却下しました! 『近衛は次期王である俺を守るためにあるのだ』と……っ!」

 「――ふざけるなぁ! あの馬鹿王子が! この期に及んで自身の安全が第一か!? 第一、王宮には強固な結界がある! 民たちには既に結界なんて無いんだぞ!!!!」

 

 ジーグが怒りで顔を真っ赤にして吠える。

 それを聞いていたバレンは忌々しげに舌打ちをすると、隣で全身に汗をかきながら顔を歪める相棒へと振り返った。

 

 「クレイン、頼めるか? お前は市街地へ向かい、逃げ遅れた市民やサリアたちを援護してやってくれ!」

 「ああ、分かった! ――こっちは頼んだぞ!」

 「任せとけ!」

 

 クレインが風のように城壁を駆け下り、市街地へと向かって疾走していく。

 その後ろ姿を頼もしげに見送ると、バレンは再び眼下に広がる黒い津波へと向き直り、大剣を天高く掲げた。

 

 「仲間を、家族を! 俺たちの帰る場所を守り抜けェェェッ!!」

 「「「「「「おおおおォォォォォッ!!」」」」」」

 

 第一次防壁を放棄し、第二次防壁へと撤退した兵士やハンターたちは、バレンの檄に応えて決死の防衛戦を展開していた。

 眼下を真っ黒に埋め尽くす魔物の波へ向けて、大気中のナノヘイズを取り込み、炎や雷の属性を付与した魔法の矢が雨あられと降り注ぐ。

 だが、絶え間ない連戦により、彼らの肉体は既に限界を迎えつつあった。

 大気中のナノヘイズをエネルギーに変換して放つ魔法は、実質的に魔力切れのない無尽蔵の力である。だが、理由は未だ解明されていないものの、連続して行使し続ければ原因不明の強烈な眩暈や吐き気に襲われ、酷い者は血を吐いて倒れてしまうのだ。

 本能的な死の危険を感じて魔法の使用を中断し、ただの物理的な弓矢へと切り替えた者たちは、指の皮が破れて血が滲むのも構わず、死に物狂いで弦を引き絞って応戦し続けている。だが。

 

 メキメキメキッ……!! ズドォォォンッ!!

 

 「ダメです! 第二防壁の正門が持ちません!」

 

 弓兵の一人が、絶望に顔を引きつらせて叫んだ。

 見下ろせば、知能を持った半魔に率いられた巨大な獣たちが、自らの体が潰れることも厭わずに分厚い黒鉄の扉へと次々に特攻を仕掛けている。

 

 「くそっ! なんだってこんなに早く……!」

 

 指揮を執るジーグが血を吐くような声で叫んだ、その時。

 

 「ジーグ!」

 

 バレンが血塗れの顔を上げて叫んだ。

 

 「俺は下に降りる! 扉を破られた瞬間に雪崩れ込んでくる連中を、地上から直接叩き潰す!」

 「わかった!」

 「……上は頼んだぞ、ジーグ!」

 

 バレンがニヤリと不敵に笑うと、ジーグもギリッと奥歯を噛み締め、覚悟を決めたように短く応えた。

 

 「……気をつけろよ、バレン!」

 「お前もな!」

 

 バレンは自身の身の丈ほどもある巨大な剣を担ぎ直すと、城壁の階段を一気に駆け下りた。

 ガキンッ……! ドォォォンッ!!

 防壁の内側、まさに今この瞬間にもひしゃげようとしている巨大な扉の真ん前へと降り立つ。

 そこには、バレンによって強制参加を命じられ、文字通り肉壁として最前線に立たされていた、あの三人組のハンターの姿があった。

 ほんの数時間前、ミーヴェルから全財産を奪い、下劣に笑い合っていたあの威勢は見る影もない。彼らは武器を構えるどころか、泥水の中にへたり込んでガクガクと腰を震わせていた。

 

 「ひぃぃっ……! くるなっ、くるなァッ……!」

 「嫌だ、死ぬっ、俺たち死んじまうッ!!」

 「あ、開けるな……っ、絶対に開けるなァァッ!!」

 

 すぐ扉の向こう側で響く、魔物たちの鼓膜を破るような咆哮と、黒鉄をひしゃげさせる凄まじい質量の暴力。自分たちを容易く引き裂く絶対的な死がすぐそこまで迫っているという現実に、彼らの精神は完全に崩壊していた。

 今にも死にそうな土気色の顔で、ボロボロと涙と鼻水を垂れ流し、ただひたすらに命乞いをするように身を寄せ合っている。

 

 「……チッ。目障りだ、クズ共。そこで漏らして震えてろ」

 

 バレンは虫ケラでも見るような冷ややかな一瞥を三人に投げると、無数の亀裂が走り、悲鳴を上げる扉を鋭く睨み据えた。

 大きく足を開き、大剣を構え直す。この分厚い扉が破られれば、後は生きるか死ぬかの激戦が始まる。絶対に退けない最後の砦だ。

 メキ……メキィィィィィッ……!!

 黒鉄の扉が限界を超えてひしゃげ、外から絶望が差し込んだ。

 直後。

 

 バコォォォォォォォォォンッ!!!!

 

 耳をつんざく破壊音と共に、第二防壁の正門が内側へと吹き飛んだ。

 もうもうと舞い上がる土煙の向こう側から、無数の赤い眼球と、飢えた魔物たちの狂乱の咆哮が雪崩れ込んでくる。

 それを真正面から迎え撃つバレンは、恐怖に飲まれるどころか、猛獣のように牙を剥き出しにして咆えた。

 

 「構えろォォッ!!! 行くぞォォォォォォッ!!!!」



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