第二四話 厭世の魔王
凪は流転の聖剣を持つ男と対峙した。男はニヤニヤとした笑みを浮かべており、ミアとエリーゼの治療をしている間に攻撃してこなかったことからも、余程の自信があるらしい。
なお、覚えているかと問い掛けられたが、凪は男に見覚えがなかった。聖剣を操れることから、この世界の人間ではないことは確実だが、自分以外に異世界人が居るなど聞いたこともない。
「我は厭世の魔王! 貴様を殺すために邪神によって召喚された、異世界の存在である! まずは我の苦しみを味合わせてやるつもりだったが、予定が変わった」
男――厭世の魔王はそう名乗りを上げた。その行為や発言内容について吟味し、情報を分析するべきかも知れない。
「そうか。魂まで消し去ってやる」
しかし凪は話をするつもりもなかった。
これは怒りで頭に血が登っているのもあるが、流転の聖剣の移動性能がファストトラベルを大きく上回っており、取り逃がしてしまえば取り返しが付かないかも知れない点が理由にある。厭世の魔王が凪に勝てると思っている内に無力化しなければならない。怒りで我を忘れている、と思われたほうが都合が良いし、演技の必要もなく激怒しているので狙いを看破されることもない。
「先に“剣神”などと呼ばれている貴様を、否定してやろう」
空気が緊張に包まれ、一瞬の静寂が戦場を支配する。そして次の瞬間、凪が先に動いた。凪の鋭い剣閃に、厭世の魔王が即座に反応し、刃と刃が激しくぶつかり合う音が響き渡る。
火花が散るように剣がぶつかり合うたび、力の篭もった一撃が繰り返される。剣の軌道は流れるように滑らかでありながら、ひとつひとつが致命的な破壊力を持っていた。互いに隙を見せることなく、目にも留まらぬ速さで打ち合いを繰り広げる。厭世の魔王の一撃を受け流し、次の瞬間には反撃を繰り出す。しかし凪の鋭い剣先は空を切り、わずかに外れた一撃は地面に食い込んで土を跳ね上げた。
戦いは激しさを増していく。厭世の魔王が力強い横斬りを放つが、凪は瞬時に身体をひねり間一髪でその攻撃をかわす。そしてすぐさま反撃に転じ、鋭い突きを厭世の魔王へ向け放った。剣が風を切り防御を打ち破ろうとするが、厭世の魔王はその突きを巧みに弾き返す。
凪と厭世の魔王の動きはますます研ぎ澄まされ、まるで舞踊のようだった。打ち合いの中で剣が宙を舞い、地面に激しく響く金属音が、二人の戦意をさらに煽る。互いに一歩も引かず、攻撃と防御が目まぐるしく入れ替わった。剣の一撃が壁に激突し、石を砕き、粉塵が宙に舞う。
凪と厭世の魔王の聖剣が激しく交差し、再び火花を散らす。
「どういう、ことだ? 貴様、【剣術】スキルで戦っているのではないのか? 【剣術】スキルなら、先程最大値まで上げたはずだ!」
「答える馬鹿がいるか? お前は殺すぞ、厭世の魔王」
厭世の魔王の表情から余裕が消えた。それと同時に厭世の魔王の視線がミアとエリーゼの双子へ向かう。それは今の“互角に見える”打ち合いで、凪が最も警戒していた行動である。流転の聖剣の瞬間移動を使い、ミアとエリーゼを狙われるのが最も厄介だった。それだけは許すまいと、剣戟の最中でずっと観察していたのだ。
凪はこの隙を逃すまいと集中力をさらに高めた。厭世の魔王の行動よりも早く、凪の聖剣が打ち下ろす。厭世の魔王には回避されてしまったが、狙いは最初から厭世の魔王ではない。
バキンという金属が砕ける音がする。
「な、に……?」
厭世の魔王が驚愕の声を口にした。それもそのはずで、厭世の魔王が手にしている流転の聖剣が砕けているのだ。この世界において、聖剣は決して壊れない武器である。女神様の法則で表現すれば【破壊不能オブジェクト】が聖剣だ。
だが今、凪はその法則を無視して流転の聖剣を破壊した。
「これで安心して、お前をぶちのめせるな」
厭世の魔王の顔に恐怖が浮かぶのが分かる。
そこからは一方的だった。意識の大部分を双子の傍に瞬間移動された場合へ備える必要がなくなり、瞬間移動されても対応できる位置取りも不要で、治癒術や蘇生術を多重スタックしておく意味も薄れた。
「何故!? 何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ!? 貴様と同じ法則で戦う我が、どうして貴様を倒せない!?」
厭世の魔王は砕けた流転の聖剣を捨てて、おそらくアイテムボックスから取り出した魔剣で応戦していたが、それで凪の女神の聖剣と打ち合えるはずもない。数合ぶつかり合っただけで、厭世の魔王の魔剣は砕けて、新しい物と交換していた。
厭世の魔王はここ数時間以内に法則を知ったばかり。しかし凪には十年、いや二十年の時間、この世界を構成する法則と向き合う時間があった。
「嫌だっ! 我は、僕は! 皆の仇を討つんだ! そして元の世界へ、帰るんだ! みんなと約束したんだよぉ!」
厭世の魔王の言葉に、一瞬だけ凪の剣が鈍る。どんな理由があろうとも、凪の娘たちを傷付けた相手は許さない。しかし子供が癇癪を起こしたように泣き叫ぶ相手を、双子の前で斬り殺して良いものかと考えると鈍ってしまった。
これが産まれた時から一緒で、充分に父親として信頼されていれば話は別だ。だが凪は違う。凪は双子を十年も放って置いた冷血漢だ。ここで更に、双子の前で血も涙もない姿を見せて良いのだろうか。
凪の頭には厭世の魔王への同情心など一欠片もなく、ただひたすらに双子のことがある。だからこそ、一瞬の戸惑いを見せてしまった。己の同情心程度なら押さえ付けられるが、双子からどう見られるかは上手くコントロールできない感情である。
その一瞬は致命的なものとなってしまった。もちろんミアとエリーゼのどちらかが、更に傷付いたということではない。いくら迷ったとしても、この場で双子の注意を疎かにするほど愚かではない。それは厭世の魔王にとって、致命的な一瞬になってしまった、という意味だ。
凪は彼を人間として殺す機会を失った。
厭世の魔王の体が突如として震え出し、苦しげなうめき声が漏れた。その肌は一瞬で青白く変色し、血管が浮き上がり、まるで体の内側から何かが蠢いているかのように見える。彼の背骨がゴキゴキと音を立てて奇妙に伸び始め、骨が軋む音が周囲に響いた。腕や脚は急速に膨れ上がり、皮膚が引き裂かれる寸前のようにピンと張り詰め、筋肉が異常なほど肥大化していく。
「ぐぅ……ああっ……!」
厭世の魔王の叫び声が苦痛と狂気に染まり、顔がひきつるように歪んでいく。目は赤く血走り、黒い瞳孔が広がり、完全に獣のそれへと変わっていった。口元は異常に裂け、鋭く変化した牙が次々と露出する。その牙はまるで肉を引き裂くために生まれたかのように鋭く、唾液が滴り落ち地面を濡らす。
皮膚は灰色に変わり所々で硬い鱗が浮かび上がり、それが鎧のように全身を覆う。両肩から突き出した巨大な棘は、まるで鋭利な武器のように光を反射し、周囲の空気を震わせている。厭世の魔王の体は異常な速さで膨張を続け、ついにその姿は何メートルもある巨体へと変貌した。呼吸は荒く低く響くうなり声が喉から漏れ、厭世の魔王の体はまるで巨大な獣そのものとなる。
足元の地面が変質した厭世の魔王の重みに耐え切れず、ひび割れ暴力的な力が周囲に伝わった。目の前にはもはや人間ではない、恐ろしい化け物が立っている。その存在感は圧倒的で、凪たちの戦いを見ていた者たちは恐怖で動くことができなかった。厭世の魔王の全身は膨れ上がり、人間の面影はもう何も残っていない。
「何、これ。魔王が正体を現したの? お父さんっ!」
「なんて膨大な魔力と、禍々しい力。これはもう、生物と呼べるものではっ。お父様!」
厭世の魔王の第二形態と言えば良いのだろうか。【解析】できないので詳しいレベルは分からないけれど、先ほどまでの倍以上の強さを持っているに違いない。もしかしたらステータスは、今の凪を超えている可能性もある。
だが凪は双子へ笑いかけた。
「ミア、エリーゼ、安心しろ」
この異世界はゲームのような法則を持っているものの、レベルやステータスで勝敗が確定する訳ではない。
先ほどまでは流転の聖剣の瞬間移動をずっと警戒していた。この場のミアとエリーゼは絶対に守り切れる自信があったが、皇城にいるリカルナやカイユベル、エルフの国の女王アグラレスなど、各国や各ギルドの凪の知己が狙われたら、流転の聖剣の瞬間移動には追いつけない。
「愛するお前たちの前で、お父さんは無敵だ」
だが流転の聖剣を破壊した今、相手を圧倒することに何の障害もなくなった。
「第一権能【全剣】」
凪は十年前、女神によって異世界へ召喚され、初代魔王を討伐したチート能力を全力発動する。
厭世の魔王は凪と同じように異世界から召喚された存在であり、聖剣MODを使える人間だった。いや悪魔側にいたところを見ると、凪とは違って悪魔に異世界転生したのかも知れない。どちらにしても、この異世界の法則に加えて聖剣MODの法則を使える凪と同等の存在と言えただろう。
だが凪には聖剣MOD以外に、チート能力がある。
第一権能【全剣】。剣の全てを識る者。剣の全てを使役する者。全ての剣を統べる者。女神によって見出された、凪の究極の才能にして能力。敵が剣術だろうが、魔剣だろうが、聖剣だろうが、剣で挑む限り、凪に勝てる者はいない。
そしてこの異世界は、異世界の法則と聖剣MODの法則が支配する世界である。この世界で戦う限り、御祖凪は神さえ超える存在だった。
「聖剣解放」
天を切り裂くように眩い光が現れた。一筋の輝きが夜の闇を貫き、希望の光が夜空に放たれる。光が厭世の魔王の体に突き刺さった瞬間、轟音とともに空が震え、夜空を覆う暗黒の雲が一瞬にして吹き飛ばされた。光が魔王の体を切り裂くたびに、黒い影が裂け、その裂け目から暗黒の血のようなエネルギーが噴き出す。魔王は凄まじい咆哮を上げ、全身で暴れながら抵抗するが、その力は徐々に衰えていく。
光がさらに強まる。凪の持つ女神の聖剣が輝きを増し、眩い閃光が夜空を一瞬で照らし出す。そして聖剣が厭世の魔王を身体に光を走らせると、その巨大な体が真っ二つに裂け断末魔の叫びが響き渡った。
厭世の魔王の体が砕け散り、黒い霧となって四方へと飛び散る。残されたのは聖剣の輝きと、再び平穏を取り戻した夜空。魔王は完全に消滅し静かな夜が戻ってきた。その夜空には凪が振るった聖剣の輝きが、希望の象徴としてかすかに残されている。
夜闇ごと厭世の魔王を葬った救世の英雄ナギへ、惜しみない称賛と、双子からの尊敬の視線に加え、興奮した双子が凪へ抱きついてきた。
「お父さん! すごい! 本当に凄いよ!」
「お父様! 私のお父様!」
十年前、初代魔王を討伐した時、つい先日二代目魔王を討伐した時、そのどちらでも感じられなかった気恥ずかしいような嬉しさが心の底から湧いて出て来る。
凪は思わず双子をぎゅっと抱き締めていた。




