第一六話 学院講師
救世の英雄ナギの帰還。そしてその英雄による二代目魔王討伐が、プトレマイオス星皇国の星皇カイユベルから正式に発表された。人々の熱狂は凄まじく、魔王軍との戦争が終わるという喜びから各所で祭りになり、皇都では毎日どこかでパーティーが開かれ、凪とリカルナは毎日どこかしらのパーティーへ参加した。
それらは凪が苦手とし、異世界帰還後には距離を置こうと思っていた役割そのものだったが、双子が凪の代わりをしていたと知れば拒否する訳にはいかなかった。ミアとエリーゼのためならば、要人と心にもない会話をして、腹の探り合いをするくらいなんてこともない。
しかしそのせいで双子と過ごす時間が減ってしまったのは、いただけない。子供にとっての十年の時間を取り戻すのは並大抵のことではない。凪は重要な会合やパーティーには参加するが、それ以外の会合は絞るようにした。これで双子との時間を取り戻せると思っていた矢先、ミアとエリーゼの通う学院の長期休暇期間が終わると告げられる。
「もう休みが終わりなのか?」
「なんで凪が一番残念そうなのよ」
凪が異世界へ帰還してから三ヶ月程の時間が過ぎようとしていた頃、すっかり和やかになった凪、リカルナ、ミア、エリーゼの家族四人の朝食の席で、凪は驚きで思わず食べかけのパンを皿の上へ落としてしまった。
学院に通っていると帰還翌日には聞いていたはずなのに、どこか頭から抜け落ちていた。可愛い双子との生活は想像以上に楽しくて、彼女たちのために何かをしている時は、ブラック企業で経営層第一を考えている時とは比べられない、比べるのもおこがましい充実感があった。二人は大公邸から学院へ通っているため、毎日顔を合わせるのは変わらないのだが、共に過ごす時間はどうしても減ってしまうだろう。
「お母さん、学院行かなくて良い?」
「駄目」
「一年くらい休学するのはどうでしょうか、お母様?」
「駄目」
ミアとエリーゼが学院へ行きたくないと言い出して、リカルナがにべもなく却下している。凪も加勢してリカルナを説得しようかと考えた。これがイジメを受けているとか、クラスで浮いているとかならば学院へ行かせない選択肢もある。だが父親ともっと遊びたい、という理由では、その父親の凪は嬉しいが心を鬼にしなければならない。この異世界でも元の世界ほどではないが、学校教育は重要である。勉学や知識は言うに及ばず、人間関係、社会性、生活習慣、どれを取っても彼女たちの将来を考えれば学院へ行くべきだろう。
「お父さん、お母さんを説得して!」
「お父様、私たちとお父様を引き離そうとするお母様に対する作戦会議の開催を提唱します」
ミアはちょっとオーバーな動作で、エリーゼは口角が完全に吊り上がっている。二人共、本気で学院へ行きたくないと凪へ頼んでいるのではない。
「ミア、俺ももっとミアたちと一緒にいたいんだが、やっぱり学院は通ったほうがいい。エリーゼ、笑ってるから、その会議は開催されない」
ミアがジャンプして抱きついてきて、エリーゼが弱い拳でポカポカと殴ってきた。双子は心から不満を表している様子はなく、むしろ楽しそうだった。
そんな日の朝食の後、学院の準備のために――宿題――今日明日くらいは双子は忙しいらしく、リカルナも大公としての業務で出掛けて行った。ちなみに宿題を手伝う父親になろうとしたら、リカルナに睨まれた。
時間ができた凪は、最近は納品が主な鍛冶師ギルドや薬剤師ギルドの仕事ばかり請け負っていたのを気にしていたため、冒険者ギルドの仕事でもこなそうと考えた。凪の帰還が大々的に宣言されたことだし、難易度が高くて困っている依頼でもあれば請け負っても良いだろう。凪は双子が通う学院の送り迎えをする気満々なので、長期の依頼は請けられないが。
「い、いら、いらら、いらっしゃいませ、な、ナギ様!」
冒険者ギルドでは、十年前までの知り合いは多少ぎこちなくとも普通に接してくれるのだが、若い世代からすると凪は救世の英雄ナギであり、魔剣技術の浸透や数々の薬学発展に貢献した、女神に遣わされた使徒なのだ。
「討伐依頼で、倒せなくて困ってる魔物とかいれば、教えてもらえないですか?」
元の世界の凪は接客業には敬意を持つタイプなので、飲食店やコンビニ、ホテルや駅員と言った苦労の絶えない業種の人たちには丁寧に接している。
「は、ははは、は、はは、はい! 今すぐ! 当ギルドの総力を挙げて探します!」
「いや、なければそれで良いんですけど。そうだ、ギルドマスターのシュテンの手は空いてますか?」
「空けさせます!」
「え? 忙しいようなら別に」
その冒険者ギルドマスターのシュテンは、凪が現れたと聞いてすぐに出て来てくれた。
「職員を脅すのも、程々にしてくれよ」
「脅すって、人聞きの悪いこと言うな。丁寧に対応してる」
「お前に謙られたら、脅しなんだぞ。ギルド職員を尊重しつつ、お前が上位者だと分かる口調で、無茶な要求をせず、職員たちを気遣え」
現役冒険者の頃のシュテンは、気に入らないことがあればギルド職員を殴り飛ばしてペナルティーを受けたこともあった人物だ。それが今や救世の英雄ナギへギルド職員への気遣いを要求する、立派なギルドマスターになっている。
「それは難しいが努力はするよ。けどシュテンお前、俺を冒険者ギルドで仕事させないようにしてないか?」
「はは、そんなことないぞ。ただ、オリハルコンは通常依頼は請けず、もしもの時や指名依頼だけこなしてくれれば良いランクなんだけどな」
「十年で変わったな」
「お前が特別なだけで、変わってない。冒険者ギルドのランクは信頼と生存率が最大の理由だが、下位の冒険者の仕事を奪わないためでもある。もし変わったと思うなら、俺もナギも歳を取ったってことだろうよ」
暴れん坊の代名詞のはずだったシュテンの態度に哀愁を感じていると、シュテンが懐から一枚の依頼書を取り出す。冒険者ギルドでは様々な事情から掲示板に張り出されていない依頼が存在しており、それはギルドから認められた一部の冒険者にだけ受注する資格がある。元の世界で言えば非公開求人情報のようなものだろうか。
「ナギに最適な依頼がある。なんと、学院の剣術授業の臨時講師だ」
「受ける。寄越せ」
「お前には説明不要だろうが、プトレマイオス星皇国では学院の……って判断が早いな!」
プトレマイオス星皇国の学院、つまりミアとエリーゼが通っている学院の臨時講師。
「まあ、条件がナギ以外に受けられる冒険者なんていねぇから、実質お前への指名依頼なんだけどな。指名依頼は高いから、節約したんだろう」
理由などどうでも良いが、ミアとエリーゼが学院に通っている間、立派な仕事をしながら双子を見守れる立場は、喉から手が出るほどに欲しいものである。
数日後、凪の姿はプトレマイオス星皇国有の訓練場にあり、呆然とした学生たちの視線を一身に受けていた。
この騎士、兵士、学生の三者兼用訓練場は二十年近く前に凪も訓練を受けた場所で、広大な空間に整然と区画が分けられ、戦いの技術を鍛える場としての厳しさと力強さが漂っている。地面は硬く踏み固められ、蹄や剣の打ち合いでできた無数の痕跡が、長年に渡ってここで行われた激しい訓練の名残を残していた。訓練場の周囲を取り囲む木製の柵は、あちこちに傷が刻まれており、ここでの激しい戦闘練習がいかに過酷であるかを物語っている。
中央は広く取られ、一画にはいくつかの人形が立てられており、それらは木製で重厚な鎧や盾を模していた。騎乗訓練用のスペースも設けられ、騎乗用の動物や魔物を飼っている小屋も併設されている。そして場内には武具や甲冑が並べられた棚が設置され、どれもボロボロになるまで使い込まれていた。
とにかく広い訓練場であるため、今日の授業で学生が使うスペース以外では大人たちがそれぞれの訓練を行っていて、剣が金属同士で打ち合う甲高い音や、槍が木製の標的に当たる鈍い音が絶え間なく続いている。
そして学生たちを前にした学院教師が額の汗を拭きながら口を開いた。
「えー、本日より剣術と魔術の臨時講師が着任されました。ナギ=ミオヤ卿です」
続いて学院教師の口から、しばらくの間は凪が臨時講師として彼らの授業を見てくれることが告げられると、学生たちが騒ぎ出しただけでなく、近場で訓練していた大人たちまで手を止めて驚きの声を上げていた。
凪は自己紹介をしながら学生たちの中にミアとエリーゼの姿をあることを確認して、安堵と満足感を覚える。
凪が講師なんてできるのかという点については、問題ない。この世界で最も『強くなる方法』に詳しいのが凪だ。女神様よりも法則に詳しいだろう。教導経験の面では若干の不安はあるものの、ブラック企業でプレイングマネージャーをしながら教育もしていたので、まるで未経験という訳ではない。
しかし残念ながら、学生たちの反応はイマイチだった。救世の英雄ナギに指導してもらえるのは、箔が付くという意味では歓迎だが、講師としての能力は期待されていないらしい。
「俺たちが教えて欲しいのは聖剣の振り方ではなく、剣や槍を使った武術であり、スキルを基とした魔術ですよ。この人、教えられるんですか?」
中でも高学年らしき背の高い金髪の少年は、堂々と疑問を呈してきた。




