第一五話 英雄の帰還
石畳の道を豪華な馬車がゆっくりと走っていた。その馬車は煌びやかな金色の装飾が施された漆黒の車体で、見る者すべての目を引きつける。車体の側面には星の家紋が大きく描かれており、風に靡く旗からもその権威が感じられた。四頭立ての美しい白馬が馬車を引いており、その毛並みは光を受けて輝いている。
馬車の中では凪、リカルナ、ミア、エリーゼが向かい合って座っていた。馬車の車輪が石畳を踏み締める度に、微かとは言えないほどの振動が椅子から伝わってきて、体重の軽い双子がどこかへぶつかったりしないか心配になる。
馬車の目的地は皇城であり、そこではプトレマイオス星皇国の星皇カイユベルが待っている。四人の格好は燕尾服やドレスで、活発な双子は窮屈そうで、凪も今すぐTシャツに着替えたい気分だったがそうもいかない。
馬車は進みプトレマイオス星皇国の皇城が見えて来た。星を信仰する国の城は、夜空を讃えるためにその設計全体が天へと向かっていた。白銀の石材で築かれたその城壁は、昼間は淡い光を反射し、夜になるとまるで星明かりに照らされて輝くように見える。城の正面には巨大な円形の塔がそびえ立ち、その頂には星形の装飾が施され、星々を模した無数の宝石が散りばめられている。
皇城の正面ゲートは重厚な青銅製で、その表面には星座が細かく刻まれている。元の世界とは異なる星座も、点だけでは何の星座か分からない。ゲートを通過すると広大な庭が広がり、中央には輝く水晶の泉が湧き出ている。この泉もまた星を讃えるために作られたもので、昼間は静かに透明な水を湛えているが、夜になると星光を受けて神秘的な青白い光を放つ。
馬車が止まると、凪が誰よりも先に降車して、ミア、リカルナ、エリーゼの手を順番に取った。大勢の騎士や兵士たちに迎えられ、四人揃って皇城の中へ進んでいく。
皇城の内部は高い天井と広々としたホールが特徴で、天井には美しい星空が描かれている。星々は精緻に装飾され、夜空の動きを再現するために天窓が巧妙に組み込まれていた。その天窓からはいつでも本物の夜空を見ることができ、特別な式典や儀式が行われる夜には全ての灯りが消され、城全体が静寂の中、星明かりのみに照らされる。
そんなホールには凪が知る者や知らぬ者、純人や亜人、エルフやドワーフなどの準精霊種、貴族や騎士、女神教の高位聖職者、凪と個人的に親しい者、世界各国のお偉方らしき人影が所狭しと集まっていた。
救世の英雄ナギの帰還の式典。カイユベルが開催したそれには余りに参加希望者が多く、謁見の間では収容しきれないためにホールで開催される運びになった。
「今日は私にとって特別な一日である。長年の親友、そして私が最も尊敬する人物と、こうして再会できることを大変嬉しく思う。凪と私はこの国で初めて出会い、その時より特別な絆が生まれた。しかし凪はただの親友ではない。彼は、我々たち全員が誇りに思う救世の英雄だ」
式典では凪とカイユベルが向かい合っているが、カイユベルが語り掛けているのは聴衆であり、話している内容は誇張とねつ造が酷いものだった。大勢の前でなければ、今すぐカイユベルの頭を叩いて正常に戻してやりたい。
「魔王軍との過酷な戦争の中で、凪は恐怖に立ち向かい、多くの人々を守り抜いた。その勇気と献身、そして民や国のために自分を捧げる姿勢は私にとっても、そしてこの場にいる全員にとっても深い感銘を与え続けるものである。彼がいなければ、我々はこうして生きて立ってはいないだろう」
カイユベルは凪の功績をとにかく前面に出したいらしい。
「凪は一度は女神の元へ帰った。だがこうして再会できた。私と凪の友情は戦争という試練を超え、世界を超えても続いている。凪がどれだけ偉大な功績を残そうとも、私にとって凪は、いつも変わらない“友人”だ。笑い合い、悩みを語り合い、時には励まし合い、人生の様々な瞬間を共に歩んできた大切な存在だ」
そしてカイユベルと凪が、どれだけ友誼に厚いかどうかを語る。
「友よ、お前が成し遂げたことは、この世界に住むすべての人類の誇りだ。そして、お前がこれまで通り私の友人であり続けてくれていることに、心から感謝したい。これからも共に笑い合い、支え合い、人生の素晴らしい瞬間を分かち合おう」
そして最後に凪へ向かって語るカイユベルを見て、心から彼へ同情する。星皇という立場で苦労しているのだろう。
「よく戻った、凪」
色々と言いたいことはある。あるけれど、元の世界でこんなに凪の帰還を喜んでくれる人はいただろうか。
式典はその後もつつがなく進行する。隣国の国家元首やら外交官やらが次々と凪に対して帰還の祝辞を述べ、その似通った内容に眠くなるのを必死に我慢した。続いて皇都のメイン通りをパレードし、音楽や踊りに剣術や魔術のパフォーマンスを見て、歓談と立食を目的としたダンスパーティーが始まる頃には、双子は疲れて眠ってしまった。
「昔の凪なら途中で姿を消したわね」
「ブラック企業のデスマーチよりは楽なもんだ」
「強制移動でもさせられたの?」
ゆったりとした服に着替えたリカルナが、大きなベッドで眠る双子の頭を優しく撫でている。
凪たち四人は式典が終わった後、大公邸には戻らず皇城の一室に家族四人で泊まることにした。凪やリカルナと面会したいという者が大勢いたし、皇城の外は救世の英雄ナギを追い掛けて集まった市民や観光客でごった返していて、落ち着くまで馬車を進められる状況ではなかったからだ。
「いや、俺の居た国でデスマーチって言うと、もっぱら過酷な労働の、……?」
凪がデスマーチとは何かを説明しようとした時、ふと空気に濁りのようなものを感じ取った。凪は言葉を切り、表情を引き締めてドアの方向へ歩いて行く。リカルナは一瞬だけ不思議そうにしたものの、凪が真剣だったため、何かを問い掛けてくることはなかった。
凪は情報ウィンドウを表示してマップレーダーを表示し、異常がないことを確認したが、それでも何かが引っ掛かっている。慎重にドアへ手を掛けて、少しだけドアを開ける。ドアが開かれたことに気が付いた見張り兼護衛の騎士が気が付いて「どうかなさいましたか?」と問い掛けて来た。彼らに何でもないと答えつつ、今度は少しドアの外へ身を乗り出して廊下の左右を見回したが、やはり何も見つからない。凪は納得できなかったけれど、ドアを締めて部屋へ戻った。
「何もない、か」
「どうしたの?」
「気配がした気がしたんだ。やっぱり歳を取って感覚が鈍ったかな」
今の皇城は大勢の賓客を招いているため、警備は最高のものを敷いている。そして皇城には結界も張ってあるし、出入りする者は全員チェックしているのだ。悪魔が入り込んでいるなど、まず考えられない。
◇
二代目魔王を目の前で惨殺された魔王軍の指揮官である影を纏った男は、二代目魔王だけでなく武勇を馳せた幹部たちを失い、人間たちに劣勢を強いられる魔王軍を見ていた。もはや魔王軍は軍の体を為しておらず、悪魔たちが集まっただけの烏合の衆であった。
人間や亜人、エルフやドワーフにレベルという概念があるように、悪魔たちもその力をレベルによって強めることができる。そして二代目魔王はレベルをカンストと呼ばれる境地まで上昇させており、どんな生物をも超える最強の力を持っているはずであった。
だが最強の二代目魔王は、小汚い人間のオヤジに呆気なく殺されてしまった。人間共の街に紛れ込ませている間諜の報告では、十年前に悪魔たちを地獄の底へ叩き落とした救世の英雄ナギが帰還したのだという。
女神に遣わされた救世の英雄ナギは、この世界で最強の力を持っていたはずの二代目魔王を容易く葬った。その事実は、この世界の存在では救世の英雄ナギに対抗できないのではないか、という疑念を抱かせた。
そしておそらくそれが事実なのだ。人間も悪魔も精霊も竜も、この世界の存在は突き詰めれば女神の被造物である。その女神自身が力を借りる、まったく別の異世界から現れた存在。この世界の法則の外、否、法則の“上”の力を持つのが救世の英雄ナギだ。
今や悪魔たちの状況は十年前よりも厳しい。救世の英雄ナギは、そのまま世界に留まり続けている。全力を出せば数日の内に悪魔たちを殺しきれる力を持ちながら、人間や他種族に戦わせ、必要以上に悪魔たちを苦しめている。悪魔たちが反転攻勢しようものならば、満を持して救世の英雄ナギが現れて蹂躙する。二代目魔王と幹部たちを斬り殺したように。
奴はこう言いたいのだ。
――お前ら悪魔が絶望して絶滅していく様を、最後まで見届けてやる
「世界の異物め」
悪魔たちはこのまま救世の英雄ナギの玩具にされたまま、死んでいくのだろうか。
そうはさせない。影を纏った男はそう誓った。
影を纏った男は瓦解した魔王軍に全軍撤退と、解散して雌伏せよ、と最後の命令を下し、己は勝利に沸いて気の緩んだ人類軍に混ざった。悪魔の中でも人間に近い見た目を持つ影を纏った男は、調べられなければ亜人の一人だと思われるだけだろう。そして戦場の中で孤立したと言えば、容易く人類軍に潜り込むことができる。
影を纏った男は一ヶ月程人類軍の追撃戦に加わり、同胞である悪魔たちに大きな損害が出ないように立ち回りつつ、頃合いを見て負傷兵の一員となった。
戦線離脱のため船に乗り、同船した負傷兵たちからどれだけ悪魔を殺したかを聞かされ、腹綿を煮えくり返しながら人類大陸の軍港までやって来た。軍港は連日報告される戦果と、救世の英雄ナギの帰還による勝利確実となった戦争の趨勢で、どこよりも浮ついた空気が流れている。
悪魔が堂々と人類の船に乗ってやって来るなんて、夢にも思ってもいないのだろう。身元確認などすることもなく、親切にもそれぞれの国へ帰還するための馬車がどれかを教えてくれる始末だ。
影を纏った男は迷う事なく『プトレマイオス星皇国』行きの馬車へ乗った。幸いにも彼の国は亜人差別がない上、今はどこよりも大勢の人々がプトレマイオス星皇国へ向かっているため、人混みに紛れるのも簡単である。
馬車の中では、救世の英雄ナギを一目見ようと考える者、プトレマイオス星皇国がこれから発展すると考える商人や学者、あわよくばと考える冒険者に鍛冶師や薬剤師など玉石混交な者が乗り合わせており、ぎゅうぎゅう詰めも良いところだった。ただでさえ狭いというのに、そこかしこから憎き仇敵救世の英雄ナギを称賛する言葉が交わされ、虐殺してやりたくなる衝動を我慢するのに苦労する。
馬車は何日も掛けて、ようやくプトレマイオス星皇国へやって来た。この国はかつての反省を生かし、主要都市に入る際には確かな身分証か、滞在申請をして【解析】などを受けなければならない。影を纏った男も【解析】を受ければ、亜人ではなく悪魔であることが露見する。
しかし今は都市に入ろうとする者たちが行列を作るほどであり、【解析】は少ないながらも魔力を必要とするし、関所でスキルを持っている者だってそう多くはない。全員に対応するのは難しく、必然として特例処置として限定的な日数ならば、滞在申請と多少怪しい身分証で関所を通された。
事前にそれを知っていた影を纏った男は、魔大陸で殺した人間から奪ったブロンズランクの冒険者タグを身に着け、三日という短い滞在申請を出した。この冒険者タグ、実は本人確認の証明機能が付くのはアイアンランクからであり、ブロンズランクにはまだ付いていない。つまり確かな身分証を手に入れるまであと一歩の冒険者がブロンズランクとなる。
皇都へ入った影を纏った男は迅速かつ慎重に行動を開始した。無論、救世の英雄ナギを暗殺する――なんて無謀な計画は考えてもいない。救世の英雄ナギは二代目魔王でも傷一つ付けられていない。どれだけ隙を突いたとしても、影を纏った男では救世の英雄ナギを倒すには到らないだろう。
また人質なども無意味だ。条件が不明だが、救世の英雄ナギは仲間の元へ瞬間移動できる。人質を取っても瞬間移動からの聖剣攻撃で一巻の終わり、むしろ自分の居場所を教えて自殺するようなものだ。
だから影を纏った男の目的は、直接救世の英雄ナギやその周囲を攻撃することではない。
目的は、二十年前に救世の英雄ナギを異世界から召喚した女神の神具。
プトレマイオス星皇国の国宝、流転の聖剣。




