08.テオ
「そうですか。そんなことがあったのですね……」
総料理長ホラントが育てる自慢の野菜たちのサラダとたまご料理を食べ終わる頃に、アデルにすべての話が通った。
もっとも、リーザは昨夜のことも響いて、朝食は修道院から持参したビスケットを一切れと、紅茶を一杯飲んだだけだった。
「陛下、申し訳ございませんでした。王女殿下に対する無礼な振る舞い、どうぞお許しください」
「私も、謝ります、お兄さま。ラードルフ殿にご迷惑をおかけしました」
二人して粛々と頭を下げるさまを見て、アデルは苦笑いとともに言った。
「何を謝ることがあるのですか、二人とも。ラードルフ、無礼な振る舞いどころか、妹を助けてくれてありがとうございました。リーザも、よくよくお礼を言うように。それでいいではありませんか。まったく、あなたがたはいつもなんでもないようなことを気にして……心配することなどないのですよ、何もね」
そう言って食後の紅茶を一口飲むと、アデルはにこにこと言った。
「しかし、うらやましいですね、リーザ。私も前から、ラードルフの『貧乏な騎士』を一度食べてみたいと思っていたのですよ」
「余り物を混ぜ合わせて焼いただけです。陛下にお召し上がりいただくようなものではございません」
「それがいいのではありませんか。捨てるに忍びないと思うあなたの心根こそが、良いもののように思います。あなたもそう思いませんか、リーザ」
部下を心底恐縮させるような言葉を笑顔で言ってのけるアデルには敵わない。
ラードルフは心密かにそう思いながら、話をふられたリーザを視界の隅におさめる。
「……よくゲオルギーテ先生が仰っていました。ものは大事にするようにと」
リーザはアデルの方を向いてそう言うと、ふっと、ラードルフの方に視線を向けた。
お互いの目がふれあう。
月明かりの中で見たときよりも、今はずっと穏やかで、静かで。
この方が、俺がお守りする方なのだ。
心のうちでそう呟くと、リーザが結んだくちびるをそっとゆるめて、笑んだような気がした。
「さて、おしゃべりも楽しいですが、そろそろ時間です。仕事にかかりましょう」
アデルの一言で、朝食の場は解散となった。
「どうだった、ラードルフ」
一足先に退出したラードルフに、侍女とともに皿を下げに来たホラントが言った。
「叱られずに済んだ」
「言っただろう? お前さんは王家のこととなるとちょっとしたことで気に病むからな。これから王女殿下がお前さんのつくった料理のせいで寝込むことがあっても、あんまり気に病みすぎるなよ?」
「俺は騎士だ。王女殿下をお守りすることは務めだが、料理は専門外だ。……だいたい、縁起でもないことを言うな」
「それはそうだな。そんなことはおれだって望んでねえ」
眉をひそめて言うラードルフに、ホラントはいつもの調子で言った。口はこうだが、気に病みがちなラードルフを気遣っていることは確かだ。年齢で言えばラードルフの父親が生きていればそれに近いぐらいだが、気安く付き合いながらも細やかな気を回すホラントに、ラードルフは心からの信頼を寄せている。
それにしても……
――いつもなんでもないようなことを気にして……
アデルの言葉を思い出す。
それに被さるようにして、昨夜のリーザの祈りの姿が脳裏に浮かんだ。
――すべての命よ、お許しください。
……長い祈りの言葉を唱える王女殿下は、いったい何を気にして生きているのだろう?
それがなぜか、無性に気になった。
***
その日は一日、王城に仕える騎士や侍女たちに挨拶をしてまわった。
祝祭日というわけではないため、バルコニーに立って王都の国民たちへ挨拶するのはやめて、王家からの書状を各家庭へ届けるという形で済ませた。
挨拶にはアデルとラードルフが同行した。本来ならば王の間に皆が集うところだが、王城の案内を兼ねるために、皆の働く持ち場を渡り歩いた。
衣装部屋、騎士の詰所、鍛錬場……訪ねるところは多くあった。
昼食の時間になっても挨拶をするべき人間はあとをたたず、結局大半の人間と顔を合わせ終わったときには、昼というよりは夕方の迫る足音が聞こえ始めるような時間だった。
「ああ、アデル様、お戻りでしたか」
王の間へ帰って来た三人の元へ、ホラントが顔を出した。
「どうぞこちらへ。もうすぐ夕飯の時間ですし、簡単なサンドウィッチをつくりましたから、ぜひつまんでください。ほら、ラードルフ、お前さんのもあるから食ってけ」
いつもの食事を摂る広間ではなく、帰って来た日にお茶を楽しんだ王家の庭を望む小部屋に行くと、丸テーブルの上に白い皿とティーセットが置かれていた。
上品に盛られたサンドウィッチと、やわらかい匂いのハーブティだ。
「お気遣いありがとうございます、ホラント。さすがにお腹が空いて、疲れていたところです」
「いいえ、これぐらいお安い御用で」
軽い口調のホラントはそう言うと、きゅっと目を細くして、口元から笑みを消した。
「ところで、アデル様……」
「ええ、構いません。お願いします」
同じように笑みを少し引っ込めたアデルがホラントに応えると、リーザに向かってホラントが言った。
「王女殿下。お食事の前に申し訳ないのですが、会って頂きたい者がおりまして。こちらに通してもよろしいでしょうか」
「は、はい……わかりました」
どうやらホラントとアデルのあいだで何かしらの話がついているらしいことを察したリーザは、少し堅くなる声を隠しきれないでそう言った。
リーザの答えにホラントは一礼すると、開いている扉の向こうへと戻り、そして誰かに入るように促した。
「……し、失礼致します」
ぴんと張りつめた気持ちに舌が引っかかっているような言い方で、ひとりの青年が部屋へと入って来た。
か細い声の持ち主は、そのひょろりと細い身体に黒いエプロンを巻き付けていた。
王城で働く料理人が身につける、あの黒いエプロン。
ああ、彼が……。
リーザは息をそっと詰めた。
「テオ……」
後ろで、ラードルフの困惑したようなつぶやきが聞こえた。そうして、昨夜痛みの中でリフレインしていた声が意味を成してリーザの頭に再び響いた。
――ヨロコブ カオガ ミタイ。
「王女殿下、紹介します。これが、私の元で働いておりますテオでございます。畏れながら、昨晩の王女殿下の食事をお作りした者でございます」
「リ、リーザ王女殿下、あの、ぼく……いや、わたくしは、その、テオ……テオ・ダールと申します。その、あの――」
「ごめんなさい」
誰もが驚きで目を見張った。
リーザはテオの言葉を遮るように立ち上がり、そして頭を下げたのだ。
椅子が床をこすった音の残響が、不自然なほど長く聞こえた気がした。
「せっかく作って頂いたのに……故郷を離れてまで王城で働いてくださっているのに……本当に失礼なことを致しました」
「い、いえ、リーザさま! そんな、あの、謝らなくてはならないのはぼくのほうです、リーザさま! どうか、お許しください。あの……もし、できれば、お聞かせ願えませんか。どうして……どうしてぼくの料理……どこが、お気に召しませんでしたか? 直しますから! 必ず、必ず気に入って頂けるような一皿を作りますから、教えてください、お願いします……!」
最後の方はほとんど泣かんばかりの懇願だった。テオが必死で頭を下げる様子は、その場にいた全員が胸を痛めるほどだった。
リーザはくちびるを結び、両の手を力一杯握りしめた。
「……ごめんなさい」
「えっ……?」
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
それ以外の言葉を知らないかのように、リーザはただ、そう言った。
頭を下げてばかりで、テオの顔がよくわからない。わからないけれど、今の彼は悲しそうな、悔しそうな顔をしていることぐらいは予想ができた。
でも、ほかに言うべき言葉などない。
慰めの言葉も、言い訳の言葉も、ましてや真実を語る言葉も、リーザは持ち合わせていなかった。
「……失礼します!」
すべてを振り切るように勢いをつけて部屋を下がるテオの言葉の残響が消えるまで、リーザはそのまま、頭を下げ続けた。




