24.テオの錯乱
ぬかるんだ道を馬が必死で走る。
走らせている馬上のラードルフも、手綱を握りしめて前を見つめた。
雨がだんだんと強くなっている。
ぱたぱたと降っていたのが、いつのまにか自分の身体を強く打つ。
「ホラントさんが帰ってから、テオが現れたんです」
飛び込んで来たカリーン村の青年は、荒い息を整える間もなく話し始めた。
冷たいしずくが髪からぽたぽたと垂れるにも構わなかった。
「ホラントさんがつくったお粥を親方が召し上がって、お休みになった後でした。ぐっすり眠られたから、ずいぶんお疲れだったんだなって思っていたら――久しぶりだな、って、テオが」
秋の陽は早く落ちる。
晩秋ともなれば尚のこと。
夕闇にまぎれるように、テオはランプ片手にやって来たという。
「集会所に弟子みんなで集まって……リーザさまがテオの食事を食べられなかったって聞いてから、心配してたんです。あいつが村を出て王城に仕え始めてから会うこともなくて……。瘦せてはいたけど、テオは案外元気そうで……よかったな、とか言い合って、酒を飲んだんです」
混乱していながらも必死に話し続ける青年を近くの椅子に座らせて、それで、とラードルフは続きをうながした。
「食事は全部テオが用意していました。こんなにたくさんのもの、どうやって運んで来たのか……王城からは遠いですし、そもそもあいつは近頃は厨房には入らずにホラントさんの畑を手伝っているって聞いていたので、不思議だったんです。みんなもう酒が入って大騒ぎして……でもおれ、なんだか不安で。テオの顔が、いつもと違うような気がして。それで……」
「それで?」
「おれ、食べるふりをして手をつけなかったんです。酔ったふりして、もうお腹がいっぱいになったふりして――」
青年の返答に、その場にいた全員が息を呑んだ。
「まわりのやつらが、どんどん眠くなって倒れていったから、おれも適当にあわせて倒れて……うちの村は朝が早い分、夜も早いんです。そんな時間まで起きてるようなのはおれたちみたいな男ばかりで、もう村はみんな寝てしまっていたと思います。だいたい、飲んでた連中がこの程度の酒で寝るわけがないんです」
青年の語る話がどのへんに行き着くのか、ラードルフたちにもだんだんと見え始めた。
聞きたくはない話……だが、今の彼らがいちばん必要としている情報だった。
「目を閉じてると、テオが扉を開けて集会所の外へ出て行く気配がしました。そっと起きて、窓から見つからないように外を見てると……テオが……誰か、髪の長いひとを抱きかかえて、向かいの教会へ……たぶんあれは……雨で煙ってはいたけれど、たぶん……リーザさまじゃないか、って」
そこまで言って、青年は嗚咽を漏らした。
彼にとっても、決して言いたくはない内容だったに違いない。
ラードルフは辛いであろうその心中を思いやって、そっと肩に手を置いた。
「ありがとうございます、ここまでわざわざ知らせに来てくださって……」
アデルのねぎらいの言葉に、青年は激しく泣き始めた。
「陛下、私は先に参ります」
「ラードルフ――」
「どうか、お止めになりませんよう。お願いです、一刻も早く、行かせてください」
アデルは悩む表情をさっとしまい込んで頷く。
ラードルフは静かに一礼すると、すぐさま走り出した。
今頃アデルは、待機命令を出していた第一騎士団に、秘密裏に指示を出しているだろう。
ラードルフがカリーン村に着く頃には、王都を出立しているはずだ。
リーザさま。
カリーン村へたどり着くまで、ただひたすら王女の名を呼んだ。
リーザさま。
雨が目にしみる。
身体を冷たい空気が刺す。
何度名前を呼んでも、自分を呼ぶいつもの優しい声は聞こえない。
馬の上でリーザを腕の中におさめて綱を握りしめたことを思い出す。
あのとき自分の腕の中にあった小さなぬくもりが、今はどこかで震えているのではないか。
助けを求めているのではないか。
ひとりで泣いているのではないか――いや、もしくは、自らを傷つけることで現状を打破しようと、痛みに耐えているのではないか……。
いつでも、自分が苦しむことで問題を解決しようとしてきた王女のことだから。
恐ろしい考えが次々と頭をよぎる。
リーザさま、どうかご無事でいてください。
必ず助け出してみせる、だから、どうか。
自分に対する苛立ちが、彼を前へ前へと追いやった。
***
静まり返ったカリーン村は、青年の言うとおり、どの家にも灯りが点いていない。
雨音がひどく、馬で駆けて来たことも気づかれた様子もない。
これではリーザが助けを求めて叫んだところで聞こえない。
村の奥までたどり着く。
収穫祭のときにも見た教会を覆う大木が、雨の激しさにじっとりと濡れ、大粒の雫をびっしりと湛えている。
後方の山全体が霧がかって、視界がひどく悪い。
教会の扉は重苦しく閉ざされていた。
鍵がかかっているに違いない。
無駄に扉を引っ張って、余計な音を立てない方がいいだろう。
ラードルフは槍の柄を扉にそっと当てると、全身をぶつけるように扉へ飛びかかった。
「リーザさまッ」
鈍い音を響かせて一突きで開いた扉を通り抜けて叫んだ。
中央の祭壇が目に飛び込んで来る。
おびただしいほどのろうそくが灯って――その前に、王女とテオがいた。
「ラードルフさん……思ったより早かったですね。ああそうか、白いリボン以外に、何か知らせがいったんですね。父の弟子は、勘がいいから」
テオが特別驚いた様子もなく言った。
ラードルフが後ろ手で扉を閉めると、壊れた鍵が鈍い音を立てて床に落ちた。
テオは片手にフォークを持ち、そしてもう片手をリーザの肩に置いていた。
そうしてリーザは椅子に座らされたまま……ぐったりと青い顔をさらして背にもたれかかっていた。
「テオ……リーザさまに何をした!」
語気荒く言うが、テオはひるんだ様子もない。
「何をって、何もしていませんよ。むしろ、何かしたのはあなたのほうですよ、ラードルフさん」
「どういう意味だ……」
「リーザさまをお迎えにあがったときには、ぼくの想定以上に昏睡されてましたよ……ぼくの仕掛けの前に、あなたの『貧乏な騎士』がすばらしいトラップになったみたいです。いったいどんな『貧乏な騎士』を食べさせてるんですか、王女付き料理人さん。お身体に障ってしまっては、王女付きの意味がないんじゃありませんか」
テオの言葉に、ラードルフは絶句した。
身に覚えがないとは言えない。『貧乏な騎士』をつくるときの自分が、何を考えていたか――あの微かな苛立ちや不安を、『任務』においてなお、隠し得なかったというのか。
「ぼくが何をしたかといえば、そうですね……強いて言えば、ぼくの料理を召し上がって頂いているだけです。ほら」
言いながらテオは手にしていたフォークをラードルフに見せるように掲げた。
「新しく挑戦しました。若鶏を葡萄酒で煮込んだものです……ホラントさんの鶏舎でぼくが育てたんです。毎日手塩にかけて……元気に育つように語りかけました。おいしくなあれ、おいしくなあれ、リーザさまが倒れてしまうくらいにおいしくなあれ、って」
「……テオ、お前は……」
「ラードルフさん、そんなに遠くにいないで、もっと近くに寄ってください。さすがにもう冷めてしまって、そっちまでおいしい匂いは届きませんし。料理は五感で味わうものでしょう? もっとも、リーザさまは第六感までお使いだから、少々お疲れのようだけれど」
「これ以上、リーザさまを愚弄するなら叩き斬る」
静かにそう言ったが、テオは動じない。
にやにやと笑っている。
……あの青年が泣いて助けを求めてくるのもわかる。ここにいるテオはラードルフの知っているテオではなかった。
槍を構えたままゆっくりと歩み寄ると、テオは再びフォークに何かを乗せてリーザの口元へ運んだ。
「さあ、リーザさま。晩餐の続きにしましょう。ぼくの料理はお気に召しましたか? リーザさまのためにつくったんです。きっと、気に入ってくださると思って……あなたはお優しい方だから」
ぐったりしていたリーザは、かすかにくちびるを開いて、口元に運ばれてきた料理を口にした。
口はほとんど動いている様子もなく、ただ大きく喉が揺れて、それを飲み込んだことだけが確認できる。
しかしその直後、リーザはさらに苦痛に顔を歪め、苦しそうに息を吐いた。
「やめろ、テオ――リーザさまが苦しまれていることがわからないのか……!」
「わからないよ!! どうしてぼくの料理をリーザさまは食べてくれないんだ! わからない、わからないよ……ここにあるのは全部リーザさまのためにつくったんだ、他の誰でもない、リーザさまのためにつくったんだッ。なのにどうして、どうしてそんなに苦しそうな顔をなさるんですか!」
何も言わないでいるリーザに、テオは怒りを募らせる。
「どうして……なんで……ぼくはただ、リーザさまに食べて頂きたいだけなんだ。そうすれば、そうすればきっと、父さんにだって認めてもらえるのに……もっと胸を張って、村に帰れるのに……」
「だからだ、テオ」
「え?」
「お前もわかっているんだろう? 本当は、リーザさまのためにそれらの料理をつくったわけじゃない。お前の中にある大きな目的を果たすために料理をしている。そのために苦しんでいるお前の痛みを、リーザさまはお前のつくる皿から感じ取っているんだ」
ラードルフはひとつひとつを噛み締めるように言った。
テオがオットーに対して感じているきしみ、自分の料理が受け入れられないつらさ……そういったものが、すべてリーザの身体に流れ込んでいる。
そのきしみの大きさは、ラードルフでも容易に想像できる。
「……だからなんだって言うんだよ」
一瞬の間を置いて、テオが吐き捨てた。
「リーザさまはぼくに同情して、一緒になって苦しんでるわけじゃないだろ!? ただ単に、自分が同じ苦しみにまみれるのがいやで、それを拒んでいるだけじゃないか。自分勝手なだけじゃないか!」
叫ぶと、テオはリーザの両肩をがしっとつかんだ。
「リーザさま! あなたはずるい……ずるい人だ。ごめんなさい、と言えば許されると思っているのでしょう? いつも笑顔でいれば誰にも嫌われないだろうなんて、甘い……ぼくはそんなのには絶対にだまされない! 誰にも嫌われずに生きたいなんて、きれいごとだ!」
ひどい雨音に混じって、雷のとどろきが聞こえた。
「あなただって誰かを嫌いだと思ったことがあるでしょう!? お父上を憎んだことがあるでしょう!? ぼくだってそうだ。父を憎んだ。でも、それでも、なんとか父に認められたいって、その思いだけで今までがんばってきたんだ……なのにあなたはぼくを拒否した! まるで自分だけは汚い感情とは関係なく生きているとでも言いたげな顔をして、ぼくの悲しみを汚いものとして受け入れなかった……ぼくを踏みにじったんだ! 自分はなんの努力もしないで!」
テオは意識が混濁しているであろうリーザに、なおも語りかけ続ける。
「万人に愛されたいなんて不可能だ。そんなことあり得ない、あり得ないのにそれを望んでいらっしゃる! 無駄ですよ、リーザさま。悲しみを人生から取り除くなんて、できっこないんだ。あなたは悲しみを背負うことを『怖い』の一言で片付けて、避け続けている。向き合うこともせずに――甘えているんでしょう、ラードルフさんに。……彼があなたの心の底にあるその意地の悪さに気づいたら、なんて言うだろう? それを考えると、ぼくはとても愉快な気持ちになりますよ、リーザさま」
悲痛な笑い声を上げて、テオはきっとラードルフを見た。
「あなたもです、ラードルフさん! 自分の中にある不都合な感情は決して認めようとしない。騎士団を取りまとめる清廉潔白な団長さん――あなたは自分の心の中に芽生えている感情を見ないように、見ないようにして……逃げ回っているんだ。そんなの、リーザさまと同じだ! ぼくは知ってる! 愛しているんでしょう? リーザ王女殿下を……。無駄ですよ。リーザさまはいずれ他国へ嫁がれる――あなたのものになることはないだろう。そうわかっていて、あなたは悲しみのない料理がつくりたいなどと言う! ばかげてる、ばかげてますよラードルフさん! いつかその日がきて、あなたがその感情を抑えきれなくなって、今日なんかめじゃないくらいにたっくさん汚い感情を抱いたとき、あなたのつくる料理がどうやってリーザさまを傷つけるか……ぼくは見てみたいなあ!」
そう言って楽しげに笑うテオの声にかぶさるように、どこかからみしみしと湿った音が聞こえてくる。何かが迫ってくるような――。
――まさか。
ラードルフは弾かれるように身を動かした。
「走れテオ! 入り口の方へ……つぶされるぞ!」
ラードルフの剣幕に、テオははっと顔を上げた。
一気に距離を詰めてリーザを抱きかかえると、テオの腕をつかんだ。
その拍子に槍が落ちるが、拾っている暇はない。
――重い音がいっそう近づく。
間一髪、三人が教会の扉近くに飛び退いたとき、恐ろしく大きな影が屋根をつぶし、祭壇へとなだれこんだ。一気にすべての灯りが消え去る。
耳をつんざくような音に痛みが走り、ラードルフがテオとリーザの上に覆い被さるようにうつぶせた瞬間、濡れた土砂に混じって教会が姿を失うのを、ラードルフは気配で感じた。




