23.危機
『貧乏な騎士』を王家の食卓に供してから、ラードルフは王城のあちらこちらを忙しく行ったり来たりしていた。
鍛錬場で若い騎士の様子を見たり、騎士の詰所で書類を片付けたり――収穫祭から戻ってからは厨房の改装に時間を割いていることもあって、やらなければならないことはたくさんあった。
特に今日は、ホラントが言っていたように体調を崩している者も多いため、あちらこちらで人手が足りていないのだ。
その埋め合わせをしつつ、ラードルフ団長は本当に頑丈ですね、などと、自分で言うならともかく他人から言われると誉めているのかからかっているのかわからない言葉を投げかけられながら動き回っているうちに、夜も遅くなった。
体力のあるラードルフでも足が少々疲れてきたころ、回廊をぱたぱたと大きな音を立てて走る誰かの足音が聞こえた。
やけに騒がしいと思ったら、自分を呼びに来た侍女だった。
「どうした、そんなに焦って」
侍女が息も荒く言う。
「ラードルフ団長、陛下がお呼びです……その……リーザさまがいらっしゃらないんです、どこにも……!」
血の気の引いた侍女の顔を見るよりも早く、ラードルフはその場を駆け出していた。
人払いをした厨房脇の小部屋で、ラードルフはアデルと向き合っていた。
第一騎士団の騎士は内密に待機の指示が下り、呼ばれたのはラードルフだけだ。
実際に事が進むまでは、他の騎士団の人間まで呼ぶ必要はないと、アデルは判断した。騎士たちも折からの体調不良があり、早急に待機させるには負担が大きいのは目に見えていた。
行方がわからないと訴えにきた侍女たちは誰にも言わないように指示を出して部屋に返し、不安がる彼女たちにはマルグレートが付き添った。
「申し訳ございません、私がしっかりとついていなければいけないというのに……!」
左ひざを着いて深く頭を垂れるラードルフを、アデルは制した。
「ラードルフ、頭を下げていても問題は解決しません。私が今あなたに求めたいのは、謝罪ではなく、その頭脳です。謝罪したい気持ちがあるならば、それは問題が解決してから受け取ります。ですから、頭を上げなさい」
アデルのきっぱりとした命令に、ラードルフはしゃんと身体を起こした。
アデルのあくまで優しい口調が、つらい。
これでは、貯蔵庫でひとり、苦しませてしまったときと同じではないか。
自分を責めるのは後にしなければと思いながらも、つい心中は後悔でいっぱいになる。
「申し訳ございません……アデルさまも体調のお悪いときに」
「いいえ。さきほどあなたのつくってくださった『貧乏な騎士』を頂いてから、ずいぶん元気が出てきましたよ。マルグレートもそう思っています」
そう言って、アデルは笑ってみせた。
「それにしても、いったい妹はどこに行ってしまったのか……」
いつもの就寝時間までには戻る、と言い置いていたのに戻って来ないことを心配した侍女たちがこの小部屋まで様子を見に来たところ、中には誰もいなかった。
王家の庭に出てみても見当たらなかった。
侍女の顔が青褪めるのも無理はない。
きれいにしたばかりの調理台の上には、リーザが使ったらしいティーセットが置かれている。
紅茶がすっかり冷えたまま、まだ半分も残っている。
その傍には、食べかけのビスケットも残っていた。
これが、例の海辺の修道院から届いたというビスケットなのだろう。
若草色の包み紙に白いリボンが、そばにひらりと落ちている。
――届いたら、半分差し上げますね。一緒にお茶の時間にしましょう? 大丈夫よ、ラードルフ。これはちゃんと食べれますから。もしかしたら、ラードルフの方が、おいしくない、って仰るかもしれないわ。
いたずらっぽい笑みを浮かべながら、そう約束したリーザの声が、苦みとともに思い出される。
どうして、今日に限って自分に行き先をお伝えくださらなかったのか――。
ラードルフはくちびるをぐっと噛み締めた。
「失礼します、陛下、ラードルフ団長――ゲオルギーテさまをお連れしました」
第一騎士団の騎士がそう言って、扉を支えるようにして入室を促した。
「ゲオルギーテ先生……!」
「陛下……このたびは大変なことに」
同行の騎士が一礼して退室すると、アデルとゲオルギーテは手を取り合った。傍でラードルフも左ひざを着いて挨拶をする。
「こんな夜分遅くにお呼び立てして、申し訳ございません、先生」
「何を仰るのですか、陛下。リーザの身に何かあったかもしれないというのに、そんなときに修道院で悠長にしているわけには参りません」
ゲオルギーテは強い口調でそう言った。
幼い頃からリーザの母代わりとして手をかけてきた身としては、いてもたってもいられなかったのだろう。
「それに、ちょうど王城へ届け物をしたいと思っていたところだったのです。そのことを考えていたときに騎士団の方がいらっしゃったものですから、驚いたのですよ」
「届け物?」
「ええ。先日、リーザに私どもの修道女たちから手紙が参りましたでしょう? あれに、修道院のビスケットを送ると書いたのですが、お酒に漬けている木の実が足りなくて、今日ようやく焼き上がったところだったのですよ。それをお送りしようと思って――」
「ゲオルギーテさま、お待ちください! 修道院からはまだ、ビスケットは届いていなかったのですか?」
ラードルフの声に驚きながら、ゲオルギーテは頷いた。
アデルもラードルフも不可解な顔をして調理台を見る。
「それでは……それでは、このビスケットはいったい……」
アデルの青褪めたつぶやきに、ゲオルギーテは調理台の食べかけのビスケットを手にとって、困惑したように黙り込んだ。
ゲオルギーテの視線を追ってビスケットを見つめるうち、ラードルフの目は包み紙に吸い寄せられた。
若草色の包み紙に白いリボン――白いリボン?
これを、どこかで見たことがある……。
ラードルフはその手にリボンを拾い上げた。
静まり返った室内に、慌ただしく駆け込んで来る足音が地響きのように広がった。
「団長ッ、ラードルフ団長ッ」
「どうした!?」
先ほどとは違う騎士が息せき切ってラードルフの名を呼んだ。
その後ろには、同じように息を上げている青年の顔が見える。
「おまえは……」
「ラードルフさんッ、お願いします!!」
カリーン村の、とラードルフが言う前に、青年が叫んだ。
「テオを……テオを止めてください!」
青年の叫び声に、ラードルフは自分の手にある白いリボンの在処を思い出した。
***
「テオ……」
絞り出すようにリーザは言った。
苦しい息の下では、これが限界だった。
「リーザさま、今、起こしますね」
テオは乱暴さとは縁のない細い腕で、慎重にリーザを起こした。
そのまま抱きかかえて立ち上がると、近くにあった椅子に下ろした。
リーザは手首と足首を縛られたまま、椅子に座らされている。
「これが何か、ご存知ですか」
返事を期待していないような口ぶりで、テオが訊いた。
リーザの目の前のテーブルに置かれたランプの灯りが、テオが示そうとしているものを照らし出す。
白いリボン。
リーザはぼんやりかすむ目でとらえた。
見たことがある。
確か、収穫祭のときに、祭壇に並べられた作物に結ばれていた――捧げものである証の白いリボン。
「きれいに結われていたでしょう? ぼくの村のひとたちは、ああいうときだけとっても几帳面なんです。普段はあんなに騒がしいのに」
祭壇を思い浮かべていたことを見透かすように、テオが言った。
笑んでいるのか、嘲笑っているのか、泣いているのか――リーザにはわからない。
テオはしゃがむと、失礼します、と言ってリーザの足首に触れた。
「ぼくもカリーン村の人間ですから、ちゃんと結いますよ」
足首を縛っている縄の上から、白いリボンを巻き付けているらしい。
ひらひらと触れるリボンの滑らかな感触が冷たい。
テオは足首を結び終わると、手首にも同じようにリボンを結んだ。
「さあ、リーザさま。ご夕食の準備が整いました。どうぞ召し上がってください。ああ、大丈夫ですよ。手が使えなくても、ぼくがちゃんと食べさせて差し上げますから」
そう言って、テオはテーブルの上のろうそくに火を灯した。




