ACT-143『神が授ける力』
谷川沙貴。
卓也が二度目に移動した並行世界で知り合った人物。
澪と同じロイエであり、美しい女性のような姿を持つ“少年”。
彼も卓也の専属奴隷として、次の世界まで旅を共にした仲間でもある。
だが「誰もいない世界」で、自分達と同じように他世界から迷い込んでしまった人々を助ける仕事に目覚め、自らその世界に残留することを選んだ。
そして卓也も、彼の意志を汲んでそれを許したのだ。
もう二度と逢えないと思っていた、大事な家族。
それが、まさかこんな異世界で再会出来るとは。
純白のロングドレスに、上質の絹のような布をふんだんに用いたマント。
手足や腰に装着された、アンティークゴールドの装飾品。
そして、以前より更に大人びた、妖艶な眼差し。
全身からうっすらと光を放っているかのような、まばゆいばかりの神々しさ。
その、何処か不思議で美麗な姿は、確かに“神”と呼ぶに相応しい。
改めてその姿をじっくりと見つめるうちに、だんだんと現実味が薄れ始める。
「あの、さ。なんか自信なくなって来たんだけど。
本当に、沙貴……でいいんだよね?
実は人違いでした、とかないよね?」
『ご安心ください。
私は間違いなく、貴方が知っている沙貴本人ですよ』
その一言に、安堵の気持ちが生まれる。
でも、何故?
どうして、この世界に沙貴が居るの?
頭の中で、一気に湧き出す疑問の数々。
沙貴の身体を離すと、卓也はマジマジと彼の顔を見つめ直した。
「ちょっと待ってくれ。
君は“誰もいない世界”に残った筈だろう?
それなのに、どうしてイスティーリアに居るんだ?
まさか君まで、世界移動の能力を身に着けたの?
ってか、そもそも時空神イルヴァナって何?!」
立て続けに質問をぶつけられながらも、沙貴――時空神イルヴァナは、優しい笑顔を崩さずに聴き入る。
『不思議に思われるのも当然ですね。
一つずつ説明しますが、先に一つだけ』
「え、な、何?」
『何故私が、このイスティーリアに居るのか。
それだけ、先にお答えしましょう』
「ああ、うん!
頼むよ!」
すがるような目で見つめて来る卓也を愛しそうに眺めながら、イルヴァナはそっと唇に人差し指を当てた。
『私は、貴方達のように世界移動はしておりません』
「え?
それってどういうこと?」
『フフッ、不思議に思われますよね。
でも私は、卓也と別れてからずっと、今も同じ世界に居続けているのです』
「――へ?
なんだか全然訳がわからないんだけど?」
話の意味が理解出来ず、頭上にハテナマークを飛び散らせる。
イルヴァナは小首を傾げながら、静かに囁くように答えた。
『貴方と私が居るこのイスティーリア。
――実は“誰もいない世界”なのです』
■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■
ACT-143『神が授ける力』
「は、はあぁぁぁっ?!」
大声を上げて驚く卓也に、少女の冷たい視線が突き刺さる。
「ど、どういうことだよ?!
ここが、誰もいない世界?
じゃあ俺は、もう一回同じ世界に戻って来たってことか?!」
『そういう事になりますね。
ただ、お話はそんな単純ではなくて。
――ミスズ』
「は、はい?!」
突然呼ばれ、少女が飛び跳ねるような勢いで反応する。
『私は、これよりこの方と一緒に“幻想の間”に入ります。
準備をお願いしますね』
「え?! に、人間と、ですか?!」
“人間”という部分をやたら強調して驚く少女に、イルヴァナは一瞬笑顔から真顔になる。
『この方は特別です。
大切なお客様ですから、絶対に粗相のないように。
よろしくお願いしますね』
「は、はい!」
ミスズと呼ばれた少女は、二人を導くように今来た通路を進んでいく。
だがその表情は、まだどこか納得が行ってない感じだ。
「あの娘は、君の……何?」
『はい、あの子はミスズと申しまして。
私の弟子です』
「弟子?! って、まさかあの子もロイエなの?!」
『いいえ、違いますよ。
あの子は“イモータル”になるために、私の下で精神修行に励んでいるのです』
「い、芋? 樽?」
『その話は後程詳しく。
それより、せっかく久しぶりに逢えたのですから、どうかごゆっくりして行ってくださいね、卓也』
再び優しい笑顔を向けて来るイルヴァナに、卓也は戸惑いの表情を向ける。
「あ、あのさ。
気持ちは嬉しいんだけど、実は俺、今とっても急いでて――」
『把握していますよ。
でも、どうかご安心ください』
「え、それってどういうこと?」
妙に落ち着いた態度のイルヴァナは、卓也の手を両手で包むと、あの懐かしい顔で見上げて来た。
『この“時と光の神殿”は、外の世界と時間の流れが違うのです。
ここでどれだけ長く過ごしても、元の世界では一切時間が経ってない状態です』
「え?! そ、そうなの?」
思わぬ告白に目を剥いて驚く。
イルヴァナは、自身の胸を指して堂々とした態度で告げる。
『今の私は、時空神イルヴァナと呼ばれている、時と空間を司る神なのです』
「時と空間を?!」
『はい。ですから、卓也を困らせるような事は絶対にいたしません。
どうかご安心ください』
いきなりとんでもない事を言われて面喰うも、沙貴は絶対に嘘を言わない。
それは分かっているのだが。
突拍子もない話ではあるものの、卓也はひとまず、彼の話を信じることにした。
ミスズの案内で、卓也とイルヴァナは威厳ある神殿の中を歩いて行く。
やがて路の奥に、高さが十メートルはあろうかと思われる巨大な大理石の扉が見えて来た。
こんなの開けられるのか? と思っていると、ミスズが手を翳しただけで、すぅっと静かに開いて行った。
「どうぞ、お入りください」
「あ、ども」
「イルヴァナ様、では私はこれで」
『ありがとう、ミスズ』
深々と頭を下げると、ミスズは中には入らずに後ずさる。
『さぁ、参りましょう』
手を握られ、奥へと誘われる。
卓也は扉の向こうの空間に目をやり、キョトンとした。
そこは、何もない真っ白な空間。
天井も壁も、床も区別がなく、ただ延々と“白”が続いている。
だが良く見ると、何もない空間に一つだけ、小さなドアがポツンと突っ立っているのに気付いた。
「あのドアって何――って、うあっ?!」
指差す卓也の背後から、イルヴァナが抱き着いて来た。
身体を密着させ、頬ずりをするように。
『逢いたかった――ずっと、ずっと逢いたかった……』
「沙貴……」
『長い間、本当に長い間、待ち続けました。
貴方と再会する日を、ずっと。
気が遠くなるくらい、長く……』
「沙貴、君は、そんなに――」
卓也は世界移動と共に、時間も超越する。
だから卓也の主観的な時間と、沙貴のそれは全く異なっている。
あれから彼がどのような経験を積み、どれほどの時間を過ごして来たのかは、知る由もない。
だが、背中から感じる懐かしいぬくもりが、幾分かそれを伝えて来るような気がした。
普通の人間と変わらない存在だった沙貴が、神様になり、人知を越えた力を身に着けている。
それは恐らく、卓也の想像を遥かに越える何かを経て来た結果なのだろう。
そう考えていると、なんだか胸が熱くなる。
「沙貴、顔を見せて」
『卓也……ああ、愛しい人。
私は、貴方を別れてからずっと、ひと時たりとも忘れたことはありませんでした』
「そ、そうか……ありがとう。
とても嬉しいよ」
少しだけ良心が痛むが、それはともかく。
卓也は、改めてイルヴァナを抱き寄せる。
その途端、イルヴァナは卓也の顔を両手で覆い、背伸びをして口づけをして来た。
「……?!」
あの日、顔を背けてキスを避けた場面を思い出す。
卓也の頬に、一筋の涙が零れた。
長い、とても長いキス。
幾度も絡み合う舌が、離れ離れだった時間を取り戻すかのように、懸命にうごめく。
「沙貴……」
卓也の手が、イルヴァナのスカートの中に滑り込む。
既に硬くなっている部分を優しく包むと、少し意地悪に微笑んだ。
短い嗚咽が漏れる。
『あっ、た、卓也……!』
「また穿いてないのか。悪い子だな」
『だ、だって……ご命令を戴いてなかったから』
「え、まさか、あれからずっと?」
顔を紅潮させ、イルヴァナは俯きながら頷く。
その仕草がたまらない程可愛らしく、卓也は思わずもう一度抱き締めてしまった。
イルヴァナのぬくもりと弾力を充分に堪能した後、卓也は先程見つけたドアに目線を向ける。
『さぁ、あの中へ』
イルヴァナが、卓也の手を取りながら進んでいく。
気のせいか、先程まで感じられた緊張感がなくなっているような気がする。
「ち、ちょ、なんだか怖いんだけど?!」
『あの扉をくぐれば、卓也も安心すると思いますよ。
さあ、私と一緒に』
「う、うん」
不安と好奇心と恐怖感、そして沙貴と一緒に居る嬉しさが入り混じり、自分でも表現しづらい不可思議な表情を浮かべる。
すぐに辿り着いたドアをそっと開くと、そこには――意外な光景が拡がっていた。
「え?! こ、ここは?!」
「どうですか? 驚いたでしょう?」
卓也の目の前に広がっていたもの。
それは――マンションの部屋だった。
閉鎖区域に置き去りになっている、住み慣れたマンションの部屋がそこにある。
使い慣れたテーブルや椅子、澪や沙貴が使い込んだキッチン、寝室へ繋がるドア、分厚い遮光カーテン。
それらが、寸分違わず再現されていた。
「え、で、でも、なんd――って! 沙貴、その恰好は?!」
「はい、久しぶりに昔の姿に戻ってみました。
ちょっと、恥ずかしい……♪」
「これ、ドラクエ2?」
「?」
「さすがは神様、なんでもありだな!」
イルヴァナの恰好も、あの神々しい装束ではなく、いつの間にかメイド服に変わっている。
そこに佇んでいるのは、もうイルヴァナではなく、紛れもなくあの時のままの“沙貴”だ。
「この部屋は、あのマンションと全く同じように使えます。
ここで、詳しいお話をしましょう。
二人きりで、ゆっくりと、ね」
「あ、ありがとう、沙貴」
何故か、感謝の言葉が自然に漏れる。
疑似的な再現であることは重々承知ではあるが、沙貴がわざわざここを……皆で過ごした思い入れの強い“場”を用意してくれたことが、言葉に出来ない程に嬉しい。
「今、コーヒーを淹れますからね」
「おお、久しぶりに、沙貴のコーヒーが飲めるのか!」
思わず口をついて出た言葉に、イルヴァナ――否、沙貴は、にっこりと微笑んだ。
鼻孔をくすぐる豊かなコーヒーの香りを楽しみながら、卓也は向かい合って座る沙貴の顔を見つめる。
いよいよ、質問コーナーの開始だ。
「まず、この世界について説明しますね」
「おっと待った、その前に」
「あ、はい?」
「沙貴、別れた時の約束忘れた?
敬語はもう禁止だぜ?」
「え? あっ!」
「ははは、久しぶりだから忘れちゃってた?」
「そうでしt……そうだったわね。
ごめんなさい、久しぶりだから、つい」
「いいよ! じゃあ続けて」
「コホン!
わかったわ、卓也。
この世界はね――」
一息置いて、沙貴の説明が始まる。
「この世界は、確かに“誰もいない世界”よ。
正確に言うと、そこに別な世界が融合してしまったものなの」
「ゆ、融合? 世界が?
どういうことだ?!」
「ちょっと長くなるけど、聞いてね。
卓也と別れた後、私達は――」
沙貴は、あの後の話をし始める。
坂上親子と協力して、日本中を巡りながら迷いこんだ人々を捜した沙貴は、その後長い時間をかけて大勢の人々を救うことに成功した。
やがて助けられた人々は集団を作り、グループに分かれて生活をし始めるようになったが、そこに大きな障害が立ち塞がった。
それがあの“黒い壁”。
今やモノリスと呼ばれるあの壁は、その後も都内各地に発生し、各所を廃墟に変えて行った。
やがてそれは都心部から離れた地方にも現れるようになり、人々はせっかく築いた生活基盤をその都度変えて行かなければならなかった。
「――だけど、新たな発見もあったのよ」
「発見? どんな?」
「モノリスに囲まれた街が廃墟になって、それで終わりじゃなかったの」
「え? 何それ」
「秋葉原の状況、覚えている?
数年経ってからもう一度あの場所に行ったら、街が消滅していたわ」
「消滅?! 秋葉原が?」
「そうなの。
それだけじゃないわ。
そこには、都内では絶対ありえないような大自然が広がっていたの。
まるで、そこだけ別世界に切り替わったみたいにね」
「な、なんだか訳がわからなくなってきたぞ?
どうしてそうなっちゃうんだ?」
沙貴の分析によると、モノリスに囲まれた土地は荒廃、廃墟化、消滅、自然化という段階を経て行くという。
この影響で、都内は徐々に未開地のような景色に変貌、浸食されていった。
「自然化が進むと、モノリスも消滅していくの。
その段階で変化は終了ね。
こんな感じで、東京だけじゃなく日本全体が変わってしまったわ。
勿論、それ以外の国もね」
「すごいな、海外にも出たのか」
「うん、そう。
そして私達は、自然化したエリアで信じられないものに遭遇したわ」
「遭遇ってことは、人か何か?」
「――魔物」
「えっ?!」
次に起きた問題は、明らかに現実世界には存在しない魔物が発生したことだった。
ゴブリンやオーク、コボルドのような小型亜人種から始まり、巨大化した昆虫や既存生物、更には巨人や竜など、まるで映画の世界のような光景が広がり出したのだ。
沙貴達は、そういった存在から身を護り避難を繰り返すという新たな試練を強要される形となってしまった。
「でもね、次第に魔物ではない存在にも巡り逢えたの。
それが“エルフ”族。
彼らは私達に友好的で、色々と力を貸してくれたわ」
「ここでエルフが出て来るのか!
確かこの世界だと、滅ぼされたんだったっけ。
なんかすごいやらかしをして」
「ええ、そういうことになってるらしいわね。
でも、現実はそうじゃないの」
「というと?」
エルフは、当初は言語が通じなかったものの、彼らのもたらした“魔法”という概念で意志の疎通が可能になった。
彼らは見た事もない近代文明の様子に強い興味と関心を示し、互いの世界の情報交換を申し出た。
「私はエルフ達と関わって、彼らの世界の事を学んだわ。
彼らの居た世界は、次元的にとても不安定なものだったの」
「不安定?」
「そう。
分かりやすく言うと、ある日突然、何の前触れもなく消滅してしまうかもしれない危険を孕んでいたって事」
「ひええ! なんだそりゃ?
って、エルフ達はそんなおっかない世界に良く住んでたなあ!」
彼らの世界は、古くから各所で異常な次元湾曲が発生し、それによる甚大な被害が出ていた。
その中でも特に顕著だった問題が、空間に漂う魔力が一極集中を起こしで肥大化し、周辺の環境に大規模な変化を起こしてしまうという「魔力の坩堝」の発生だった。
これは酷い時には大陸の大半を呑み込んでしまい、まるで魔界のように変貌させてしまう事もあるらしく、魔物の発生はこれを要因とする見方が強かったようだ。
エルフ達は、これらが“次元的不安定さから生じる慢性的な問題”と判断していた。
「そんな状況だからこそ、世界を安定させて“坩堝”を解消する為の実験をしていたのね」
「なんかよくわからんけど、とんでもない試みなのは理解出来た!」
「その目論見は、成功したみたい。
でもね、その代償に、違う世界同士が部分的にくっついてしまったのよ」
「え、まさかそのせいで?」
「そういうことね。
あのモノリスは、異世界と“誰もいない世界”が融合したから発生したようなの」
エルフ達の行った実験の結果、遠い異世界と融合された“誰もいない世界”は徐々に浸食が進行し始めていた。
卓也達が滞在していた時点で既に浸食は始まっており、それが都心部の黒い壁による隔離現象だったようだ。
あの時、彼らは「人が大勢居る都市から廃墟化する」と分析したが、実際はランダムに起きていたようで、それは沙貴が海外に渡ってようやく判明した。
「でも、エルフってこっちの世界では一人残らず全滅させられたって言ってたよ?
その話の後に滅ぼされたってこと? なんか時系列がわからないな」
「彼らのことは、一旦置いておきましょう。
とにかく、エルフとの協力体制を形成できた私達は、彼らから魔法の概念を習うことで色々なものが変わったわ。
そして、どんどん世界が変わっていくのも感じたの」
「それで、“誰もいない世界”が……」
「ええ、このイスティーリアのある世界に置き換わったというわけ」
「ふわぁ……まさか、そんな事が起きてたなんて、想像も付かなかった!」
「ふふ、そうよね。
私だって、こんな展開が起きるなんて思いもしなかったもの」
目を細めて懐かしむ沙貴に、卓也はふと、重要なことを思いついた。
「そうだ! 坂上さん達!
あの二人はどうなったんだ?!」
坂上とは、卓也達が滞在していた時に世話になった人物で、“誰もいない世界”で唯一のまともな精神状態を維持していた人達だ。
父親と息子の二人で、迷い込んだ人々を保護し救助する活動を行っており、沙貴もそれに賛同して仲間に加わったのだ。
坂上の名前を聞いた途端、沙貴は一瞬、表情を曇らせた。
「お二人は――天寿を全うしたわ」
「な、亡くなられたの?」
「うん。
でも事故とかではなくて、老衰でね」
「そうか……きっと、最期まで救助活動に終始されてたんだろうn……って、待て待て待て!」
途中まで普通に聞いていたが、違和感に気付く。
「坂上さん達が老衰って、それ、翔さんも?
じゃあ、君は?!」
「やっぱり、気付いちゃったか」
「そりゃ気付くよ!
沙貴、なんで君だけ老化しないんだ?」
卓也の知る坂上親子は、老衰するような年齢には程遠かった。
ということは、少なくともあれから数十年単位は経過した事になる。
にも関わらず……
「私も不思議だったの。
もしかしたらロイエは、ずっとこのままなのかなって」
「えぇ……ふ、不老不死ってこと?!」
「それはよくわからないわ。
だけど、私達はイーデルの科学力で生み出された人造生命体だし。
もしかしたら、偶発的にそういう性質も生み出していたのかもしれないわね」
「じゃ、じゃあもしかして、澪も?」
「ええ、恐らくは」
「そうか、それで君は神様になったのか」
「これはまた違う事情なんだけど……そうね、イモータルへの進化をエルフ達から勧められたのは本当よ。
坂上さん達や、共同生活していた人達を看取った後、私は神になるための修行に入ったわ。
長い長い時間を費やしたの」
「ど、どのくらい?」
「――ドン引きしない?」
「で、出来るだけ」
「数千年」
「……!!」
「あ、嘘つき」
「す、数千?! ちょ、え……えええっ?!」
「私の主観的な時間で言うなら、あなた達と別れてから、二万年以上経ってるのよ」
「……っ」
二万年。
それはもはや、時間が経過したとか、そういう次元の話ではない。
歴史の概念すら超越する、もはや人知の及ばない時間感覚。
そんなに長い間、沙貴は、自分のことを忘れずに想い続けていてくれたのかと、卓也は驚くのと同時に深い感動を覚えた。
「沙貴、そんなに長い間、君は……」
不意に目頭が熱くなる。
卓也の手に自身の手を重ねると、沙貴は少し寂しげな表情で呟いた。
「長かった、とても長かったわ。
だけど、いつかきっと卓也や澪に逢えるって信じて、ずっと頑張って来たの。
その夢が、ようやく叶ったわ。
澪にはまだ逢えていないけど」
「そ、そうだ! 澪!
沙貴、聞いてくれ! 実は澪が――」
「魔物だった、という事でしょう?
ええ、知っていたわ」
「さ、さすが神様」
「いえ、違うの。
私がまだ神になる前から知っていたのよ」
「え?」
思わず、顔が強張る。
意味が分からず、硬直してしまう。
「え……ちょ、ちょっと待って!
それじゃ君は、あのお別れの時には既に知ってたってこと?」
「ええ、実はそうなの」
意外な発言に、卓也は思わずまた大きな声を上げてしまう。
「えええええ?!
ど、どうしてだ!? あの時点で澪はまだ……」
「私に教えてくれた存在が居るの。
澪が、人でなくなってしまうという未来を」
「だ、誰だ?!
だってあの世界だと、限られた人間しか居なかったんだし!」
「人、じゃないわ。
ごめんなさい、これだけは、卓也にもまだ言えないの」
「な、なんでだよ?!」
沙貴に、澪の未来を教えた存在。
記憶を遡るも、そんなとんでもない力を持っているような者に心当たりが浮かばない。
あの時卓也の近くに居たのは、坂上親子とかなただけ。
しかし、彼らはごく普通の人間だった筈だ。
「これは、神の視点による判断だと思って欲しいわ。
でも、安心して。
その存在は、あなたの敵じゃない。
むしろ、これ以上ないくらい卓也の味方よ」
「ま、益々心当たりがないんだけど」
「私を信じて。
――それより、澪のことよね。
もう知ってると思うけど、彼は澪の記憶と姿をコピーしただけの、全く別な存在よ。
どうしてそんな風になったのかはわからないけど、“誰もいない世界”で一緒に暮らした澪は、もういないの」
もう、いない。
理解はしているつもりでも、その言葉はさすがに重くのしかかる。
「でも、俺達はウィッシュリングを持っている!
これを使えば――」
卓也はそう言って身体をまさぐるが、リングを収めた小袋が見当たらない。
(ああ、しまった!
あれは確か、トラックの部屋の中に置いたままだ!)
「と、とにかく!
俺達はウィッシュリングに魔王の魔力を封入して、それで澪を元に戻すつもりなんだ!
それが、俺達の最終目的だ!」
焦った口調でまくし立てる卓也に、沙貴は困惑の表情を浮かべる。
「卓也、聞いて。
酷なことをいうかも知れないけど、それが上手くいくかどうかは、私でもわからないわ」
「え」
「ウィッシュリングは、太古の時代に神格化したイモータルが作り上げた“アーティファクト”なの。
遠い昔から、何度も使われては力を失い、また長い時間をかけて魔力をチャージしてきたものよ。
でも、それももう限界が来ているわ」
「それって、どういうこと?
まさか……」
「私の見立てでは、あと一回使ったらおしまいね。
しかも、異世界で魔物化した澪を戻せる程の力を発揮出来るかは、とても微妙なの」
「失敗する可能性もあるってこと?」
弱々しく尋ねる卓也に、沙貴は静かに頷きを返す。
「申し訳ないけど、その通りね。
ごめんなさい、ウィッシュリングは私より高次の存在が手がけたものだから、私では何の力にもなれないわ」
「い、いや、そんなことないよ。
あれの性質がわかっただけでも、充分だ」
「あと、一つだけ」
「え、何?」
「あのウィッシュリング、微弱だけど、祈りの力を感じるわ。
もしかしたら、既に誰かの願い事が込められているかもしれない」
「ま、マジで?!」
「ええ。
だからもしかしたら、卓也の願いは正しく叶わないかもしれないわよ。
それだけは、覚悟しておいて」
「……」
言葉が出て来ない。
せっかくウィッシュリングを使える状態にしても、澪を助けることが出来ない可能性がある?
それでは、苦労して魔王を討伐しても、意味がないのではないか。
俯いてコーヒーの水面を見つめていると、沙貴が立ち上がって背後に回り込む。
両肩に、彼の腕が絡みついた。
「ねえ、卓也」
「あ、う、うん」
「澪を助ける以前に、あなた達はしまきは、まだまだ準備不足。
特に、ステイタスが上昇しただけで戦闘技能は変化がないあなたは、致命的。
今回は助けることが出来たけど、これから先は、私の力も及ばない可能性が高いわ」
「な、何が言いたいんだ?」
「あなたに、闘える力を授けます」
「おおっ?!」
神様直々に、戦闘能力を付与?!
落ち込んでいた気持ちが、僅かに高揚する。
「それって、ラノベでよくある“あなたの好きな力を何か一つ授けましょう”って奴?!」
「いいえ、違うわよ」
沙貴が顔を近付け、耳元で囁く。
「この幻想の間はね。
私が思い描いたものが具現化出来る領域なの」
「あ、うん」
「この姿も、このマンションも。
全ては、私の想いが形になったものだわ」
「凄い能力だよなあ。
さすがは神様!」
「だから、こんなものも生み出せるの」
そう言うと、沙貴は卓也を立ち上がらせて手を引く。
玄関を出て、また先程の真っ白な空間に入り込む。
だが、一つだけ、先程までなかった筈のものがある。
「え、何アレ?」
「私が生み出したのよ」
「うん、それはわかるけど、どうして……アレ?」
「昔、卓也と一緒にゲームをしたの、覚えてる?」
「うん、覚えてるさ。
でも――なんであのゲームのキャラが、ここに居るの?」
「参考にしただけよ」
「そうじゃなくて、アレの存在理由は?」
恐る恐る尋ねる卓也に、沙貴は、満面の笑顔で答えた。
「あなたの、修行の相手♪」
「しゅ……は?」
「あなたには、ここで戦闘訓練を行ってもらうわ。
アレを倒せるようになるまで、頑張ってね!
あ、もちろん武器や防具も用意するから」
「ちょっと待てえぇぇぇい!
本気か、本気でそんなこと言ってるのかぁ!」
怯える卓也に、沙貴は、またも笑顔で優しく語り掛けた。
異様なほど、優しく。
「卓也?」
「な、なんだよ?」
「諦めよ、ね♪」
「おわあぁ~~!!」
卓也達を見下ろしている、巨大な人型のロボット。
明らかにドット絵で描かれているだろうそれが、僅かに動き出す。
卓也は
(あれ、このやりとり、ずっと前にも一度やったような?)
などと、ど~でもいい事を思い返していた。




