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押しかけメイドが男の娘だった件  作者: 敷金
最終章 異世界「イスティーリア」編
143/145

ACT-140『女神の目的』


 卓也が、今の世界より三つ前に滞在していた“誰もいない世界”。


 そこは卓也と澪、そして当時一緒に行動していたもう一人のロイエ・沙貴の三人以外に誰も人が居ない異世界だった。


 本来は大都会で大勢の人々が常時行き交う筈の、東京都内の街並。

 それが完全に無人で、それでいてライフラインや食料品、飲料水だけは無限にチャージされるというでたらめな世界。

 しかしそこは、実は別な世界の情報をコピーして反映させることで、無人でありながら変化を起こす奇妙な性質を持っていた。


 建物の変化も文化の進歩も食料の供給も、全ては別世界の影響で変化したもの。

 だが、とある特定の条件下ではその変化が遮断されてしまう。

 変化が遮断されたエリアは崩壊の一途を辿り、ただの廃墟と化してしまうのだ。


 その“特定の条件”を生み出していたのが、今、卓也の目の前に立っている「黒い壁」。


 ある日突然、地面から生えて来て特定の地域を包囲し、変化を遮断してしまう正体不明の物体。

 しかしそれは“誰もいない世界”にしか存在しない筈のものだった。


「それがなんで、この世界にまで出て来るんだよ?」


 卓也は、愕然とした。

 “黒い壁”の脅威を知る彼にとって、それは絶望の象徴でしかない。

 もう二度と見る事などないと思い込んでいたものが突如現れた衝撃は、生半可なものではない。


『どうしたの卓ちゃん? 顔色めっちゃ悪いよ?』


「な、なあリっち。

 この壁、この世界には普通にあるもんなの?」


『ああ、普通に……というと語弊があるけどね』


「あるの?!」


『ある、というよりは“居る”といった方が正しいかな』


「居る?

 なんだよそれ、まるで生き物みたいな言い方じゃないか」


『うん、だってこれ、生き物だもん』


「は?!」


 思わず大声を上げて驚く卓也に、リっちは小首を傾げながら応える。


『これはね“モノリス”っていう魔物さ。

 こちらから手出ししなければ無害なんだけど、結構ヤバい奴なんだよね~』


「これが……モンスターだって?!」






  ■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■

 

     ACT-140『女神の目的』






 卓也とリっちが調べたところ、どうやら禁足地までの行程を阻むように、モノリスは出現しているようだ。

 リっちの魔法による計測だと、卓也達の居る地点から北東へ三十キロ以上、南西へ二十五キロ以上に渡って連なっているらしい。

 この辺りには街や民家はないため、一般の人々には何の悪影響もないが、先へ進めないのは本当にまずい。

 現状、これ以上何もしようがないため、一行は完全に外が明るくなるまで休憩をすることになった。


 全員が起床して、ロビー代わりに使っている運転席に集まる。

 リっちの説明で状況を知ったテツとジャネットは、今一つピンと来ていないようだ。


「ただの壁なんだろう?

 そんなの、ぶっ壊して行きゃあいいじゃねぇか」


「そうですわ、下手に迂回しておかしなルートに入り込むよりは、堅実だと思いますけど」


『いやあ、そりゃあ止めた方が良いなあ』


「それ以前に、あんな硬くて分厚そうな壁、そうそう壊せるもんじゃないだろ」


「なんか卓也、あの壁のこと知ってるっぽい言いぐさだな?」


「ああ、よぉぉぉく知ってるよ。

 あれには本当に困らされたからな」


 卓也は、皆に“誰もいない世界”での経験を語り始めた。

 最終的に、この壁のせいで大急ぎで世界を脱出しなければならなくなった事が思い起こされる。


 卓也のあまりに熱のこもった説明に、いつしかテツとジャネットはゴクリと唾を呑み込んだ。


「街を廃墟にする壁? 滅茶苦茶ヤベぇじゃねぇかそれ?!」


「でもおかしな話ですわね?

 それはあくまで別な世界の話でしょう? この世界の壁はまた別物じゃないんですの?」


「いやそれが、触った感触とか叩いた時の反動とか、あと色とか。

 そういうのが、あの世界で見たのと全く同じなんだよ」


『卓ちゃんの言う通り、そこまで特徴が酷似してるとなると、全くの無関係とは言い難いねえ』


 しかして、この世界にはそもそも東京とは異なり街や村がまばらなため、廃墟化が起こるのかどうか判断が付かないし、ましてその力があるとしても、禁足地の近くではあまり関係がないように思える。


 禁足地へのルートと並走するように、北側には大きな河川が流れている。

 この川が非常に厄介で、河川幅がとんでもなく広いためトラックで渡ることは不可能。

 その為、はしまき一行は北から北東へ向かって迂回するルートは使用出来ず、結果的に南側から回り込むしか選択肢がなくなってしまう。


「だけど南側って、あの“巨人が棲みついている”山岳地帯があるんでしょ?」


 卓也のふてくされたような質問に、リっちは無言に頷く。


『その上、こんな巨大なトラックで何処まで走れるものかわかったもんじゃない。

 途中から徒歩で、ってことになりかねないけど、それだとこのトラックの存在意義がなくなっちゃう』


「変型して、空を飛ぶ機能とかないですの?」


『姉さん、無茶言わないで』


「それならいっそのこと、このトラックごと突っ込んだ方がマシかもね」


『それで走れなくなったら意味ないけどね』


「なんだぁ、それじゃあ手詰まりじゃねぇかよぉ~」


 座席にもたれかかりながら、テツが呆れたように声を上げる。

 万策尽き、しばらくの沈黙が場を支配する。


「しょうがない、やるだけやってみましょう!」


 フンス! と鼻息を荒げてジャネットが立ち上がる。


「ジャネさん、何する気だ?」


「あのモノリスが本当にブチ壊せないものか、この私のぱぅわで確かめてやりますわ!」


『いや姉さん、それは止めた方が』


「無茶だ、やめとけジャネット!」


「え~い、ここでグズグズしてても、澪の救出が遅れるだけですわ!」


 彼女の言葉に、卓也は一瞬思考停止する。

 そうだった、澪を元に戻すためにも、こんな所で油を売っている暇はない筈なのだ。

 思わぬ言葉にハッとさせられた卓也の目の前で、ジャネットが勢い良くドアを開けて飛び出して行く。


 だがその直後、


『駄目だって姉さん! あいつを傷つけちゃいけない!』


「えっ、どういうこと?」


『あのモノリスは、少しでも破壊されると――って! あ~もう遠く行っちゃった!』


 慌ててリっちも飛び出して行く。

 釣られて卓也とテツも、その後を追いかけた。



「でっかな壁! だけどこの私の拳の前では、こんなもんケチャップのフタ! ですわ!」


 使い所を完全に間違えている決め台詞を吐きながら、ジャネットは助走を付けて右ストレートパンチを繰り出す。


「行っけぇ~~! ギャラクティカマ〇ナぁ――む!!」


 BAKOOOOOOOM!! という書き文字が、音速ですっ飛んでいく。

 拳が空気を切り裂き、鉄板のような壁面に命中すると、一瞬波紋のようなものが現れた。

 ぐわわあぁぁぁん! という鈍く重い音が鳴り響き、しばらくすると――


「およ? 効いたかしら?」


 ジャネットが殴った所は半径三十センチ程のクレーター状にへこみ、その中心から細かなひび割れが発生する。

 そしてそれは、みるみるうちに全体に拡がって行った。

 ピキ、ピキ、という亀裂の走る小さな音が、徐々に大きくなっていく。

 呆然と壁を眺めているジャネットの許に、リっちが高速で飛び込んで来た。


「わっ! ど、どうしたんですの?

 また私の胸が恋しくなったんです?」


『逃げろ、姉さん! すぐ逃げるんだ!!』


「どうしたんですの、そんなに慌てて」


『崩れる! 下敷きになるぞ!』


「んな?!」


 そうこう言っているうちに、上からパラパラと破片が降り始める。

 二人は大急ぎでその場から離脱し、遅れてやって来た卓也達と合流した。


 その直後――轟音を立て、 モノリスの一部が崩れ始めた。


 凄まじい地響きと、舞い上がる粉塵、そして飛び散る破片。

 四人は必死で逃げ、ギリギリでトラックの中に避難することが出来た。

 先程まで四人が居た場所まで、モノリスの瓦礫が降り積もっていた。



「ふわぁ……あとちょっと遅かったら、完全に下敷きになってたなぁ」


「あっぶねぇ……それにしてもジャネさん、すっげぇパンチだったなぁ。

 ヒットした瞬間、光ってたぜ!」


「私的人生最高のヒッティングだったんですわ! オホホホホ!」


『あ~あ、やっちゃったねぇ』


 命が助かって安堵する三人に対して、リっちだけは何故かがっくりとうなだれている。


「どしたん、リっち?」


『これからだよ、ヤバいことが起きるのは』


「んん? どゆこと?」


『まあ、後学の為に見ておくのもいいかも』


「おいおいおい、いったい何だってんだよ?

 もったいぶらねぇでちゃんと話してくれよリっちぃ!」


 変顔……というか、恐らく凄んでるつもりだろう奇妙な表情で迫るテツに、リっちは白けた顔を向ける。

 しばらくすると、軽い地震のような揺れが起こり始めた。


『始まった』


「え、え、え? な、なんですのこれ?」


『窓の外見てごらんよ』

 

「いったい何g――」


 言われるままに窓から外を見た卓也の顎が外れる。


 なんと、先程破壊された筈のモノリスが、物凄いスピードで再生し始めた。

 しかも、砕かれて散らばった破片の一つひとつも肥大化し始め、それらも壁へと成長していく。

 折り重なった破片同士が膨らみ、伸び、重なり、歪な形状にまとまって大きくなる。


 ものの十数分もしないうちに、モノリスは復元され、更に数まで増えてしまった。


 それだけではない。

 先程ジャネットがパンチを繰り出した場所を中心に、様々な方向に伸びた“新しいモノリス”が誕生している。

 

「ふ、増えた?! 壁が増えた?!」


「どういうことだよ、これは?!」


「ひえええ……こ、壊したら益々増えてしまったですわ!!

 これじゃ迂闊に破壊出来ないじゃないですの!」


『いやだから、壊しちゃ行けないんだっつーの』


 呆れた顔で、驚く三人を見つめるリっち。

 卓也は、窓の外を指差して尋ねた。


「この状況の説明、お願いしていい?」


『うん。

 あのモノリスって奴は、破壊されても復元するし、その上破片がそれぞれ新しい壁に成長してどんどん増えてしまうんだ。

 だから、迂闊に攻撃魔法も使えないし、武器で攻撃することも出来ない。

 まあ、素手で殴りかかったのは、多分姉さんが初めてだと思うけど』


「お、オホホホホの……はひぃ」


「ぐええ、じゃあ何もしないで、素直に迂回していた方が正解だったってことかよ?!」


 テツが困惑しながら呟く。


「じゃあこの壁は、どんどん増えて行くだけなのか?

 だったら、今頃この大陸は壁に埋もれてしまってるんじゃないの?」


 卓也の質問に、リっちは首を横に振る。


『いや、さすがにそうはならない。

 こいつらはいずれ自然に崩壊する』


「え、そうなの?」


『そう。

 その時は分裂もしないで、そのまま地に還るんだ。

 詳しいサイクルまではわからないけど、このまま時間が立てばいずれ消滅はする』


「それって、だいたいどのくらい?」


『思ってるよりは短いサイクルだよ。

 だいたい二、三十年くらいで――』


「「「 長すぎるわ! 」」」


 ジャネットの無謀な攻撃のせいで、北方面への進路は完全に断たれた。

 しかもそれだけではなく、増殖した黒いモノリスはどんどん大地を占拠し始めた。

 トラックに迫る歪な形状のモノリスの群れ。

 卓也がトラックを発進させるよりも早く、それに回り込むような形でモノリスが増殖して来た。


「おいおいおい! こんな所まで破片飛んで来てないだろ?!

 どうしてだよ!」


「あ、もしかしたら……ジャネさん、身体に破片ついてないか?」


「え――きゃあっ?!」


 先程壁を破壊した時に降り注いだ細かな破片までも、増殖を開始したらしい。

 ジャネットの髪や鎧から、小石程度の大きさのモノリスが次々に落ちて来る。


「やばいですわ! どどど、どうしよう?!」


「早く外へ! 中ででっかくなったら最悪だぞ?!」


『仕方ない! 姉さんあーしと一緒に!!』


「え?! ちょ――」


 強制テレポート。

 リっちがジャネットの胸の谷間に飛び込んだ瞬間、二人は姿を消した。

 残された卓也とテツが、必死になって零れた破片を外に弾き出す。

 ドアから捨てた頃には、破片は小石サイズから握り拳大くらいに肥大化していた。


 しかし、その頃には既に――


「うわああっ! た、卓也ぁ!!」


「ま、前が!」


 なんと、増殖したモノリスはトラックの前面部を覆い始め、フロントガラスの下半分が埋まる程の高さまで伸びて来ていた。

 彼らには見えなかったが、トラックの側面も後方も、完全に囲まれている。


 ドラゴントラックとはしまきは、モノリスによって完全に抑え込まれてしまった。



 ――だが、その時。


 突然、ドラゴントラックの前面部が、大きく上方にスライドした。

 ガクン、と揺れる運転席と、翻弄される卓也達。

 

「な、なんだあ?!」


「こ、壊れる?! トラックが?!」


 続いてフロントフェンダーが横にスライドし、バンパーが前方に折れ曲がる。

 巨大なカンガルーバンパーも連動して倒れ、その奥にあるフロントグリルの装甲が上下に展開する。


 その内側から、まるで巨大な大砲の砲塔を思わせるような、巨大な筒状の物体がせり出して来た。

 ヘッドライトがサーチライトのように派手に光り始め、それがモノリスに反射して運転席内が真昼のように明るくなる。


「な、何が起きてるんだ?!」


「うぉ眩しっ!!」


 思わず目を覆った次の瞬間、トラックの中からせり出した砲塔から、耳をつんざくような轟音を立てて何かが発射された。

 ほぼゼロ距離射撃で撃ち出された“それ”はライトの輝きで乱反射し、まるで極太の光線のように前方へ飛んでいく。


 光線に巻き込まれたモノリスは、一瞬で消滅してしまった。


 恐る恐る目を開いた卓也は、様変わりした窓の外を見て震えた。


「今、何が起きた?!」



『掴まっていろ』



「え、今の誰――うぎゃっ?!」


 今度は突然トラックが動き出し、卓也とテツはバランスを崩して転んだ。

 ハンドルは、誰も握っていない。

 にも関わらず、トラックが勝手に自走しているようだ。


「テツ! 座席に! シートベルト!」


「お、おう?!」


 急旋回による遠心力に耐えながら、なんとか座席に座り身体を固定する。

 自動運転を始めたトラックは車体を切り返し、先程ジャネットが壁を破壊した方角へと砲塔を向けた。


 振動が運転席を揺さぶり、再びあの謎光線が放たれる。

 

「うわ……!」


 驚きの声すらもかき消すような迫力の発射音を轟かせ、光線が一直線にモノリスの群れを貫いて行く。


 光線が命中したモノリスは砕け、吹き飛ばされ、そして――溶け出した。

 ものの十数秒程で、トラックが走れる程の幅の路が展開する。


「な、何が起きたんだいったい?!」


「このトラック、武器は積んでなかったんじゃなかったのかよ?!」


『行くぞ!』


「え、だから今の声、誰――おわっ?!」


 テツの疑問をかき消すように、トラックが急発進する。

 卓也は、さすがに二度目ともなると声の主が誰か見当がついていた。


(ジェムドラゴンが、トラックを運転してるってこと?!

 そういうことも出来るの?)


 再び変型が始まり、砲塔が内部に収まり展開した各部位が元に戻って行く。

 しばらくすると、どこからともなくリっちとジャネットが戻って来た。


「み、見ましたわ! このトラック、ブレスを吐いてた!」


「そうなんだよ、んであの壁が溶けちまって……」


『ジェムちゃん、やっちゃったね』


「ああ、やっちゃったね」


 呆れ顔のリっちと卓也が、ラジオのある辺りを横目で睨む。


 しばらくすると、スピーカーから咳払いの声が鳴り響いた。





 イセカス王城は、澪が新しい王になってからというもの、リヒナ公爵をはじめとする貴族階級の来賓頻度が急増した。

 その影響で、小間使いやメイド、使用人の仕事も過去にない程に増加する。

 休む暇もなく仕事に追われる生活が始まった彼らは、当然のようにその不満を“元凶”に向けて行く。


「また公爵が来るらしいわよ。今週何度目?」


「どんだけ王様にドハマりしてんだか。あのスケベ親父」


「でもさぁ聞いた? 公爵もだけど、侯爵や伯爵も来たじゃない?

 あの人ら、噂だと毎晩三人でしてるらしいよ!」


「ええ、さ、三人?! どうやって?!」


「毎晩どころか、昼夜問わずだよ。

 だから寝室の掃除がえらいことになっちゃうんだわ」


「あの新しい王様さあ、本当に男なの?

 てか、男なのに男とセックスしてるわけ? ありえなくない?」


「あんな色情狂に、本当に王様が務まるのかねぇ?」


 年配のメイドが放つその言葉は、王城内で働くメイド達の総意だった。

 特に王らしい事をするでなく、日々貴族達とまぐわっているばかり。

 しかもそれが同性愛という、この世界においてもアンモラル極まりない異常行為なのだ。


 普段直接王と接する機会などない従者達にとって、澪が奇異極まりない存在に感じられるのは、ある意味当然の流れだった。



 そんな中、最も古株のメイド長は、新人メイド達に配分されている場内居住エリアの最深部が、既に掃除されている事に気付いた。


 そこは先代王の一家が住んでいたエリアで、今は殆んど使われていない上、階段や踊り場、短い廊下が入り組んだ複雑な場所なため、中堅以上のメイドは掃除をしたがらない。

 その為、新人に押し付けられがちなのだが。


「おや誰だい、勝手に掃除した奴は?」


 本来なら埃が溜っている筈の階段が、まるでワックスで磨かれでもしたかのように綺麗になっている。

 メイド長が階段の手すりや窓の縁を指で撫でるが、埃は一切付かない。

 それどころか、踊り場の明かり取り用の高い窓も、しっかり上の方まで拭かれている。

 それは新人はおろか、自分を含めた熟練のメイドにも到底行えないレベルの徹底さだと、メイド長は理解した。


「こりゃあ年季の入った専門の掃除夫が、時間をかけてやっとできるレベルだ。

 あんたら……じゃないよね?」


 メイド長の質問に、二人の新人は揃って頷く。

 しばらく呆然としていると、上の階から一人のメイドが降りてきた。


 全く見覚えがない顔だ。

 長い黒髪、自分達とは異なるデザインのロングドレス、そして髪の横に結ばれた赤いリボン。


「あんた見慣れない顔だねえ、別の棟の担当かい?」


 メイド長が訝しげな表情で尋ねると、そのメイドは溢れるような明るさを湛えた笑顔で答えた。


「おはようございます!

 あなたは確か、東側棟ご担当のメイド長さんでしたね?」


「ああそうだよ。

 あんたがここの掃除を?」


「はい」


「困るねぇ、掃除の区分は厳密に決められてるんだよ。

 あんたがどこの配属かは知らないけど、勝手な事されると迷惑なんだよねぇ」


 嫌みを込めて上目遣いに呟く。

 だがメイドは笑顔を崩さず、深々と頭を下げてきた。


「勝手な真似をしてしまいまして、誠に申し訳ありません。

 実は今日からこちらに住まわせて戴くので、それなら自分で掃除をと思いまして」


「はぁ? 今日からここに住む? あんたが?」


「はい、そうです」


「何バカなこと言ってんだい。

 ここはね、王家の関係者しか立ち入れない特別な場所なんだよ?

 あたしら使用人は、専用の宿舎に――」


 そこまで言った時点で、背後で新人メイドが「あっ」と短い悲鳴を上げた。

 振り返ると、青ざめた顔でガクガク震えている。

 訳が分からず戸惑っていると、謎のメイドがもう一度丁寧なお辞儀をしてきた。


「初めてお会いするのに、挨拶が遅れてしまいまして失礼しました。

 私、カバルスより王位を引き継がせて戴きました、澪と申します。

 どうぞよろしくお願いいたします」


「ひ、ひいぃぃぃ?!?!」


 メイド姿の澪に、三人は即座に平身低頭する。

 そのあまりの素早さに、澪は思わずギョッとした。


「ひ、ひええ!

 お、王様だとはつゆ知らず!!

 ま、誠に失礼いたしましたぁ~!」


「どうか頭を上げてください。

 皆さんと直接顔を合わせる機会などありませんでしたから、ご存じないのも当然のことです」


 優しく話しかける澪に、三人のメイドは信じられないものを見るように顔を上げた。


 この世界において、王家の者が使用人と直接会話をするなど絶対と言っていい程ありえない事だ。

 仮にあるとすれば、罰を与える前提の叱責くらいのもの。

 メイドにとって王に対して無礼な態度を取ることは、すなわち死をも覚悟する必要がある程なのだ。


 だが彼女達の思惑に反し、なんと新しき王は跪き、顔を近づけて来る。

 想像を絶する、吸い込まれるような美しさに、メイド長は思わず息が詰まった。


「こちらこそ、何の相談もせずに皆さんのお仕事の邪魔をしてしまって申し訳ありませんでした。

 これからは先に確認を取るようにいたしますので、どうかお許しくださいませんでしょうか」


「い?! いえいえそんな!

 お、王様が私共などにお詫びをなされるなんて、とんでもございません!」


「でも、失礼をしたのはこちらですので」


「あのあのあの、ゆ、許すも何も!

 こ、これは勘違いでしたので、その、はい!」


「それでしたら、こうしませんか?」


「は、はい?」


「本日だけ、私をあなたの部下として働かせて戴けないでしょうか?」


「は、はいぃぃぃぃい?!?!」


 想像を絶する申し出に、メイド長は目玉が飛び出そうな勢いで驚く。

 新人メイド達は、彼女がこんなリアクションを取るなんてと、別な意味で驚いていたが。


「これは私からお願いしたわけですから、誰かに咎められるものではありません。

 勿論、あなたにご指示頂いた事は確実にこなしますので、どうかお願いします」


「あ、あわわわ……わ、わかりましたぁ!」


 想定外の展開に完全にパニックになったメイド長は、かろうじてそれだけ言うと、白目を剥いて気絶してしまった。



 それから後、澪はあえて身分を隠したまま新人メイドとして働き始めた。

 掃除、洗濯、兵士達や側近達の生活空間での諸作業は当然として、遂には厨房への食材運搬、更には調理の手伝いまで手を拡げて行く。


 その仕事の全てにおいて、熟練の先輩メイドや召し使い達を遥かに凌ぐ速さと確実さでこなしていく。

 その余りにも無駄のない洗練された動きと卓越した技術力に、周囲の人々は思わず仕事の手を止めて見とれてしまう程だ。


「なんだよ、あのありえない包丁さばき……料理長を超えてるじゃないか」


「食材の選び方も的確だし、肉の処理も下ごしらえも、完璧にやってるぞ」


「なんで新人が、来賓用のメニューを決めてるんだ?!」


「見たこともない料理作り始めたぞ? でも、すごく美味そう……」


 澪が加わっただけで、少なくとも東側棟担当のメイド達と厨房の料理人達の仕事は、本来の忙しさを半減させることが出来た。


 澪が作った料理は。

 赤ワインとフォアグラとバターをふんだんに用いたフォアグラのムース、ハーブとオリーブオイルをたっぷり使った鹿肉のカルパッチョを前菜に、ミルポワを使って取ったブイヨンスープを卵白で濾したダブルコンソメスープ。


 メインディッシュには、牛フィレ肉の塊にトリュフとフォアグラのスライスをトッピングし、デミグラス風に仕上げた赤ワインソースに、複数の根菜のピューレを加えたトゥルネド・ロッシーニ風。

 火の通し方はミディアムレアで、中心部は赤いが充分火が通り、溢れんばかりの肉汁がソースと混じり合い芳醇な味と香りを楽しめる逸品。


 そしてデザートは、クリームブリュレ。

 表面には、キャラメリゼされた砂糖が幕を張り、そこに熱した鉄棒を当てることで焼き固めたもの。


 いずれもこの時代にはない調理法で仕上げた、最高のコース料理。

 上流階級の食卓に上る料理といえば、大きな肉塊を焼いて切り分けたものにスパイスやハーブを施した料理が主体。

 だが澪は、そこにあえて“下賎の者が食する”とされる根菜をあえて用いた。


 本気を出したロイエが作り出した絶品料理は、食堂に招かれた貴族達を大いに驚かせ、そして感嘆させた。


「な、なんという素晴らしい料理でしょう!

 肉がとろけるようですぞ!」


「これは、フォークすら要りませんな! こんな味わい深い肉料理は生まれて初めてです!」


「コンソメスープ、皿の底が見えるではありませぬか!

 それなのに、このコクのある深い味わいは……澪様、これ程の手腕の料理人を是非ご紹介戴けませんか?!」


 リヒナ公爵や伯爵、侯爵らが集う会食の場、上座に座っている澪は、薄青のドレスをたなびかせ、自身の胸に手を当てた。


「今回は、私が調理いたしました」


「な……お、王自ら?!」


「こ、この斬新な料理の数々を、ですか?!」


「ええ、その通りです。

 料理長には水分無理を言いましたけどね」


「ま、まさか澪様がこれ程までに素晴らしい腕前をお持ちだったとは」


「こちらの料理は、材料こそ城内にあるものですが、調理方法は異世界のものを使っています」


「異世界、ですと?」


 顔を強張らせるリヒナに、澪は優しく微笑みつつ頷く。


「そうです。

 勇者として名乗り出る者達が住んでいる、こことは違う世界。

 そこには、今皆さまが味わわれているような素晴らしい料理が、まだまだ数え切れないほど沢山存在します。

 私は、その一部をご紹介したに過ぎません」


「な、なんということだ……転生者達の世界に、これ程のものがあるとは!」


 更に感嘆するリヒナに、澪は酷く真剣な表情で続ける。


「皆さんは、転生者を“平和を維持する為に必要な生贄”のようにお考えかもしれません。

 ですが、私はここに新しい考え方を提示したく思います。

 彼らの持つ“この世界にはない知識と技術”を迎え入れ、国ひいては民衆全てに、これまでなかった恩恵を授ける道を模索することを」


「う、うむ……」


 唸るリヒナの隣で、伯爵が怪訝な顔で尋ねる。


「しかして貴方も、異世界からの転生者ではありませんでしたか?」


 その質問に、澪はハッキリと首を振った。


「いいえ、私は――自らの意思でこの世界に来たのです。

 貴方がたが崇拝する“大賢者”と同じように」


 その一言は、その場に居る者達全員の顔色が青ざめ、背筋を震わせた。




 ――その晩。


 またしても、澪は老魔道士を連れて資料庫に入り浸っていた。

 彼の魔法で、最後の資料のまとめを確認すると、呆れたような溜息をつく。


「これでようやく、全貌が確認出来たわね」


「仰る通りですな、澪様」


「これまでに歴代の王に謁見した転生者パーティは、四百七十三組。

 単純計算で、年間二、三組の謁見があるということなのね」


「私共の魔道士ギルドに入って来る情報も、だいたいそのくらいの頻度にございます」


「パーティの構成メンバーは、平均して四人から五人というところね。

 そして……魔王討伐を拒んだり、逃げ帰って来た為に処刑された数は二百二十七人。

 ……四十八パーセント。

 ほぼ半分が、魔物じゃなくて人間によって殺されているってことじゃない」


「それにつきましては……私からは何とも」


 顔をしかめながら、澪は資料の最終結果をまとめた魔法板を更に眺める。


「こんなこと、無意味どころかマイナスでしかないわ。

 あなた達は、これからもこんな事を進めて行くつもりなの?」


「お、仰る事はわかります!

 しかし、そうしないと国の、大陸の平和が――」


「勇者達が犠牲になったことで平和が得られたというエビデンスは、いったい何処から得ているの?」


「え、エビ……?」


(こんな慣習があるうちは、この世界にやって来た人々が報われることはないわ。

 なんとかしなくちゃ)


 魔法板を閉じ、澪は真剣な表情で老魔道士を睨みつける。


「ねえあなた。

 不思議に思わない?」


「は? な、何がでごさいましょう?」


「異世界から、こんなに多くの転生者がやって来るという事よ」


「さ、さぁ? 私が生まれるより以前から続いていることなので、特には」


「ボクが調べた範囲では、これだけ沢山の異世界からの来訪者が現れたという事例は、他の大陸の国々では存在しないのよ」


「ほ、ほお? いつの間にそのような調査を?」


「魔道士ギルドの総本山、元老院に問い合わせたの」


「な……!!!」


 老魔道士は、その言葉に目を剥いて驚いた。

 元老院は、澪が新王の座に着く事に対する反対派の最大勢力の一つだ。

 澪を王の座から引きずり下ろそうとしている議会に、影ながら助力を行っている立場の筈なのだ。


 その元老院が、澪の依頼で調査を行ったということは――


「この大陸にだけ、しかも約二百年前から、唐突に転生者がやって来るようになった。

 それも、最低年間二、三組……十五人弱も。

 それが現在も続いている。

 おかしいじゃない?」


「は、はぁ。

 ですが澪様、勇者の降臨は女神アムージュによるお導きによるもので」


 老魔道士の言葉を遮るような勢いで、澪は怒りのこもった口調で唱えた。


「ならその女神アムージュは、いったい何の目的で異世界の住人を転生させているの?」


「それは! 魔王を討伐するためでございます!」


 力説する老魔道士に、冷たい視線を投げながら澪は更に続ける。


「五百回近くも失敗しているのに?

 それだけ失敗を繰り返したら、普通ならもっと別な手段に切り替えると思わない?」


「そ、それは……!」


 目に見えて狼狽する老魔道士から視線を外すと、澪はグッと拳を握りながら天井を仰ぐ。



「つまり女神アムージュの目的は、魔王討伐なんかじゃないってことなのよ。

 もっと違う目的で、転生者をこのイスティーリアに送り込んでいるんだわ。

 ボク達が知らない、別な何かの為に――」


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