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新訳 我と汝  作者: マルティン・ブーバー
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第2部 (1)

 個人の歴史と人類の歴史とは、どのような点で食い違っていようとも、少なくとも両者が〈其〉の世界の進行的増大を意味しているという一点においては合致している。

 このことは、種族の歴史に関しては疑問視される。それは、そのつど混じり合って互いに交代していく文化の諸領域が、様々に色づけられているとはいえ、少なくとも同種の構造を有する複数の原始性に応じて小さな対象世界をひとつ伴って始まるということが指摘されているからである。したがって個人の生態に対応するのは、種族の生態ではなく個々の文化的生態ということになるであろう。だが、孤立して見える文化から看取するなら話は別だが、歴史的な影響下にある他の停滞した諸文化は一定の――まったくの初期ではないが絶頂の時代にやはり先行する――段階において孤立文化から〈其〉の世界を受け継いでいる。それは、エジプト文化を受け継いだギリシャ文化のようにまだ同時代の直接的な受容を通してであれ、ギリシャ文化を受容した西洋のキリスト教世界のように過去からの間接的なものを通してであれ同じである。諸文化は自身の経験を通じてだけでなく、外来文化からの摂取・流入を通じても、その〈其〉の世界を増大させていく。そしてこうなると初めて、このように増大することで決定的・発見者的な文化の拡大が生ずる。(この場合、そこに〈汝〉の世界の直観と諸行為がどれほど優勢に関与しているかは、まずは度外視せよ。)それゆえ概して、それぞれの文化の〈其〉の世界は先行のものより範囲が広く、若干の停滞と外見上の後退があるとはいえ、〈其〉の世界の進行的増大は歴史の中に明瞭に識別される。これに関して、一つの文化の〈世界像〉に付随するものについて、さらに有限的な特性なのか、あるいはいわゆる無限的、より正確には非有限的な特性なのかどうかは本質的ではない。〈有限的〉な世界のほうが、〈無限的〉な世界よりも存立要素や諸事物や諸経過をおそらくかなり多く含むことがあるからである。さらに注意すべきこととして、自然認識の範囲だけでなく社会的細分化の範囲や技術的成果の範囲とも比較することが肝要である。何故なら、両者を通じて客観的な世界は拡張されるからである。

 人間の〈其〉の世界との根本的関係は、繰り返しそれを構成する経験と、その多様な目的にそれを、そして人間生活の維持と安楽化と設備化にそれを供給する利用とを含んでいる。〈其〉の世界の範囲とともに、それを経験し利用する能力も増大しなければならぬ。個々人は確かにますます直接的な経験を間接的なものに、つまり〈知識の獲得〉に取り換えることができるし、利用をますます専門化した〈応用〉へと簡略化することができる。にもかかわらず、その経験・利用の能力が世代から世代へと絶え間なく養成されていくことが不可欠である。精神的生の前進していく発展についてひとつ語るとき、たいてい人はこうしたことを考えている。この場合もちろん人は、罪ある精神に反して、本来の意味での言葉による罪に自身を向かわせている。何故なら、かの〈精神的生〉とはたいてい精神の中にいる人間の生に対する障害であり、せいぜい克服され変形されて精神に同化されるべき質料に過ぎないからである。

 障害なのだ。 何故なら経験し利用する能力の養成はたいてい、人間の関係力の低下を介して起こるからである。この関係力、それによってのみ人間は精神の中で生きていくことができるのだが。

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