第1部 (30)
〈其〉の世界は連関を空間の中と時間の中に有する。
〈汝〉の世界は空間と時間に連関を有しない。
個々の〈汝〉は、関係事象が過ぎ去ると〈其〉にならなければならない。
個々の〈其〉は、関係事象に入ることを通して〈汝〉になることができる。
このことは、〈其〉の世界の二つの基本的特権である。このことが人間を、〈其〉の世界は人が生きるべきであり自分も生きていける世界だと、まさしく様々な刺激や興奮や活動や認識をも提供してくれる世界だと見なす気にさせる。〈汝〉の瞬間は、この確固たる有用な年代記の中に、奇妙な叙情的・劇的エピソード群として現れる。それは確かにひとつの魅惑的な魔力ではあるが、危険なことに極端へと惹きつけ、検証済みの連関を弛緩させ、満足よりむしろ問いをあとに残し、安泰を震撼させる。まさに不気味だが、それでいてまさに不可欠である。それにしても人は、そこから離れて〈この世界〉に立ち戻らざるを得ないのに、何故そこに居続けないのか? 何故立ち向かってくるものを、秩序のほうに呼び寄せて客観性の中に送還しないのか? 何故人はとかく、例えば父や妻や仲間たちに、〈汝〉と言わないわけにはいかないのに、〈汝〉と言いつつ〈其〉を意図してしまわないのか? 〈汝〉という声を発声器官によって発するのは、決してまだ不気味な根源語を語ることを意味しはしない。そう、恋人に心をこめて〈汝〉とささやくことさえ、ただ真摯に経験し利用するものとしてしか意図しない限りは、危険でないのである。
純然たる現在に生きることはできない。もし、現在に素早く徹底的に打ち勝つよう、そのときに備えをしていなければ、人は消耗し尽くしてしまうであろう。しかし純然たる過去になら生きることができる。そう、過去においてのみ人生は整理され得るのだ。人はあらゆる瞬間を経験と利用とで満たしさえすればよい。そうすればもはや燃え上がることはない。
そして君よ、真理のあらゆる厳粛さをこめて云おう。人間は〈其〉なしで生きることはできない。しかし〈其〉だけで生きる者は、人間ではないのだ。




