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第1部 (25)(26)
(25)
―するとそれなら我々の運命のあの憂鬱は、原始時代に生じたものであろうか?
―おそらくそうであろう、人間の自覚された生が原始時代に生じたものである限りは。しかし自覚された生においては、宇宙的な存在は人間の生成としてのみ繰り返されるに過ぎない。精神は産物として、いや自然の副産物として時間の中に出現する。にもかかわらず時間を超えて自然を包んでいるのはまさしく精神である。
二つの根源語の対立は、時代や世界によって多くの名称を有する。しかしその名無き真実においてこの対立は、天地創造に内在するものである。
(26)
―すると君は、人類の太古には楽園があったとでも思うのか?
―あるいは太古は地獄だったかもしれない。―というよりきっとそうだった。私が歴史的思索において遡り得る太古には、憤怒と不安と苦痛と残虐が満ちていた。―だが太古に非現実はなかった。
原始人の出会い体験は安穏な悦楽ではなかったに違いない。しかし実際に体験された諸存在者からの猛威のほうが、顔なき数への幽霊じみた配慮よりはまだ増しなのだ! 前者からは神への道が通じ、後者からは無への道が通じるのみである。




