第1部 (20)(21)
(20)
関係とは相互性である。私が〈汝〉に働きかけるように、私の〈汝〉が私に働きかける。我々の教え子たちが我々を教化し、我々の創った諸作品が我々を組み立てたりする。聖なる根源語が触れるとき、〈悪人〉も心を打ち明ける。そのようにして我々は子供たちによってつくられ、動物たちによって教えられる! 我々は滔々と流れる全ての相互性の中で、計りがたい神秘に包まれて生きているのである。
(21)
―君は愛について、人間の間の唯一の関係であるかのように語る。しかし憎しみも存するのだから、公正を期すなら君は愛も類例としてのみ選んでもいいのではないか?
―愛が〈盲目〉である限り、言い換えれば愛が存在者の全体を見ない限り、愛はまだ真には関係の根源語のもとに存しない。憎しみは、盲目であることがその本来の姿である。人が憎み得るのは存在者の部分だけである。存在者の全体を見てしかもそれを拒否せざるを得ない者は、もはや憎しみの領域の中ではなく、〈汝〉を語ることのできる人間的な限界の領域の中にいるのである。人間に生起するのは人間として向かい合うものに根源語を語ることであり、これは常に語りかけられる存在者を肯定する意味を含むが、根源語を語り得ないことがある。その場合はその他者か自分自身かのいずれかを拒否せざるを得ない。これは〈関係に入ること〉で自己の相対性を認めるという限界であり、これによって初めてその限界は止揚される。
それでもひたすら憎む者は、愛も憎しみもない者より関係に近いのである。




