第二十一話:メーキャップは大腸菌の-3
霊的……後ろを見よ。
ムライ、マリア、カナモス、そしてヤエイの四人は、連れ立って山の中へと向かった。べつに教会の目の前でやりゃあいいのにとムライは思ったが、最近体を動かしていなく、ちょっとは遠出をしたほうが胃腸の調子が良くなるかもしれないとも考えたため黙って従った。
茂みをかき分け、やたらめったら足のツボに効く石を踏み渡り、しばらくしてやっと開けた場所に出た。
「ここでいいだろう」
とヤエイがいった。
「後は手頃な魔物でも……」
ご都合主義的に、彼女がその言葉を口にした途端コボルトが現れた。ラッキーだぜ獲物が四人もいやがるとこのコボルトは考えていたが、彼がその間違いを悟るのにはあと十秒くらいかかるのだった。
「ようし、見せてくれ」
しっかとムライを見据えるヤエイ。
「えー? やるの?」
ムライはまるで今すぐ教会に帰りそれからすぐここへまた戻ってこいと命令されたかのように反応した。ムライが奇跡を使用したときの疲労度も、ちょうどそれくらいであったからである。
「礼はすると、いっただろう」
ヤエイが急かす。
「逃げてしまうぞ、ほら早く」
が、彼女はそんな心配をしなくたってよかったのだ。先述したようにこのコボルトはこの場に四羽の鴨を見出していたのだから。鴨を目の前にして逃げ出す猟師がいないように。しかし残念なのは、この場合、猟師自身がまぎれもない鴨であることだった。
「じゃ、まあ、やりますわ」
ムライは気のない返事をし、右手をぶんと振った。
「これでいいですか」
今しがた世界を救ったとでもいいたげな、達成感満載の言であった。
「……はあ?」
ヤエイは目をしばたたいた。
「ふざけてるのか! 真面目にやれと言ったではないか!」
「おれはちっともふざけてなんかいません」
心外だとムライは、
「ほら、ちゃんと気絶してるじゃないですか」
そういわれて振り返ると、なるほど、たしかにコボルトは気絶している。あまりにもその過程があっけのないものであったため、ヤエイは気づかなかったのだ。
「お、おお……」
内心、彼女はけっこう驚いていた。コボルトという下級の魔物相手とはいえ、ムライが使用したのは<奇跡>である。<魔術>と違い、めったに攻撃的な威力をはらむことのない業なのだ。しかしまったくないというわけでもなく、それをかつてやってのけたのは……
……いや。と、ヤエイは首を振る。この神父、見るからに信仰心が薄そう、というかまるでなさそうではないか。塩を入れ忘れたシチューというか、そもそも水を入れていないシチューのように……
「確かに、お前には力があるようだな」
内心の動揺を打ち消さんと尊大な素振りをあえて誇張し、ヤエイはいった。
「いきなり態度がでかくなったな」
とムライ。
「印象悪いぞ」
「しかし、まだこれでは足らない」
「ええ?」
「本当にあのドラゴンを相手どり、気絶させたのだとこれで証明されたことにはならない」
「じゃあどうしろっての」
「……そうだな」
ムライに訊ねられヤエイは黙り込んだ。
「もっと強力な魔物の出現を待つか」
それから十時間が経った。
ゴブリンコボルトスライムアメーバゴーレムトロールデックアールヴリンドヴルムマッドマンインプなど、あれから様々な魔物がいま彼らのいる開けたところにノコノコやって来はしたものの、どれも決定的に強力なものだとは言えず、ヤエイを満足させるには足らなかった。
それを受け、ムライは自分の現在の心境をかつてないほど簡潔かつ明瞭かつ完璧な言葉で表明してみせた。
「もう疲れた」
ムライは地面に倒れ伏し、隕石でも降ってくれないかなと考えた。そうすれば少なくとも、この体に蓄積された疲労とはおさらばできるからだ。体そのものともおさらばすることにはなるだろうが。
「……ふむ」
ヤエイは王立騎士団の団長である。一体どこの国のどんな王に仕えているのかがまったく説明できなくとも、その地位には変わりない。だからそれ相応のプライドを彼女は持っていて、こんなド田舎の下品な趣の村に住む不信心な神父に、間接的とはいえ間違いなく敗北を喫したのだととは、どうしても認めることが出来なかった。
「……もう日が暮れる」
初心者の水彩画のような色の空を見、ヤエイは、
「続きは明日にしよう」
「えっ、続くの……?」
ムライは悲痛な声をあげた。
「じゃ、もうお礼はいらない。帰れ」
「頑張りましょうよ兄貴……」
恨めしげにヤエイを見やりつつも、カナモスが、
「明日の晩もポイズンスネークを食べるつもりなんですか?」
「明日って……今日の晩のメニューも言っていないじゃないか」
「どうせスライムでしょ」
「まあそうだな」
「そうですね、わたしもカナモスさんに賛成です」
とマリア。
「これ以上魔物の死骸を消化したくはないと、わたしの十二指腸も訴えていますし」
「なに、お前自分の臓器としゃべっているのか?」
ムライは不気味そうにマリアを見た。
「気の毒に」
「いいから行くぞ!」
ヤエイはいらいらして叫んだ。まったく、これだから田舎の人間は……
そういう心理状態にあったから、普段はそこまで鋭敏ではないにしろ、少なくとも冬眠中のアナグマくらいには研ぎ澄まされていた警戒心が、死んだアナグマレベルにまで落ち込んでいた。だから、彼女は気づかなかったのだ――背後から襲いくるライカンスロープに!
「ぐっ――」
強烈な膂力で肩を引っ張られ、ヤエイは地面に倒れた。おのれの身になにが起こったのか、またこれからなにが起こるのか、そのどちらともわからぬままに、ライカンスロープの開かれた口、居並ぶ鋭利な歯牙、それが彼女の終焉につながる首の血管に深々と突き刺さろうとして……
「あら、ピンチじゃない」
ムライは目を見張った。
「そら頑張れよ、王立騎士団なんだろ」
ヤエイは答えない。
「ずいぶん必死だな」
とムライは思ったが、いや、と首を振り、それを言うなら懸命としておくべきだなと、ひとり納得しうなずいていた。
ちなみにもうライカンスロープは死んでいた。
ヤエイを引き倒した瞬間、ムライがその心臓に釘を刺したのだ――霊的次元における普請に用いられるような釘であったが。
だからヤエイはいま、もはや動かぬ死体を目の前にしているとも知らず、永久に終わらない闘争を続けていた。それはいつまでも、いつまでも……具体的にいうと、ニ時間ほど続いた。
やっと事態に気が付き立ち上がったヤエイは、月が昇っているのを見た。
もう夕飯時だった。




