第十六話:昼も眠れぬような人-4
リヴァイアサン……その大きさを正確に再現すると画面に収まらないクリーチャーのひとつ。
……鈍く光る灰色の雲。こらえきれず雨を落とす。それはわずかながら粘性を含み、よって傘は開かなくなる。
この雰囲気――わお! まるで葬式みたいねって。そうそう、今日はちょうど葬式なんだ。
だれの?
アイランドの。
「さあそんなわけでやって参りましたここが彼女の家根城!」
異様に興奮したムライがそういって腕を振りまわす。
「本日の葬式会場となっております」
「やけに嬉しそうですね」
とマリア。
「ええ? だってもう付きまとわれなくて済むんだもの。勝どきのひとつでもあげなきゃあ!」
「しかし不思議ですね……」
とカナモス。
「遺体は黒焦げだったそうですよ。まるで雷に打たれたように……」
「天罰でしょ」
ムライは気楽にいった。
「たまには神も仕事をするんだな」
アイランドの家の真ん前に、大きなひつぎが置かれていた。なかに彼女とおぼしき黒い人型が横たわっている。そのまわりを、家族親族友人たちが取り囲んでいる。
「ここ数年、だいぶ挙行が怪しかったけど……それでも悲しい」
と友人のひとり。
「数年どころか十年以上前からおかしかった気がするけど……しくしく」
また友人が。
「出会ってからずっとヘンだったけど……あーんあん」
これも友人。
ほう、こうして見るとあんなのにもけっこう人脈があったのだな、とムライは思う。だからといって、付きまとわれた恐怖の日々が覆されるわけではないけれど。
「ムライさん」
マリアが話しかけた。
「なに?」
「花のひとつでも捧げてあげたらどうですか」
「ええ。いいよ」
「化けて出るかもしれませんよ」
「……あり得る」
適当に足元を見て、ああこれがいいやこれで十分だろって感じに花を摘む。これなんて種類なんだろ? ハームフルに訊いたらわかるだろうか? まあ、墓に入ればおんなじでしょ。
ゆっくりとひつぎに歩み寄る。アイランド自体はまともでないが、彼女の友人や家族はまともであったため、当然ムライの顔を知らない。自分たちの与り知らぬ知人のひとりだろうかと、なんら不安を抱くことなく彼を通した。
ムライはひつぎをのぞきこむ。……焦げてるな。でも、元の顔よりは穏やかに見え……というのは悪い冗談か? ともかく、これでお別れだ。花を捧げる。アディオス。たぶん地獄に行くんだろうが、あんまり悪魔をいじめるんじゃないぞ。あいつら体が細いからな。
死体の胸に花は落ち着き、塵へと帰る数百年、ずっとそこで過ごすかのように思われた、が、そうではなかった。二度とは動かぬはずの腕が動き、二度と触れられぬはずの花に触れたからだ。
「ぎゃっ」
「わっ」
「ああ」
判で押したような悲鳴を聞きつけ、ムライは振り返る。そしてひつぎから持ち上がった上半身を見る。
「……ムライ」
焼ききれた声帯で、確かに彼女はそういった。
「……おう」
これは予想外。ムライは自分も悲鳴をあげたくなったが、そうだ、これは悪夢なんだ、どうせそのうち目が覚めるだろう、そう思い直し、それならもうちょっとこの不気味な世界で過ごすのも悪くないか、と結論し、次に言うべきセリフを考え始めた。
「……具合はいかが?」
朝の挨拶として、これ以上ぴったり当てはまるものがあるだろうか。いやない。朝という時間帯、これは人が起きるために用意されたものだという通念がのさばっているが、じっさいのところ、本当に朝に起きている人間はそう多くはない。たいていの人間は、昼頃になってようやっと目が覚めるものなのだ。つまり、朝に起き上がり、朝食を作ったりトイレにこもったりしているように見えているあれは、実は半分眠りながら行われている。そんな状態の人びとがかわす挨拶は、必然的に簡潔なものになりがちだ。朝から「やあこんにちは。ところで明日の朝食が今日の朝食と同じだった場合、明後日の夕食が昨日の夕食と同じになる確率はどのくらいだと思う?」などとふっかけるのは、それこそ「ごあいさつ」なのだ。
人間はそれなりに脳が発達しているから、とくに考えなくても、こういった気の利いた文字列を言語野から呼び出し、億分の一秒のあいだに出力することができる。たとえ目の前で死体が起き上がって自分の名前を呼んでいるなんてナンセンスで不条理な状況下に身を置き去りにされて、ああちょっと迷子センターってここらへんにないんですか? 自分はこう見えても迷子なんすよね。時間と空間がクリアランスセールの靴下を買いにどっかに行っちゃって……って、ああ、ちょっと! 置いてかないでよリヴァイアサン! てな具合は寝込みを確信する煮込みだが、そのときぶち込まれた素材のひとつに、あのカンタレラヤマユリがあった。じつは彼女のひつぎに入れられたのもそれで、なんでこんな危険物中の危険物が人畜の跋扈する村のなかに咲いているのかというと、すべてハームフルのせいである。
「だから捕まえるならあいつにしてくれよ!」
とムライは在りし日のカナモスに怒鳴った。その当時はまだ先の救世主が目の前にいることに、彼は気づいていないはずなのだが。
「お前なんの話をしてるんだよ……兄貴、兄貴!」
「へ?」
祭壇から落下するムライ。千回のうたたね中一回だってないことだったはずである。
「妹を紹介するわ」
出口にはハームフルが立っていた。
「あっ、教会の出口ね」
まるで病人のような顔色で、病人のような声をしていた。姉が活発そうに見えるのとは、対照的である。
「なるほど」
夢の残滓を振り払いたいと頭を振りながら、ムライは不機嫌につぶやいた。
「次回のネタがあんたってわけね?」




