第十四話:昼も眠れぬような人-2
胃腸……ちょっと唸るだけで人の行動を大幅に制限する恐ろしい器官。
たまたま自分にとって都合の悪い偶然を、人間は不運だなどと呼称して悦に入るが、この場合、ムライを見舞ったのは不運と決めてよいのだろうか。ただひとつ、べつにそれをどう呼ぼうが、彼にとって大した問題でなかったことは確かである。
アイランドの身を焦がさんばかりにめらめらの嫉妬の炎――じっさい、彼女の側を通ると焦げ臭いとの証言をする者が多くいた――は、やたらめったらに過激な手段へと駆り立てた。
まず、アイランドはマリアの毒殺を試みた。
ムライ、マリア、カナモス。もしくはマリアと、その他二名のロクデナシが生息する教会の裏手には、命を支えるオアシスというよりかは、妖怪が這い出てきそうな井戸が備え付けられていた。アイランドはそこへ、たったひと嗅ぎするだけで生命を拭い去る、カンタレラヤマユリの蜜をバケツ五杯分ぶち込んだ。彼女の蛮行により犠牲になったヤマユリの本数は、それだけでべつの惑星を覆い尽くせてしまうほどだった。
あとはマリアがその井戸から汲んだ水を飲み、まるで五臓六腑が同質量のマントルに置換されたかのような苦しみを味わい悶え死ぬ様を、向こうからは見えぬ隅からとくと見守るだけだった。
「わたしって頭いいんだあ」
と、アイランドはひとりつぶやいた。が、これは誤りである。その理由が、たった今あくびをしながら裏口を開けてやって来て。
「えっ、ムライくん……?」
どうして、彼が……?
なんでそんなことにも気づかないのか。それは紛れもなく恋煩いの諸症状のひとつであるところの、一種の盲目さ加減であったが、彼女の場合は嫉妬までもがそれに一枚噛んでいたから救えない。
止めようか……? と迷う。どうして迷うのかといえば、いま自分が隠れている隅から出て毒杯を仰ぐムライを止めれば、自分がともすれば無差別的な殺人犯であることが疑われてしまう――というかほとんど事実であるが――し、止めなければ、まず間違いなく彼は死んでしまうからである。
それでも止めたほうがいいに決まってんだろ、と思われる方は、胸をなでおろすが良い、正常である。が、このアイランドはぜんぜん正常ではないので、自分がムライに嫌われるくらいなら、いっそ死んでしまったほうがいい――彼が。というような、まっこと理不尽で理解しかねる思考回路を脳内に備えていたのだ。そんな致命的な配線はいったいだれの仕業なのか――それを説明するためには、彼女の生誕とそれにまつわる二本の剣と五つの風船と百個のクリームタルトに言及せねばならないが、これはまったく本筋に関わりのないものであるため、割愛される運命にある。
とまあこんなふうな葛藤がアイランドの内側で繰り広げられているあいだ、とっくにムライは井戸の水を飲んでしまっていた。明らかに水の色はおかしいし、アイランドの元へ届くほど致死性を漂わせる香りが立ち上っているのに、それでも構わず彼は飲んだ。
「ああ」
死んじゃった……
「ええん。ええん」
何を思ったか、アイランドは大声で泣き始めた。幼児にありがちな、自分で自分のおもちゃを破壊してしまう行為につきまとうそれと似た悔恨を雲として滴った涙であるが、つまり彼女はそれくらい幼かったのだ。
その声はあまりにも大きく、また涙はあまりにも大量であったため、結果として村人の八割の鼓膜は破れ、さらに五割の家を押し流す洪水となった。
自らの涙の海を漂うアイランドに、古ぼけたおまるの船を漕いで近づく影があった。
「なにやってんだお前」
頓狂な声であったが、同じくらいの頓狂さをアイランドにもたらした。
「ムライくん!」
致死量の千倍ほどの毒を平らげたにも関わらず、彼はぴんぴんしていた。アルカリ性に濡れた腕を取り、ムライはアイランドを引き上げた。
「どうして生きてるの?」
ムライはそれを洪水にまつわる話題だと勘違いした。
「ちょうど腹が痛かったんだよ」
□ □ □ □ □ □ □
あとでだれかが調べてわかったことだが、どうやらあの井戸には、そもそも毒性を持った水しか湧いていなかったようである。地下世界に住まう半土竜人たちの王国は、自分たちの工場から出た産廃を、すべて地下水脈に流してしまうことで有名だった。その無数の汚濁の流れのうち、もっとも毒性の高いそれが、たまたま教会の裏手のあの井戸に繋がっていたのである。
そういうわけだから、ムライは普段から毒に対して耐性を醸造していたことになる。だからちょっとやそっとのポイズンでは、状態異常に陥ることなんてあり得ないのだ。もちろんカンタレラヤマユリはちょっとやそっとには含まれないため、盛大に彼の胃腸を破壊したが。
アイランドは反省し、人を殺そうと思うなら、もうちょっと考えてからにしなければならないとの教訓を得た。で、こういうものを得ると、さっそく役立ててみたくなるものなのだ。新しく入手したものが、必ずしも良いものであるとは限らないのだが……とにかく、アイランドは再び、あの厚かましい(と彼女は思い込んでいる)マリアを殺害する計画を立てることを決意した。




