第十三話:昼も眠れぬような人-1
狂人……あなた以外の全ての人。
「誰あんた?」
「わっ」
唐突に声をかけられ、マリアは驚き尻もちをついた。すると危なっかしく周囲はぐらぐらと揺れた。
「おい気をつけろ! まだ完全に浮上したわけじゃないんだから……」
教会のなかからムライが大声で叫んだ。死にもの狂いで彼が発動した奇跡によりなんとか地面をふさいでから、まだ三日と経っていなかったのだ。ちなみに元凶であるメイフライには、罰としてしばらく死んでもらうことになった。
「ムライさん、なんかヘンな人に声をかけられました……」
マリアが怯えていった。
その声を聞き、ムライは不承不承教会を出てヘンだというその人物を確認した。ヘンじゃないやつがこの村にいるものかと思いつつも。
案の定、それは彼が見知った人物であった。見知った、というより、見知らされた、といったほうが正しいような気もしたが、とりあえず赤の他人というわけではなく、それは不幸なことであった。それというのも、ヘンな人だらけのこの村彼の知り合いたちの中においても、いま目の前でマリアをこれが親の仇ですと紹介されたかのような視線でにらみつけているこの人物は、別格にヘン、というか、有害な人物であったためである。
「アイランド……」
余命を宣告された人の声で、ムライはその名を呼んだ。
アイランドとは、少女である。それが事実であることは間違いない。ただ、この言い方だけでは、いくつか重大な要素をぬけぬけと見過ごしてしまうこととなりかねない。だからもうちょっと詳しく説明するなら、アイランドとは、髪が青くて、目が緑色で、心はにび色の、というのはつまり病み色の、自己中心的な、誇大妄想癖の、ストーカー常習犯の、その被害者であるところはムライである、少女、とまで言い添えれば、まあ、完全ではないにしろ(そんなものはこの世にありえない)、この狂人の特徴の八割部分くらいは説明でき、ひとまずはそれで十分だろう。なんといっても、まともな人間たちはこういう人と付き合ってはならず、それについての情報すらも知るべきではないからである。
「ムライくん!」
幼年期から連綿と呼び習わす言い方で、アイランドは神父の心に雲をかけた。
これはよく知られた事実であるが、恋という感情は病気である。
それはしばしば致命的な症状をもたらし、治療方法も限られているので、年間五百万人が死んでいるとまことしやかにささやかれているが、これは真実である。
罹病者が勝手に死ぬならまだしも、この病気の実に厄介なところとして、しばしば他人にも迷惑を及ぼすというところが挙げられる。で、この場合、紛れもなくアイランドに苦しめられているのはムライであった。
十年ちょっと時を遡ると、当たり前ではあるが、ムライはまだ子供であった。もちろん、アイランドもそうである。
いまの関係からは想像もつかないことであるが、当時ふたりはそれなりに仲が良かった。これは幼年期においてはままあることで、あとで振り返ってみれば、「よくもまあ……」というようなやつと交際しているものである。言うまでもなく、未熟であった判断力のためだ。
そういうわけで、ムライもまたアイランドとよく遊んでいた。当時から<コマンド>は田舎であり、田舎にあるようなものがだいたい揃っていた。つまり、彼らのような子供が駆けまわって転んでケガをして病室行きになる場所には事欠かなかったというわけだ。
保護者から、ふたりは「行ってはいけない場所」をいくつか示されていた。どうして行ってはいけないのか、とふたりが抗議すると(子供にとっては多分に魅力的な場所も含まれていたため)、
「保険が効かないから」
とのことであった。当然ながら、ふたりはその意味を解することに失敗した。保護者たちが思っていたよりずっとずっと、彼らはおろかであったのだ。だからあっさりと禁を破り、ふたりは近場にある森へ出かけた。近場といっても村からは離れており、かなり本気の悲鳴をあげても村の中心の兵舎にいてしかもたいてい眠りこけている憲兵には届かないであろうと思われる距離を置いていた。
「危ないと思う」
と、当時はいまよりだいぶ気の小さかったムライの抗議も意に介さず、アイランドはどんどんと先へ進んでいった。そもそも、ムライは彼女がなんのためにこんな場所へ行きたがったのかが謎であった。森だぞ? ただの森なのに? こいつはお菓子の家とかスロットマシンが森にあると思っているのか、と後ろから追いすがりつつぶつくさと文句をいった。いっぺん、ゴブリンにぶん殴られりゃあいいのに、とも思った。
その望みはただちに叶えられ、道脇のしげみから突然現れた子鬼にアイランドは殴打された。ゴブリンの世界には子供を大切にしようとか子供についてなんかすると規制がうるさいとかいう概念がまったく欠けていた。そのため打撃は容赦のないものであり、ムライはこのとき初めて人間の脳漿を見たのである。
「げっ……」
さすがに食欲をなくしたムライは嘔吐し、ゴブリンもそのとき初めてゲロを吐く人間の姿を見たため、それをドラゴンの吐くファイアーブレスと勘違いし、あわてて逃げ去ろうとして転んで頭を打ち死んだ。
アイランドは動かない。倒れ伏し頭がついた地点から、同心円状に血が広がっていくのを見た。
これはやばい、とムライは幼心に思った。約束を破った上、片方が死んでしまっている。こいつはひどい。自分のせいじゃない気がするが聞き届けてはもらえないだろう。葬式、葬式か……ムライは非常に葬式を嫌っていた。彼は意味のある人の話すら聞きたくないタイプなのに、意味のわからない人の話はもっと聞きたくなかったのだ。
なんとかならねえかな、とやけくそになってムライはアイランドの頭を叩いてみた。
すると蘇った。
「あんたが助けてくれたの……?」
とさっきまで死んでいたアイランドがいった。
ちょっと返答に迷ったものの、
「……うん」
これが間違いだった。
ムライを恩人だと思い込んだアイランドの、この先十数年に渡るつきまといの日々の幕開けである。
「今すぐその幕降ろせ」
と現代のムライはぼやいた。
一連の流れにおいて一番ムライが頭を悩ませているのは、アイランドが自分のことを恩人だと思っていることで、しかもそれがたぶん真実であろうというところだった。それ以来一度も試してみたことはないが、彼は自分には死人すら蘇らせることができるだろうとなんとなく思っていた。しかし、なるべくなら使いたくないものだと考えていた。だってまたこんなストーカーが誕生するかもしれないだろ? そいつはゴメンだ。
アイランドはマリアに視線を据えたまま訊ねた。
「ねえ……なんなのこの子」
その声のトーンがまるで許嫁の不実を咎める花嫁のそれであったので、冗談じゃない! とムライは思った。
「ここで働いてくれてるんだ。怪しいことはないし……そもそも、お前には関係ないだろ」
至極まっとうだと自分では思われる返答をムライは試してみた。
「……へえ」
おや、失敗。地獄にそびえる針山のとげとげしさは、彼女の声からまったく失われていない。ふつうにしてくれていれば、まあそれなりにかわいらしいのだが……
その後は一口も発することなく、ただ黙ってマリアをもうしばらく見つめたあと、そのままアイランドは立ち去った。何しに来たんだよマジで、ともう少しで実際に声に出して言ってしまいそうだったが、これ以上刺激するのは得策でないと考え直しやめた。
とはいえそんな配慮を彼がする必要はなく、というのも、どっちにせよすでに内面で爆発は生じてしまっていたからである。




