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月に水まんじゅう  作者: はぎわら 歓


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26 池波静乃

 一年ぶりに茶道家の池波静乃を美優と一緒に訪れた。静乃とは中学時代の茶道部を離れても、時たま作った和菓子などを携えて自宅を訪問することがしばしばあった。

実は美優の祖母、梅子とは親友だったらしい。その関係もあり、池波静乃が指導する茶道部に美優は入部したのだった。


「いらっしゃい。今日は気持ちの良い日ね。お庭でお茶にしましょう」

 とうとう百歳を目前に控えた静乃の歩みはおぼつかない。それでも言葉も動作もきちんとして品が良く凛としている。

「あたしお茶の用意してきます」

 美優がさっと水屋に向かう。

 五坪ほどの庭で一応小規模な野点ができる広さだが、星奈は静乃と一緒に縁側に座り、竹とくりぬいた岩でできた、ししおどしを眺めた。

梅雨明けですっきりとした明るい庭に苔むした岩が落ち着きを感じさせる。

「星奈さん、今、充実してそうね。お仕事大変?」

「はい。忙しいですけどやりがいがあります」

「ふふ。結婚とかまだまだしないの?恋人いるんでしょう?」

「あ、ええ、まあ。でもまだ結婚のことなんかは考えたことないです」

「星奈さんや美優さんのことを『リア充』って言うんでしょ?」

 思わぬ言葉が出てきて星奈は吹き出すところだったが「そ、そうですね。たぶんリア充です」と笑いそうになって答えた。


 静乃は『若い子』を馬鹿にすることも蔑むこともなく丁寧に扱う。中学時代から身近な大人や教師よりもよっぽど寛容で理解があった。

不思議なもので押さえつけようとする教師には反抗的なのに静乃の前では借りてきた猫のようにおとなしくなる生徒が多かった。そして教師よりも慕われていた。

星奈と美優は、教わった教師には年賀状一枚書かないのに静乃にだけは年賀状を書き、何か状況が変われば報告をしに来、またお中元、お歳暮を渡すかのように、こうやって訪れている。


 美優がポットと抹茶椀をもってやってきた。本来このような簡易すぎるやり方を嫌う茶道家が多い中、面倒で飲まないんだったら簡単にでも飲んだ方がよいと、湯沸しポットや、やかんなどでお稽古以外のときに茶を点てることを静乃は『よし』としていた。

 星奈も昔、静乃から言われた「お抹茶は軽い風邪なら吹き飛ばしてしまいますからね」という言葉を忠実に守り、風邪薬よりも抹茶を常備している。

静乃がこんなに元気なのはきっと抹茶のおかげだろうとも思っている。

「どうぞ」

 美優が美しい扇形をしたピンクのグラデーションのネリキリを差し出す。

「まあ、綺麗ねえ」

「美優、また腕があがったんじゃないのー」

「へへー」

 くるっと目を輝かせ美優はニヤッと笑う。

「しかもこれさ、紅麹使ったんだ。やさかい子供らにも安心や」

「へー。いいねえ。保育園で言ってみよ」

「美優さんも頑張ってるのねえ」

 美優は照れて頬を染めた。黒文字でそっと一口切り分け口に入れる。

美味しいと言うよりも、口の中に美しいという感覚が広がることに星奈は感動をおぼえる。

「美優。味もすごくいいよ」

「ありがとぉ」

 不思議なイントネーションが混ざった言葉を使うようになった美優はもうすっかり一人前だ。


 やがて茶筅のサラサラした音が聞こえ始める。

そして白地に緑色の釉薬がかかった沓形の織部焼の茶碗が静乃の前に差し出される。星奈の前にはぽってりした白い志野茶碗。美優自身はマット調の黄色い黄瀬戸の茶碗を目の前に置いた。

「やっぱ茶碗は美濃焼がいいてー」

「そうなの?」

「うん。なんか京焼は派手すぎてさ」

「まあまあ、若いのに。渋いわねえ」

「あはは。渋いのかなあ」

「私でも、若い頃は乾山や仁清写しを練習で使ってましたからねえ。まあでも地元の土物は肌に合うと言うかしっくり馴染むわねえ」

「星奈は志野好きだよね、昔から」

「うん。口当たりが優しいしね。なんか持っても柔らかい気がする。とくに静乃先生のは」

 三人でリラックスしながら甘い抹茶を口の中で転がした。




――ふふと静乃は微笑んだ。あまり生徒に気を使わせたくない静乃は、この三つの抹茶茶碗が今は亡き人間国宝の作であることは言わなかった。

彼女は稽古を通して、道具の扱いと精神が伴ってきたころに自身の所有する最上のものを使わせることにしている。

 星奈と美優の二人は若い生徒の中でも、特に茶の湯の精神を理解していると思い、こういう気兼ねない喫茶店の様な茶席でも、高価な道具を使わせることができた。

例え、彼女たちが道具類を傷つけたとしても悔いは残らないだろう。

 道具類は、好きで勉強をしているか、子供のころから馴染みがなければ目利きにはなれない。したがって機械生産のものと、若手作家のものと、国宝級のものを混ぜても大抵の人には区別がつかないようだ。

 その点、星奈はフィーリングでよいものを見分け、美優は機能でよいものを選び取る。好きな茶碗を選んでよいと言うと星奈は『柔らかい』といい、美優は『使いやすい』と言い上質なものを選んだ。


 静乃は二人がゆっくりとでも成長しているさまを見て、目を細めた。特に美優は彼女の親友の梅子の孫である。梅子の美しさと気高さとはっきりとした気性を受け継いだ美優は、静乃にはまばゆく映るのだった。

 星奈は若い頃の静乃に似ている。この若い二人を見ると、かつての青春時代を思い出さずにはいられなかった。(あと何度この青春を見ていられるだろうか)

 寄せる歳と老いていく自分の、次の行き先へのカウントダウンが始まっていることに静乃は気づいていた。十分長く生き人を育て教え伝えてきたことで満足のいく一生であった。

今すぐ死んでも後悔はない。

ただ目の前の力強い美しい花々を、もう少し眺めていたいと思うのだった。

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