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第27話 宮廷魔術師、恋人になった二人を面白がりすぎる

 宮廷魔術師ミレイユ・エルノアが王都へ戻ると聞いた翌朝、三枝宗一郎は少しだけ寂しいと思った。


 もちろん、本人には言わない。


 言えば十中八九、「あら、私がいなくなると寂しいの?」と面白がられるのが分かっているからだ。


「三枝さん、その鍋、煮立ってますよ」


「分かってる」


「さっきから同じところを三回かき混ぜています」


「ニーナ、最近よく見てるなあ」


「毎日一緒に働いておりますので」


 厨房では朝の仕込みが進んでいた。


 鶏肉と豆の煮込み。


 焼き野菜。


 薄く切ったパン。


 大きな変わり映えはないが、宗一郎にとってはこういう普段どおりの仕事が一番落ち着く。


 ただ今日は、その普段どおりの中に一つだけ区切りがあった。


「ミレイユさん、本当に今日帰るんだよね」


「はい。昼前には城を出ると聞きました」


「そっか」


「寂しいんですか?」


「……まあ、少しは」


 ニーナが笑う。


「ご本人の前でも、それくらい素直に言えばよいのに」


「絶対からかわれるだろ」


「それも最後だと思えば」


「最後じゃ困るよ。もう二度と来ないみたいじゃないか」


「それもそうですね」


 宗一郎が味見用の匙を取ろうとしたところで、表の扉が開いた。


「おはよう」


「噂をすれば」


 ミレイユだった。


 いつもの黒と青を基調とした魔術師の衣装に、今日は旅用の外套まで羽織っている。腰には細身の杖を差し、手には小さな鞄を持っていた。


「本当に出発する格好ですね」


「だから昨日から言ってるでしょう」


「いや、実感なくて」


「何よ。寂しいの?」


「ほら来た」


「何が?」


「絶対そう言うと思ってました」


「じゃあ当たってたのね」


「少しだけです」


 ミレイユが目を細めた。


「へえ。少しだけ」


「増やしませんよ」


「残念」


 彼女は勝手知ったる様子でいつもの席へ座った。


「朝ご飯、まだよね?」


「旅立ち前なのに普通に食べる気だ」


「旅に出るからこそ食べるのよ。王都まで馬車で何日かかると思ってるの」


「保存食持ってるでしょう」


「保存食と温かい食事は別」


「そこは完全に食堂の常連ですね」


 宗一郎は笑いながら煮込みを盛りつけた。


「今日は少し軽めです」


「肉は?」


「入ってます」


「ならいいわ」


「レティシアみたいな確認しないでください」


「一緒にしないで」


 そう言った直後、扉がまた開く。


「誰と一緒にするなと言った?」


 本人が来た。


 レティシアは朝の公務へ向かう途中らしく、簡素な軍装姿だった。その後ろにはガレスもいる。


「ちょうどよかった」


 ミレイユが言う。


「何がだ」


「最後に三人揃ったから」


「最後と言うな」


「だから帰るだけよ。死ぬみたいに言わないで」


 宗一郎が皿をもう一つ用意する。


「レティシアも食べます?」


「少しだけ」


「朝食は?」


「城で食べた」


「じゃあ要らないでしょう」


「少しだけだ」


「その言い方、つまみ食いする人のやつですよ」


「恋人の料理だぞ。少しくらいよいだろう」


 ミレイユが匙を止めた。


「あなた最近、その『恋人だから』って言葉便利に使いすぎじゃない?」


「事実だ」


「この前まで恋愛経験ほぼ皆無だった人が、覚えたての言葉を乱用してる感じね」


「うるさい」


 宗一郎は笑いながら、小さめの皿に煮込みをよそう。


「野菜も入ってますよ」


「朝からそこを言うな」


「昨日ちゃんと食べた?」


「食べた」


「証人は?」


「料理長」


「じゃあ信じます」


「私の言葉だけでは駄目なのか!」


「実績がありますから」


 ミレイユが吹き出した。


「本当に、付き合う前と大して変わってないわね」


「そう見えます?」


「ええ。でも前より少しだけ近い」


 宗一郎は皿を持ったまま少しだけ動きを止めた。


「近い?」


「距離も、言葉も」


「観察しないでくださいよ」


「魔術師は観察が仕事なの」


「絶対それ関係ない」


「半分は趣味ね」


「認めた」


 朝食が一段落したところで、ミレイユは鞄から小さな紙束を出した。


「宗一郎」


「はい?」


「これ、渡しておく」


 宗一郎は紙を受け取る。


 まだ文字を完全には読めない。


 ただ、昨日までより少しだけ記号が文字として見えるようになっている。


「……これ、料理?」


「そう」


「読めないんですけど」


「だから横に簡単な印もつけたわ」


 ニーナが隣から覗き込む。


「卵料理の手順ですね」


「え?」


 宗一郎が顔を上げる。


 ミレイユは少しだけ気まずそうに目を逸らした。


「王都へ戻ってから、自分でも作ってみようと思って」


「本当に?」


「何よ、その驚き方」


「いや、最初パン燃やした人が」


「まだ言うの!」


「でも偉いです」


「子供みたいに褒めないで」


「じゃあ、かなり進歩しました」


「それも上から目線ね」


 宗一郎は紙を見直した。


「でも、これ自分で書いたんですね」


「当然でしょう」


「料理の手順まで書くくらい本気だとは思わなかった」


「魔法も料理も、再現できなければ意味がないもの」


「そこは宮廷魔術師らしいなあ」


「王都で食べたいとき、毎回辺境まで来るわけにもいかないでしょう」


「じゃあ、ちゃんと練習してください」


「言われなくてもする」


「火は?」


「普通の火を使う」


「学んだなあ」


「あなたね……」


 ミレイユは怒りながらも、以前ほど本気ではない。


 宗一郎もそれが分かっているから笑えた。


「王都へ戻ったら、まず何するんです?」


「報告書」


「やっぱり」


「あなたの魔力測定の結果、転移者としての観察、生活状況、それからこの辺境で起きたことの報告」


「俺の恋愛まで書くんです?」


「公式報告書には書かないわよ」


「良かった」


「でも口頭では聞かれるでしょうね」


「誰に?」


「宮廷魔術院の上役。あと、王都の貴族に話が回れば色々と」


 宗一郎の顔から少し笑みが消える。


「やっぱり、そこまで広がります?」


「レティシアは公爵よ」


 ミレイユの声も少し真面目になった。


「しかも北部で影響力がある。長年まともに結婚話へ乗らなかった銀狼公に、突然恋人ができた。相手は貴族でも騎士でもなく、記録のない異世界人。それだけで十分に話題になるわ」


「俺、話題性だけは高いなあ……」


「笑い事だけでもない」


 レティシアが口を挟む。


「分かっている」


 ミレイユは頷いた。


「だからこそ、先に宗一郎へ言っておく。王都で何を言われても、全部まともに受け止めない方がいい」


「どういう意味です?」


「たとえば、『身分が釣り合わない』と言う人がいる。『レティシアを利用している』と言う人もいるでしょう。逆に、あなたを持ち上げて近づく人もいるかもしれない」


「オズワルドさんにも似た話をされました」


「なら覚えておいて。悪口だけが危険じゃない。褒め言葉の方が危ないこともある」


 宗一郎は少し考えた。


「それは分かる気がします」


「会社員だったんだものね」


「ええ。急に親切になった人の後ろに、お願いごとがぶら下がってることはありました」


「なら、その感覚は捨てないで」


「はい」


 ミレイユはレティシアを見る。


「あなたも」


「何だ」


「宗一郎を守るつもりで全部前に出るのはやめなさい」


「なぜだ」


「あなたが全部喧嘩を買ったら、宗一郎が『公爵に守られるだけの男』に見えるから」


 レティシアが黙る。


「それに、本人が学ぼうとしてるんでしょう?」


「ああ」


「だったら、任せるところは任せなさい。あなたの悪い癖よ」


「……分かっている」


「本当に?」


「昨日も宗一郎に言われた」


「何て?」


「勝手に自分の分まで決めるな、と」


 ミレイユが少し驚き、すぐに笑った。


「ちゃんと恋人してるじゃない」


「何だその言い方は」


「褒めたのよ」


「お前の褒め方は分かりにくい」


「あなたに言われたくない」


 二人が睨み合い、宗一郎は思わず笑った。


「仲良いですね」


「違う!」


「違うわ!」


 声が揃う。


「息ぴったりですけど」


「宗一郎!」


「三枝!」


「俺まで怒られた」


 店内に笑いが広がった。


 しばらくして、ミレイユは食事を終え、椅子から立ち上がった。


「そろそろ行くわ」


「もう?」


「城門で馬車が待ってる」


 宗一郎は少しだけ寂しくなる。


 今度は隠さなかった。


「寂しくなりますね」


 ミレイユが一瞬だけ目を丸くする。


「……本当に言ったわね」


「言えって雰囲気だったでしょう」


「私は何も言ってないわよ」


「でも、寂しいのは本当です」


「そう」


 彼女は少しだけ笑った。


「私も、ここを離れるのは思ったより惜しいわ」


「食堂が?」


「それもある」


「それも?」


「あなたたちを観察できなくなるのが」


「やっぱりそこか!」


「半分冗談よ」


「半分本気なんだ」


 ミレイユは鞄を持ち直す。


「でも、本当に面白かった。異世界人なんていうから、とんでもない魔力か、未知の術式でも持っているのかと思って来たのに」


「ほぼ魔力なしでしたね」


「ええ。期待外れもいいところ」


「ひどいなあ」


「でも」


 ミレイユは宗一郎を見る。


「魔力がなくても、やることはあるのね」


「料理とか?」


「料理だけじゃない。人の話を聞くこととか、面倒なことを放置しないこととか」


 宗一郎は少し照れた。


「そんな大したものじゃないですよ」


「そういうところも含めてよ」


「褒められてる気がしないなあ」


「褒めてるわ」


 それから彼女はレティシアへ向き直る。


「あなたも、少しは変わった」


「何がだ」


「人に頼るようになった」


「宗一郎には頼っている」


「そこよ」


「悪いか」


「いいと思う」


 ミレイユの声が少しだけ柔らかくなった。


「昔のあなたは、何でも自分で抱え込んで、できないことまでできる顔をしてたから」


「余計なことを言うな」


「最後くらい言わせなさい」


「また戻ってくるのだろう?」


「もちろん。研究が終わったわけでもないし」


「なら最後ではない」


「そうね」


 レティシアは短く頷いた。


 宗一郎には、それだけで十分二人の仲が分かった。


「ミレイユさん」


「何?」


「これ、持っていってください」


 宗一郎は厨房から小さな包みを出した。


 焼いたパンと、乾燥させた豆、少量の塩漬け肉をまとめた旅用の食事だった。


「保存食は持ってるって言ったでしょう」


「分かってます。でもこっちは俺から」


「……そういうの、ずるいわね」


「何が?」


「断りにくい」


「恋人じゃないので、甘やかしには入りませんよ」


「誰もそんなこと言ってない!」


 レティシアが横から低い声を出す。


「宗一郎」


「はい?」


「なぜ今、『恋人じゃない』とわざわざ言った」


「いや、別に深い意味ないですよ」


「本当に?」


「本当に!」


 ミレイユが笑い出す。


「あなたたち、私が帰る直前までそれなのね」


「何がです?」


「もういいわ」


 彼女は包みを受け取った。


「ありがとう。王都で食べる」


「道中で食べてください」


「分かった」


「あと卵焼き、焦がさないで」


「分かってる!」


「魔法使わない」


「分かってるってば!」


「油は少なめから」


「もういい!」


 宗一郎は笑いながら手を振った。


 店を出ると、ガレスも同行するため外で待っていた。


「三枝さん、では行ってまいります」


「ガレスさんも城門まで?」


「護衛です」


「お願いします」


 レティシアも一緒に店を出た。


 宗一郎は少しだけ迷い、それから前掛けを外した。


「俺も行きます」


「店は?」


「ニーナ、開店少し遅らせてもいい?」


「もちろんです」


「ありがとう」


 三人で城門へ向かう。


 朝の空気は冷たく、祭りの名残だった飾り布も少しずつ片づけられている。


 城門前には、王都行きの馬車が止まっていた。


 荷物を積み終えた御者が待っている。


「じゃあ、本当に行くのね」


 ミレイユが馬車へ手をかける。


「王都で余計な話広めないでくださいよ」


「善処するわ」


「その言い方、一番信用できない」


「でも隠してもすぐ伝わるわよ」


「それは分かってます」


「宗一郎」


「はい?」


「王都で何か変な噂が出ても、すぐ落ち込まないでね」


「俺、そんなに弱そうに見えます?」


「強いふりをするタイプではなさそうだから言ってるの」


「褒めてる?」


「半分」


「半分多いなあ」


 ミレイユは笑った。


「それと、読み書きちゃんと続けなさい」


「レティシア先生が厳しいので」


「先生?」


「教わってるんです」


「レティシアが?」


 ミレイユが露骨に驚く。


「何だ、その顔は」


「教えるの下手でしょう」


「お前まで!」


「やっぱり」


「でも少し上達しましたよ」


 宗一郎がフォローする。


「少しなのか!」


「一日目よりは」


「宗一郎!」


 馬車の前でまで言い合いになり、ミレイユは腹を抱えて笑った。


「もう駄目。王都へ戻ったら絶対思い出す」


「笑い話にしないでください」


「するわよ」


 そう言って、彼女は馬車へ乗り込んだ。


「じゃあ、またね」


「はい。また」


「気をつけて」


 レティシアが短く言う。


「あんたもね」


「何にだ」


「恋愛に」


「余計なお世話だ!」


 最後までミレイユらしかった。


 馬車が動き出す。


 宗一郎たちは、車輪の音が遠くなるまで見送った。


「静かになりますね」


「そうだな」


 レティシアが答える。


「少し寂しい」


「レティシアも?」


「古い知人だからな」


「仲良いんじゃないですか」


「違う」


「まだ言う」


 二人で笑った。


 だが宗一郎の胸には、少しだけ別の感覚も残っていた。


 ミレイユが王都へ戻る。


 そして、自分のことを報告する。


 異世界から来た、魔力のほとんどない四十二歳の男。


 辺境で食堂を始め、女公爵と恋人になった。


 自分だけなら笑い話で済む。


 しかし相手がレティシアである以上、王都の人間たちが同じように笑って終わるとは限らない。


「宗一郎」


「はい?」


「考え込んでいるな」


「少しだけ」


「王都のことか」


「はい」


 宗一郎は正直に頷いた。


「怖いか」


「分からないものは怖いですよ」


「私がいる」


「それ、昨日オズワルドさんに『全部守るな』って言われたでしょう」


「……そうだった」


「でも、頼ります」


 宗一郎は笑った。


「俺一人で何でもできるとは思ってないので」


「ならよい」


「レティシアも頼ってくださいね」


「分かっている」


「本当に?」


「最近、お前は疑い深いな」


「誰かさんが何でも一人でやろうとするから」


「お前も店の仕事を抱え込んでいるだろう」


「……それは」


「ほら」


「今度考えます」


「逃げたな」


「お互い様です」


 並んで食堂へ戻る。


 その日の朝は、いつもより少しだけ静かだった。


 ただし宗一郎には、ミレイユが去ったことで一つの章が終わったような感覚があった。


 そして同時に、次の面倒がもう王都のどこかで動き始めているような気もしていた。


 その予感は、残念ながら外れなかった。


 ミレイユが王都へ到着するより早く、北部から届いた別の書簡が、ある貴族家の食卓へ載せられる。


 そこには、こう記されていた。


 ――アルヴェイン女公爵、身元不明の異世界人と親密な関係にあり。


 そしてその家には、かつてレティシアへ正式な縁談を申し入れ、まだ完全には諦めていない男がいた。


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