第3話「減価償却される勇気」
金属が擦れる嫌な音が、ギルドの中庭に響いていた。
「……おい、これで本当に大丈夫なのかよ。革がボロボロじゃないか」
「我慢しろ。ガウェイン様が『勝利には勇気があればいい、装備の些細な傷に拘るのは臆病者の証拠だ』って言ってたろ」
中庭にある鍛冶場で、若手の冒険者たちが自分たちの装備を不安そうに磨いていた。
本来なら、ギルドの修繕費で新調されるはずの防具。しかし、今月配布された資材の箱は空に近かった。
地下の記録室。
アルベルトは、ギルドの「資産管理台帳」と睨み合っていた。
「減価償却期間を三倍に引き伸ばしているのか。……無茶苦茶だ」
アルベルトは指を折りながら計算する。
鉄剣の磨耗率。革鎧の硬化率。そして、それらが限界を超えた際に「致命傷」を避ける確率。
どれを取っても、数字は真っ赤に染まっていた。
「修繕費の予算、ゼロ。代わりに『広報宣伝費』と『渉外交際費』が、昨対比で六〇〇パーセントの増加……」
ガウェインが酒場で奢った酒も、マルス伯爵を招待した派手なパレードの費用も、すべてここから捻出されていた。
冒険者の命を守るための盾が、ガウェインの笑顔を売るための「金」に化けている。
アルベルトは、机の端で静かに青く光る「不変の石」を見た。
予算がゼロになろうとも、ギルドが破滅へ向かおうとも、この石だけは何も変わらず、ただそこにある。天秤が狂おうとも、石が示す数値だけは絶対的に正しい。
それは救いであると同時に、容赦のない死刑宣告のようにも見えた。
アルベルトは椅子を蹴り、その足で一階のメインホールへ向かった。
ホールでは、ガウェインが遠征へ出発する小隊の前に立ち、激励の演説をぶっていた。
「諸君! 装備の重さは、心の弱さだ! 古い鋼の傷跡は、君たちが今日まで生き残ってきた栄光の証だと思え! 英雄は道具に頼らない。己の剣気で魔を断つものだ!」
若手たちの不安な顔が、少しずつ「熱」を帯びていく。
それがカリスマの力だった。実体のない期待感で、合理的な恐怖を塗りつぶしていく。
「ガウェイン。演説の途中に、失礼する」
アルベルトの声は低かったが、ホールの喧騒を裂いて届いた。
「またお前か。……今度は何の小言だ、記録係」
「今回の遠征ルートにおけるモンスターの攻撃力と、現在の参加者の平均防具耐久値を照合しました。結果、最初の接敵で前衛の生存率は七二パーセントまで低下します。装備の更新を行わなければ、小隊は壊滅する」
ガウェインは鼻で笑った。
「七二パーセント? 十分高いじゃないか。英雄の冒険において、一〇〇パーセントなんて確率は存在しない。足りない二八パーセントを埋めるのが、勇気だ」
「勇気で物理的な損壊は防げません。金属疲労は、あなたの演説を聞いても回復しない」
「黙れ! お前はいつもそうだ! 数字で仲間の士気を下げて、楽しいのか?」
ガウェインがアルベルトの胸筋を突き飛ばした。
細身のアルベルトはよろめいたが、目は逸らさなかった。
「士気を上げることと、無謀な自殺を推奨することは違います。ギルド長、今すぐ予備の備品購入を。予算は広報費から五分の一回すだけで足ります」
後ろで見ていたギルド長が、不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「アルベルト。お前は現場を知らなさすぎる。冒険ってのはな、勢いに乗っている時に一気に稼ぐもんだ。今さら金の話をして水を差すな」
ガウェインが剣を掲げた。
「さあ、野郎ども! ケチな記録係の妄言なんて気にするな! 栄光の入り口はすぐそこだ!」
歓声と共に小隊が旅立っていく。
残されたのは、ホールの床に散らばったアルベルトの計算書と、空虚な熱狂の余韻だけだった。
「……減価償却されるのは、装備じゃない」
アルベルトは床の紙を拾い上げ、静かに呟いた。
「君たちが積み上げてきた、かつての信頼。それが、一歩ずつ削られていることに、どうして誰も気づかない」
これは装備の消耗ではない。世界という名のシステムの「寿命」を前借りしているに過ぎないのだ。
期待値だけで回る経済が、やがて実体の限界を超えたとき、世界そのものが再起動を余儀なくされる。アルベルトの脳裏には、計算式が弾き出した暗黒の未来が、幾何学的な影となって落とされていた。
その夜。
遠征に出た小隊から、緊急の伝令が届いた。
「前衛の槍が折れ、モンスターの突破を許した」──と。
死者は出なかった。
しかし、多くの冒険者が「自慢の装備」を失い、ボロボロになって戻ってきた。
それでもガウェインは「俺が救助を呼んだから助かったんだ!」と、また新しい英雄譚を語り始めている。
誰もアルベルトに「正解だった」とは言わない。
ただ、アルベルトの帳簿に、新しく「負債」の二文字が深く刻まれた。
決壊の日は、確実に近づいている。
第3話、お読みいただきありがとうございました。
「勇気」で装備の損耗をカバーしようとするガウェイン。
しかしアルベルトは、それを「世界の寿命の減価償却」として捉えています。
机に置かれた不変の石。それは単なる素材ではなく、この歪んだ世界が無理やり成立させている「事実」のアンカー(錨)のような役割を果たしています。
アルベルトがこの石の「正しい値」を解読したとき、物語は経済劇から世界の深淵へとシフトしていきます。
第4話では、物語の鍵を握る重要人物の登場です。引き続きよろしくお願いします。




