第2話「夢を売る男、現実を測る男」
冒険者ギルド「銀の盾」の地上階は、今日も酒と汗、そして勝利の熱狂に包まれていた。
「あいつの顔、見たかよ! 英雄ガウェイン様が伯爵の代わりに来たって分かった瞬間の、あの間抜けた顔!」
「ガウェイン様、最高だぜ! これで俺たちの取り分も一気に上がるってな!」
一階の酒場では、ガウェインが獲得してきた「大型案件」の祝杯があちこちで上げられていた。マルス伯爵家との独占契約。ドラゴンの素材納入。それは名誉という名の蜜だった。
地下の記録室。
アルベルトは、手元の帳簿に静かにペンを走らせていた。
一階の喧騒が、床を通じてわずかな振動となって伝わってくる。
「……期待値による時価総額の膨らみ、か。バブルそのものだな」
アルベルトが指先でなぞったのは、マルス伯爵家の過去三カ月の「資産流出」データだった。
冒険者ギルドは、単に依頼を仲介するだけの組織ではない。多額の報酬が動く以上、依頼主の「与信」を管理するのは組織運営の初歩だ。
しかし、アルベルト以外の誰も、その数字に興味を持っていなかった。
「マルス伯爵。三カ月前から、領内の特産品の輸出が四割減少。代わりに、王都の金融業者からの借り入れが、急激な曲線を描いて増大している」
アルベルトは数枚の伝票を重ね合わせ、透かして見た。
「これは……素材を売って利益を得るための契約じゃない。担保にした美術品を買い戻すための、自転車操業の資金繰りだ」
つまり、伯爵に支払能力はない。
素材を納品したところで、報酬は「分割」という名の踏み倒しに遭う確率が九八パーセントを弾き出している。
アルベルトはふと、公文書館のデータベースの隅に、奇妙な注釈を見つけた。
『十年前、英雄アルデアの伝説。記録の矛盾につき、一部セクタを物理的に封印』
前作の英雄にまつわる、整合性の取れない膨大なログ。それはまるで、世界というシステムが「英雄の嘘」を受理できず、無理やり隠蔽したかのような痕跡だった。
「……嘘を事実として上書きすれば、いつかシステムがパンクする。この伯爵の二の舞だ」
アルベルトは喉の奥に苦いものを感じながら、報告書を閉じた。
アルベルトは、書き上げた報告書を手に一階へ上がった。
扉を開けると、強い酒の匂いと笑い声が彼を襲った。
「お、無能のアルベルトじゃないか。どうした、インクが切れて買い出しにでも行くのか?」
ガウェインが仲間に囲まれ、ジョッキを掲げながら笑った。
「ガウェイン。マルス伯爵家の与信について、再調査が必要です。この契約、今すぐ破棄、あるいは担保の再設定をすべきだ」
酒場が、一瞬で冷え込んだ。
ガウェインはジョッキを卓に叩きつけると、アルベルトを睨みつけた。
「またそれか。お前の言う『よしん』だか何だか知らないが、俺たちは一刻を争う依頼をこなしてるんだ。伯爵は俺に『期待している』と言ってくれた。英雄の握手を交わしたんだ。数字で人を疑うのが、お前の仕事か?」
「私の仕事は、ギルドの損失を防ぐことです」
「損失? この契約が完了すれば、ギルドの知名度は一気に上がる。知名度が上がれば、信頼が生まれる。信頼が生まれれば、金が回る。……それが経済ってもんだろ? 記録係」
ガウェインがそう断言した瞬間、アルベルトの目には、酒場の鮮やかな色彩がふっと掠れたように見えた。
ジョッキの琥珀色、冒険者たちの赤い顔、パチパチとはぜる暖炉の火。それらが一瞬だけ色褪せ、古い白黒写真のような低解像度な景色へと劣化する。ハッタリで現実を上書きするたびに、世界は描写の「演算リソース」を節約し始めているようだった。
ガウェインの周りの連中が、一斉に「そうだそうだ!」と囃し立てた。
騒ぎを聞きつけて奥から出てきたギルド長も、深いため息をついた。
「アルベルト。お前の熱心さは認めるが、ガウェインの言う通りだ。夢を売るのが冒険者の仕事なら、その夢を現実にするのが経営だ。何でもかんでも数字で測ろうとするから、お前は現場の人間から嫌われるんだよ」
「……経営、ですか」
アルベルトは、手元の報告書を握りしめた。
「不渡りの手形を抱えて沈むのが、ギルド長の言う『経営』なら、私はこれ以上言うことはありません」
「なんだと? いいから地下に帰れ! 仕事が山積みなんだろ!」
怒声に見送られ、アルベルトは踵を返した。
背後でガウェインが「気にするな! あいつは嫉妬してるだけだ!」と叫び、また笑い声が沸き起こる。
沈没しようとしている船の中で、乗客たちはシャンパンを開けている。
アルベルトは地下への階段を降りながら、時計を見た。
伯爵家の負債が爆発するまで、残り十一日。
彼は再び机に向かい、インクをペンに浸した。
事実を記録する。
誰も見ようとしない真実を、ただ一文字ずつ、黒いインクで刻んでいく。
それが、明日、自分たちが路頭に迷わないための、唯一の抵抗だった。
第2話、お読みいただきありがとうございました。
「与信管理」という、ファンタジーらしからぬ視点からアプローチしてみました。
アルベルトだけが気づいている「世界の色褪せ」。
それは、人々がハッタリという甘い蜜を吸うたびに、世界というシステムの裏側で何かが削られている予兆でもあります。
公文書の隅に記された「十年前の記録の矛盾」とは何か。
『偽英雄』でアルトが残した「重すぎるログ」の余波が、本作の物語にも影を落とし始めています。
引き続き、よろしくお願いします。




