第10話「詐欺師のパトロン」
嵐の前の、静かすぎる朝だった。
ギルド「銀の盾」の正面玄関に、数人の武装した役人が立っていた。
彼らが持っていたのは、感謝状ではない。
マルス伯爵家に対する「全資産差押通知書」と、その連帯保証人となっていたギルドへの「支払督促状」だった。
「……伯爵が、逃げただと?」
ギルド長の震える声が、ホールの高い天井に虚しく響いた。
「バカな! 昨夜まであんなに豪華なパーティーを! ガウェイン卿とも固い握手を。英雄の信頼があると言っていたんだぞ!」
ガウェインは、一階の掲示板の前で立ち尽くしていた。
彼の手には、伯爵から「前払い」として受け取ったはずの魔導手形が握られていた。
しかし、その手形は今や、ただのインクの染みた紙屑に過ぎない。伯爵が使っていた銀行そのものが、架空のペーパーカンパニーだったからだ。
「……あ、あるはずがない。俺の栄光が、こんな……。アルベルト! アルベルトはどこだ!」
ガウェインが狂ったように叫び、地下への階段を駆け下りた。
記録室。
アルベルトは、すでに自分の私物を小さな鞄にまとめ終えていた。
机の上には、一冊の黒い手帳だけが置かれている。
「アルベルト! 貴様、伯爵が詐欺師だと知っていて、わざと俺に契約させたな! ギルドを陥れるために、情報を隠していたんだろう!」
ガウェインがアルベルトの襟首を掴み、壁に押し付けた。
「……隠してなどいません。二話の段階で、与信調査の不備を報告し、再三にわたって警告しました」
アルベルトの目は、鏡のように冷たかった。
「君は『英雄の直感』でその声を無視し、ギルド長は『夢に水を差すな』と私を叱責した。……結果、ギルドは伯爵の架空の事業のために、多額の準備金を他所から借り入れて投入した。その全額が、今、損失に変わりました」
「黙れ! お前が……お前がもっと強く止めなかったのが悪いんだ! 記録係のくせに、何のために座っていたんだ!」
「記録するためです」
アルベルトは、ガウェインの手を静かに振り払った。
「君がどれほど無謀に振る舞い、ギルドの資産を食いつぶしたか。その全てを、私は一文字の誤差もなく記録しました。……この手帳には、マルス伯爵が隣国で三度、同じ手口でギルドを破綻させた前科も転記してあります」
「な、……なんだと? そんな情報、どこで……」
「他国のギルドの『公開清算記録』を定期的に取り寄せて読めば、誰でも気づけることです。……君たちが『実績』という名の酒に酔っている間、私はただ、数字という名の現実を読んでいただけだ」
ギルド長が、よろよろと記録室に入ってきた。
彼の顔には、もはや威厳の欠片もない。
「ア、アルベルト……すまなかった。私のミスだ。今すぐ、君のその知識で何とかしてくれ。伯爵の居場所を突き止めて、金を……」
「無理です」
アルベルトは断言した。
「現在のギルドのキャッシュフローは完全に停止しています。一週間後には、スタッフへの給与も払えない。……責任は、契約を最終承認したあなたと、英雄(広告塔)としてそれを利用したガウェインにあります」
アルベルトは鞄を肩にかけ、最後の黒い手帳を手に取った。
「私はもう、このギルドの職員ではありません。……今日が、私の契約(雇用)の最終日です。記録係としての最後の一行を書きに、ホールへ行きます」
第10話、お読みいただきありがとうございます。
華やかな「英雄の契約」が、実は「詐欺師の罠」だった。
これもまた、急激な成長を誇る組織が陥りやすいバレット(弾丸)の一つです。
アルベルトは決して意地悪をしたわけではなく、
何度も「NO」と言っていた。
それを「空気」や「期待」で押し切った結果が、この破滅です。
次話、ついに第11話。
アルベルトが放つ「最後の一行」が、この沈みゆく船に引導を渡します。
よろしくお願いします。




