魔王と怪物たちと魔海の王
この大扉は古い時代からここにあった。これは魔獣の森の遺跡がそうであったように、かつての文明跡に魔王たちが棲みついたためだ。
仕掛けを動かされたため、洞窟の壁の奥でなにか複雑な機械じみた異音が響いていた。どこか錆びたような重苦しい音だ。
機械仕掛けの大扉がゆっくりと開く。
固く、鈍く、重い大扉はとても人力では開けることができない。無理やりこじ開けることは可能だろうが、おそらくそんな衝撃を加えれば洞窟全体が先に崩れ落ちてしまう。
扉の間とは別な場所に連動しているスイッチがあり、いちいちそこで仕掛けを動かさねばならない。たしかに面倒であるが、ソルレオンに不満はない。それどころかロマンを第一に考えれば非常に納得のいく仕掛けだとさえ思う。
ソルレオンはますますこの仕掛け扉が気に入った。スイッチの目の前にそれなりの手練れを配置すれば、ますます最終決戦が盛り上がるのではないか、とさえ考えていた。惜しくもこの大扉は持って帰れそうにはないが。
大扉が完全に開いた頃、マーちゃんが魔海王の配下として恭しく平伏した。
それを見たソルレオンはちょっと迷ったが、今は「いち魔人」として参上していたので大人しく頭を下げることにした。
そんな彼らに、部屋の奥から声がかかる。
『――――そちらが人魚姫の伝えていた客人ですか。どうぞこちらまで』
聞こえてきた魔力声の性質や言葉遣いから、どことなく穏やかで理性的な性格がうかがえた。強大な力を秘めている【魔王】とは思えないほど丁寧で、横柄さの欠片も感じられない。
これは願いを聞いてくれるかもしれないと内心喜んだソルレオン。だがまだ慌てて油断しない。恐縮した感じで魔海王の鎮座する部屋の奥へと足を踏みいれた。
【奇岩城の深奥】は一見なにもない空間だ。ちらりと覗き見た限りでは目立ったものはなにもなく、それどころか装飾品のひとつも存在しない。外周のところどころに落とし穴のような巨大な水溜りがある程度で、ほかにはなにもないと言い切れるほどがらんとしていた。
魔海王が鎮座する場所としてはあまりにも地味すぎるが、それは『相対するだけ』『戦うためだけ』の空間だからだと気付いて納得した。
『――――どうぞ、もっと近くへ』
魔海王が誘う。その響きにはやはり敵意や悪意のようなものは感じられず、その辺の町の青年と他愛もない話をしているようだ。
その時、巨大な水溜りからクラーケンとサーペントが現れた。それぞれが空間の左右から出てきて、文字通り中央に鎮座する魔海王の『両腕』として控えている。いささか窮屈そうだが。
外周の水溜りはほかとつながっているようで、魔海王配下の水棲生物ならば問題なく使える通路のようなものだ。しかしソルレオンのように外から来た客人や侵入者、陸上生物ではとても息が続かず使えない水路なのだろう。
『――客人よ、御前へ』
『――魔海王の御前へ』
クラーケンとサーペント嬢も厳めしい魔力声で誘う。双方ともに『魔海王第一の~』と自称するだけあって公私をしっかりとわきまえている。
やがてマーちゃんまでもがソルレオンの腕を抱き寄せて、ぐいぐいと引っ張って空間の中心へと誘う。あまりにも無邪気なので抵抗する気など起きなかった。
真正面から相対したソルレオンは、ようやく顔を上げて真っ直ぐに魔海王の姿を捉えた。
「おおっ、これは……、実にでっかい『エビ』であるなぁ!」
場の空気が凍った。
一瞬、ソルレオンがなにを口走ったのか、誰も理解できなかった。それほどの不意打ち。
そこにいる全員が目を丸くしたまま動きを止めて固まっている。
『――お、お、おまっ、ちょっ』
『――あ、あ、あ、アナタっ』
やがて王の両腕が反応する。だがまともな言葉にならない。驚きと怒りと混乱により、顔色が真っ赤になったり青ざめたりと忙しいらしく、動きもどこかぎこちない。
マーちゃんはあいかわらず口をパクパクさせている。しかしこれまでは海の眷属にだけは届く言葉であったが、今のは完全に絶句している状態の口パクだ。
一方でソルレオンは単純に「エビがでかい」ということに驚いている。自分が知らなかった魔獣の発見に喜んでいるようであり、どこか感心している風でもあった。実に失礼なことだが本人に他意はなく、ただ見たままそのままの感想を言っただけだ。
かくしてエビのような【魔海王】とは何者なのか。
魔海王の全身は淡い象牙色の甲殻で覆われている。俗にいう甲殻類であるが、全身の造形はむしろサソリに似ている。その甲殻は水棲魔獣としてのなめらかさよりもごつごつとした頑健さの方が強調されている。
四対の歩脚、一対の大鋏。反り返った尾節にはこれまた鋏のような二本の毒針が備わっている。しかし顔の部分はヒゲの短いエビのそれだ。水棲魔獣特有の無機質な目は異様に不気味で威圧感がある。
体格はソルレオンが驚いたように大きい。巨大すぎるクラーケンたちとは比べようもないが、全長はソルレオンの倍。甲殻が全体的にごついため、その見た目以上に重いだろう。
ともかくソルレオンはまず挨拶をする。
「我が名はソルレオンである。そちらは【魔海王】とお見受けするが――――」
『――――お、おおっ』
ソルレオンの挨拶は、魔海王の驚嘆の声で遮られた。
その時の魔海王の仕草はむしろザリガニに似ていた。驚いた拍子に両腕の大鋏を掲げてバンザイしているような恰好だ。漏れ出た声とともに口元をワシャワシャさせている。
『お、お久しぶりです! 私を憶えておいでですかっ!?』
「は? えっ? いや……」
魔海王の意外な問いかけに今度はソルレオンが戸惑う番だった。もちろん魔海王の配下たちも一緒になって驚き戸惑っている。
魔海王は構わず言葉を続ける。
『ああ、そうでした。私のことなど知らなくてもおかしくはありません。
ははっ、いや失礼しました。こちらが一方的に覗き見ただけで、そちらが私のことを見覚えがなくても当たり前なのですから』
なにやら魔海王は興奮した様子だ。表情がまったくわかりづらいが、その声音だけでも十分に伝わってきたくらいだ。
しかしながら魔力声が使えて言葉が通じるとしても、まったく言葉が伝わらないこともある。
だが次の言葉には反応を示さずにはいられない。
『お久しぶりです。【魔人王 ソルレオン】さま』
「――――なぜそれをっ!?」
今度こそソルレオンが狼狽する。隠していた秘密をあっさりと暴かれて、せめて誤魔化せばいいのに、声を荒げて魔海王に聞き返した。
だがそこでいよいよ黙ってはいられなくなったのはクラーケンたちだ。
『コイツが魔人王って、いったいどういうことですか?』
『にわかには信じられないわね。こんな僻地にあの悪名高き魔王が来るだなんて……』
『クラーケンさん、サーペントさん。悪いのですが、もう少し待っていてください』
『は、はい』
『申し訳ありません』
『あ、いや、謝るほどのことじゃ……』
部下に対しても丁寧な言葉遣いであるにもかかわらず、二体の反応は過剰なほどかしこまっている。魔海王への忠誠心がそうさせるのか、あの喧嘩ばかりしてやかましかった姿が嘘のようだ。
一方で二体の海魔がソルレオンに向ける目は疑いの眼差しだ。自分たちが担ぎ上げている魔王が知り合いと再会したような様子であるだけならまだしも、まるで格上を相手にしているかのように振る舞っているからだ。
『とにかくっ! 私はソルレオンさまのことを知っています。それは私が魔王城へ何度か訪れたことがあるからです』
話題を強引に戻した魔海王の言い分はなおさら不可解だった。【魔海王】のような大物が魔王城へ訪れたことがあるならば、ソルレオンがそのことを知らないはずがない。
『それは私がまだ、【魔海王】になってしまう前のことです。なのでソルレオンさまが知らずとも不思議ではありません』
「おおっ、なるほど。そういうことであるか」
納得できる理由だ。疑問が氷解したことと、目の前の海魔が立派に出世したことを思い、ソルレオンは朗らかに笑う。
「そうかそうか、強くなったのだなあ……。して、貴様はいったい何者であるか?」
『はい。我が名は【クレイクロウ】。
【水の六魔将 湖底の怪魚】どのの下で、かつて働いていた者です』
「なに? そうだったのであるか」
【毒と渦潮の魔海王 クレイクロウ】
彼はソルレオンの配下の元配下だった。
ソルレオンはそのことを今始めて知った。




