魔王と怪物たちと王の扉
『……はあ、まったく人魚姫には敵わねーな』
『……仕方ないわね。人魚姫がそこまで言うなら』
マーちゃんの説得によりクラーケンとサーペント嬢は渋々ながらも、ソルレオンを【魔海王】のところへ案内することを了承した。
『だがな、さすがに俺様たちもついていくぜ』
『ええ、姫一人だけで案内させるのは心配だわ』
こういう時だけは二体の怪物たちの意見は一致する。呼吸もぴったり合っているし、まさに「喧嘩するほど仲が良い」を地で行く怪物たちだ。
そんな二体の様子を眺めてマーちゃんはとてもうれしそうだ。怪物たちの喧嘩が本質的に『じゃれ合い』だとわかっていても、やはり苦手なものは苦手なのだ。みんな仲良く笑っているほうがいい。
海の眷属たちが和やかな雰囲気でいる一方で、ただ一人この世の終わりのような暗い顔をしている者がいた。
もちろん【闇と炎の魔人王 ソルレオン】である。
「なにか……なにか別の道は、ないのであるか……?」
海に来てから何度目であろうか、ソルレオンはまたもや弱音を吐いた。
彼のらしくない言動は、ある意味しょうがないものである。なにせまた大嫌いな海の中に入らなくてはいけないからだ。
【奇岩城】は、海中に没している洞窟を利用した隠れ処である。
断面図で見れば、奇岩城は「山の中腹にある洞窟」で、その頂上部分は「海獣島」と呼ばれている魔海王が支配している島のひとつだ。つまり海獣島の地下空間すべてが奇岩城である。
奇岩城と海獣島は巨大な縦穴で火口までつながれていて、その縦穴からイカの触手のように伸びている洞窟を奇岩城内として利用している。そして魔海王たちならば問題ないが、その洞窟群は半分以上水没しているのだ。
各部屋には空気が溜まっていて、地底湖のように絶妙なバランスで空間を維持している場所もあれば、潮の満ち引きで完全に水中に没する場所も多々ある。さらに部屋と部屋をつなぐ通路に至ってはほぼ泳いで渡るような箇所ばかりなのであった。
マーちゃんたちが示した魔海王の居場所は、地底湖からしか行けないような場所だった。というか、この牢獄のあった部屋にはほかの通路は存在しない。
ソルレオンの臆した姿に、サーペント嬢は意地の悪い声で煽り立てる。
『へぇ~アナタ、もしかして海が怖いのかしら~? 水中で呼吸ができないなんて、な~んて可哀相な種族なのかしら、おほほのほ』
「うっ、ぐぬぬ……!」
ソルレオンはぐっと堪える。みっともなく溺れたところまで見られたのだから、今さら虚勢を張っても恥の上塗りをするだけだ。
しかし、なるべくならば海にはもう入りたくない。
「どうであろうか、この辺りの岩壁に新しい通路を掘るというのは……?」
ソルレオンはぐっと拳を構える。冗談めかした声色だが、目が本気だった。
『まてまて待ってくれっ! ヘタしたら通路を掘るどころか、洞窟全体が崩れて無くなっちまう。それだけはカンベンしてくれ、頼むから』
奇岩城は永い年月をかけて海流や波の浸食という自然の力により完成した城塞だ。そんな奇跡の産物をたった一撃の拳打で崩壊させることは絶対にあってはいけない。
今度はクラーケンが説得する番だった。相手はどこか子供じみた理由で暴走しようとしているが、その実かなり切迫している。
『アンタは息を止めているだけでいい。なんなら目も耳も鼻も全部閉じたままでかまわねえ。
さっきまでは俺様も喧嘩腰だったが、今回に限っては必ず、必ず【魔海王】のところへ案内するから、だから壁を殴るのだけはやめてくれ。奇岩城をぶっ壊さないでくれ』
『…………はあ、仕方ないわね。アタクシも約束するわ。
このイカが海の中でよからぬことをしようとしたら、その時は必ずアナタを守りましょう』
『おいコラ、テメエ。それじゃあ俺様がなんか企んでるみてえじゃねーか!』
言い争うクラーケンとサーペント嬢を横目にして、ソルレオンは拳を下ろした。説得の終盤はあいかわらずだが、怪物たちの言葉を信じてみることにしたからだ。
拳を解いた右の手のひらを、マーちゃんがそっと握る。
ソルレオンが振り向くと、そこには並んで手をつないだマーちゃんの笑顔があった。
『 イ キ マ シ ョ ウ 』
「……わかったのだ。では頼む」
ソルレオンは胸いっぱいに空気を溜め込んだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ぱしゃりと、水が弾けるような音がした。
一体の人魚が水面から顔を出した音だ。【人魚姫】こと、マーちゃんである。
瑞々しい海藻のような濃緑色の髪は水分を含んでなめらかに艶めいている。波打つような長髪は体に張り付いて、むき出しの肌や大事なところを上手く隠しているようだが、それではむしろ逆に彼女の色気がさらに増して感じられた。
重く濡れた髪の隙間からはサカナのひれのような形の耳が覗いていた。耳の先端からは透明な雫が滴り落ちる。
この特徴的な耳は意外にもよく動くようで、震わせるとピコピコと音が鳴りそうで実にかわいい。彼女はところどころ小動物的な動作をするので、とてもよく似合っている。
「水も滴るいい女」とよく言うが、残念ながら今の彼女を見て愛でるような者はいない。
マーちゃんは陸地に上がると、ずっと掴んでいたモノを引っ張り上げようとする。それはかなり重いのか、かわいい顔を真っ赤にしながら全力で引っ張っていた。
そしてようやくそれは陸地に打ち揚げられる。ご存じ、ソルレオンだ。
完全に意識を失って脱力した肉体は『重り』同然で、いくら海水の浮力があるからとはいえ女性の細腕には荷が重すぎる。誤って水没しないように支えるのも一苦労だ。
そしてソルレオンの足には触手が絡まっている。しかしよく見ればその触手は海中に引きずり込むわけではなく、むしろ水面から押し上げて支えていることがわかる。
『……なんで俺様って、こんなヤツを怖がっていたんだろ?』
そんなことをぼやきながら頭を出したのは、海の怪物クラーケンだ。毒気を抜かれたような顔で魔人のぐったりとした姿を眺めている。
その隣にはサーペントも出現する。彼女もまたソルレオンに一瞥をくれただけで、特になにもしなかった。というより海蛇の名の通り手も足もないので、やれることはほとんどない。
『いいから早く蘇生してあげなさい。約束した手前、カレに死なれちゃ困るのよ』
『へいへい。わかりましたよ』
クラーケンはもっとも長い二本の触手をソルレオンの胴体へと近付ける。
マーちゃんが離れるのを見計らって、触手の尖端から電撃を放った。バチバチッっと火花と音が弾けて、生体電流による蘇生が試みられる。
「――――――っぐは!」
『よっしゃ、一丁あがり』
復活したソルレオンはのどにつっかえていた水の塊を勢いよく吐き出した。
それはどちらかといえば蘇生ではなく目覚ましや気付けといったところだろう。起き上がったソルレオンは平然とした調子で周囲を見回した。
「ううむ、死ぬかと思ったのである。ここはあの世であるか、そうではないか?」
『残念ながら、まだ死んだりしてねーな』
「うむ、そうかそうか」
『……ほんの三分くらいの潜水で死にかけるとはねえ。なんだか不憫だわ』
なにはともあれ、無事に【魔海王】の居場所まで辿り着けた。
マーちゃんがソルレオンの袖を引く。その指し示す先には固く閉じられた大扉があった。
扉の大きさはクラーケンの頭が通るくらい巨大だ。ところどころが錆びついて色褪せているようだが、それはおそらく外側だけで内側はほとんど劣化していないだろう。とても人力で開けることはできそうにもなく、海の怪物たちでも無理やり開けるのにかなり苦労しそうなほどの重厚感であった。
「なかなかよい雰囲気の大扉であるな。この無駄にデカいところなんか非常に我の好みである、フハハ」
この先に【魔王】が待ち受けている扉としてはかなり上出来だ。いかにも「ボスが居ますよ」と言わんばかりの場所だった。
『それじゃあスイッチを押してくるから、俺様たちが戻ってくるまで失礼なことするんじゃねえぞ』
『まったく面倒よねえ、このギミック。アナタ、人魚姫にヘンなことするんじゃないわよ』
やはり普通には開かない扉らしい。クラーケンとサーペントは大扉を開けるために、再び海中に潜っていった。
ソルレオンは仁王立ちの姿勢のまま腕組みして待つ。
「フハハハハ、それでは【魔海の王】とやらとのご対面である!!」
――――どこかでなにかが動いた音がした。




