魔王と人魚と海の怪物
「フ、フフ……フハハハハハッ!!
よかろう! 貴様はそこで震えながら見ているがいい――――我が力をなあっっ!!」
思いきり握り込んだ右手に込められた禍々しい【力】。
永きに渡り封じられていた黒炎が暴れ出す。時には呪いのように、時には蛇蝎のようにソルレオンに絡みつき、その右前腕を侵食していく。
弱き者が触れれば即座に消し炭になる暴虐の魔炎。
しかし【魔人の王】には、まだまだ生温い種火でしかない。
「さあさあ! 降参するならば今のうちである。
この我は慈悲深い。泣いて謝れば許してやろう。圧倒的な力の差を見せつけられれば、けっきょくは敗北に打ちひしがれて泣き叫ぶことになろうがな! フハハハハハ」
ソルレオンの挑発と警告に、相手はまるで応える様子がない。
それどころか口上が長かったのか、「早くして」と言わんばかりに欠伸をした。
「う、ぐぬぬ……我は本気だからな! ぜったいに負かしてやるのである!」
大仰に右腕を振りかぶる。
その低い姿勢は横薙ぎに腕を振ろうとする独特の構えだ。
ギリギリッギリギリッと、食い縛った歯と全身の筋肉が鳴る。その姿は張り詰めた大弓のようだ。
「~~~~~~――――――がっっ!!」
矢は放たれた。
全身の連動によりソルレオンは一個の兵器と化した。関節、筋肉、あらゆる箇所が順番に捻転してすべての力を『小石』に伝える。
この平べったい形の小石を回転させるために横薙ぎの投げ方をするのだ。
まあ、つまりこれは、俗にいう『水切り』であった。
しかしソルレオンの飛礫は、閃光と勘違いするほど速い。
飛礫の向かう先は、地底湖。
爆発と水柱。
水面に叩き付けられた小石の衝撃が生み出した巨大な水柱は、なんと洞窟の天井部にまで達した。その太さは地底湖の外周とほぼ変わりない。しかも小石が纏った炎の熱量が水蒸気爆発を起こして濃霧を生み出してしまう。
続いて見上げるほど巨大な水柱が、巨大な津波に変わってソルレオンたちの方へ襲いかかる。
「ぬおおおおおおお! いかんいかんいかんんんんんんん!」
慌てて逃げ出すソルレオンだが、彼の場合は自業自得だ。
せまい洞窟内では逃げ切れない。あっさりと波にさらわれて地底湖に引きずり込まれていった。
「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――――――――」
水柱や津波が落ち着いて静寂が戻ってきた。
洞窟内はたまに水滴が落ちる音だけが響いている。
「――――っぶはあ! げっほげっほ……!」
そしてまたうるさくなる。洞窟内は特に反響するのでなおさらだ。
ソルレオンは人魚に抱きかかえられて地底湖から上がってきた。実は定期船から落ちた時もこのようにして人魚に助けられたのだ。
「はあ……はあ…………おのれ……一回もっ、跳ねなかったのだっ」
地底湖から出てすぐの場所に大の字で寝転ぶソルレオン。水への恐怖感はいくらか和らいでいる。それは今のように溺れても助けてくれる人魚がいるからだ。
「すまぬな、マーちゃん。また助けられたのだ」
人魚こと『マーちゃん』は明るい笑顔で二本の指を立てた。ちなみにこれはピースやVサインではなく、「わたしは二回も跳ねたよ!」という意味だ。
マーちゃんの尾びれがぱちゃぱちゃと水面を叩く。実に無邪気で楽しそうだ。
「やれやれ。さすがに命の恩人にはかなわぬな、フハハ」
水切り勝負はソルレオンの完敗だった。
だが人魚のマーちゃんと仲良くなれたのは僥倖であった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ソルレオンが人魚のマーちゃんと楽しくおしゃべりしていた(とはいえマーちゃんはしゃべれないので口パクと身振り手振りだが)、その時だ。
『――――おい貴様、【人魚姫】から離れろ』
深海から響いてくるような深い魔力声が聞こえた。
二人が振り向くと、地底湖の水面がいくつも盛り上がってきた。
何本も立ち上がった水柱を纏って出現してきたのは六本の白い触手だ。長く太いその触手は天井にまで届き、やがて洞窟の壁にへばりついて本体を地底湖から引きずり上げる。ソルレオンたちの傍の浜辺にも二本の触手を伸ばして固定した。
今度のは触手の時とは比べ物にならないほど巨大な盛り上がりだ。ソルレオンが水切りの時に起こした水柱と同じくらいかもしれない。
そしてようやく声の主が正体を現した。
それは【クラーケン】だ。
同種族の平均的な体格よりもさらに大きい、『超弩級』というべき破格の大きさだった。
ただ単純に巨大なだけであるが、ただそれだけで強い。『巨大』ということは腕力もあるし、体力も豊富にあるということだ。真正面からの力比べでは滅多なことでは負けはしない。
そもそも全身が強力な筋肉で構成されているようなもので、その最たる武器である十本の『触手』で締め付けるだけで勝負が決まる。威力も重量もケタ違いなため、普通の戦士など一度触手を叩き付けられるだけで戦闘不能になる。
さらに防御力も高い。白く艶のある外皮はブヨブヨと弾力がありヌメヌメと滑りやすく、打撃にも斬撃にも強い。しかも多少の傷ならば戦闘中に再生してしまう。
意外なことに電撃にも強い。この怪物は発電器官を体内に持っているため、多くの水棲魔獣の弱点である雷属性を克服しているのだ。
攻守ともに隙がない、まさに「海の怪物」の代名詞のような存在である。
ゆっくりとした動作でソルレオンたちの方へ頭部を近付けてくる。ソルレオンも十分に巨漢だがしょせん人間サイズ、クラーケンはその頭部だけでも山のように大きい。
白い壁が迫ってくるような圧倒的な存在が、近付きながら話しかけてくる。
『俺様は【魔海王の第一の家来 クラーケン】だ。
今すぐに人魚姫から離れれば生かしたまま帰してやろう。さっさと失せろ、チビ』
「……貴様、この我に喧嘩を売っているのか?」
ソルレオンのこめかみに青筋が浮かぶ。彼は比較的温和でやさしい方だが、礼儀のなってないやつは嫌いだった。だが殺したくなるほど大嫌いというほどではなく、直々に拳で教育したくなる程度の嫌悪である。
圧倒的に体格差がある相手を前にしても、ソルレオンは一歩も引かない。
険悪な空気を察してマーちゃんが止めに入る。しゃべれないのでその身を盾にして二人が手出しできないように邪魔をする形だ。さらに必死に口をパクパクさせてなにかを訴える。
『……えっ? なんですかい、姫?
……いやいや、それでもこの【奇岩城】に連れてきたのはマズいですよ。
……牢屋に入れてもこのザマじゃないですかい。あんな水面を大爆発させるようなイカレた力を持ってたんですから、もっと警戒してもいいくらいですぜ』
マーちゃんの口パクは海の眷属たちには通じるらしい。
彼女が必死に説得してくれているので、ソルレオンはしばらく静観することにした。
それにしてもどうせならクラーケンも口パクすればいいのに、魔力声をそのまま垂れ流しにしているので内緒話になっていない。どうやらこの場所は【奇岩城】というらしい。
『……たしかにこいつは「人間モドキ」ですけど、俺様たちの味方じゃあない。
……いやいや、その考えは甘いですよっ! 俺様たちとこいつは同じ魔族、同じ魔獣なんてことはぜったいにない。陸と海は違う。仲間なんかじゃあないっ!』
「おい貴様、今なんと言った?」
『ああ? なんだよ、急に』
聞き捨てならないセリフに、ソルレオンは反射的に問いかけてしまった。
「――――『人間モドキ』と、そう言ったな」
――――『人間モドキ』。
それは【魔人】の蔑称である。
ソルレオンから発せられるただならぬ雰囲気にマーちゃんもクラーケンも息を飲む。青筋を立てていた先程よりも格段に深く、昏く、なによりも恐ろしい。
そのソルレオンがゆっくりと腕を持ち上げる。
なにげない動作にもかかわらず、クラーケンは恐怖で身動き一つ取れなかった。
ぴたりと、ソルレオンの腕が止まる。
その腕は誰も傷付けることなく、彼自身の顔や体のあちこちを触れて回るだけだった。
その顔色が蒼白なのは、冷たい水に浸かっていたからではなかった。
その肉体の内側から力がみなぎってくるのは、偶然などではなかった。
せめてその腕に纏った黒炎を使いこなした時に気付くべきだった。
「――――もしや我って今、【魔人】の姿に戻ってる?」
ソルレオンはそこでようやく現在の自分が【格闘家ソル】ではなく、【闇と炎の魔人王ソルレオン】であることに気付いた。




