勇者たちと不思議の海とフラグの山
「エレンよ、物は相談なのだが……船に乗る前にもう少ししっかりと準備をしていってからの方が良いのではないか? ほら色々と、心の準備とか」
ソルは珍しく真剣な面持ちだ。その視線の先には木造の巨大帆船が停泊している。
エレンも珍しく心底疲れたような溜息をつく。いつも天真爛漫で朗らかな彼女にしては本当に珍しいほど苦々しい顔を見せている。
その隣に佇むセラとミカの両名もさすがに苦笑いを浮かべていた。
「……ソルぅ、もういいかげんにしてよぉ。出航時間ギリギリなんだから、乗り遅れちゃうでしょお!」
「うむっ? いや、だがな、しかし……」
早朝、港に着いてから同じようなやり取りを何度となく繰り返していた。ソルは言葉をいくつも変えながら、けっきょくは「船に乗りたくない」ということが言いたいのだ。
しかし勇者たちの目的地である『海上都市』へ辿り着くためには、この定期船に乗らなくてはならない。少なくとも泳いで渡る選択肢よりもはるかに現実的だ。そもそもソルは泳げない。
「ソルさま、もう観念してくださいまし。それに船というものはそう簡単に沈んだりいたしませんので、ご安心くださいませ」
「いいや、そういう問題では……そうだ! セラの転移魔法で――――」
「――――残念ですが、できませんわ」
一瞬だけ灯った希望の火が即座に消火させられた。
「『転移魔法』は、術者が一度訪れたことのある場所以外には行けません。当てずっぽうで詠唱しても、海の中に放り込まれるのがオチですわ」
たしかに『転移魔法』は便利だが、そこが難点であった。正確な地図があったとしても実際の距離感覚というのは自分の足や自分の目でしか測れないのだ。
魔方陣以外の転移魔法は、原則的に大空の下であればいつでもどこでも使用できる。しかし魔法と呼ぶにはその原理は単純で「投石器のように被術者を目的地まで飛ばす」というものだ。『投げる』のは簡単だが『正確な場所に飛ばす』ことが非常に難しい。少なくとも現在地と目的地との距離が分かっていなければ使い物にならない魔法であった。
セラの冷静な言葉に諭されて絶望しているソルに、今度はミカがやさしく声をかけてくる。
「心配には及びません。たった一日の船旅ですから。そうそう事故など起りようがないはずです。大丈夫、自分は何度もこの定期船に乗っていますが、一度たりとも事故に遭ったことなどないんです」
「――――貴様はなにもわかっていないっ!!」
ソルは乱暴な言葉でそれを全否定する。
ミカは面食らったような顔をするが、すぐに聞く体勢になった。頭ごなしに否定されて少しだけ怒りを感じたようだが、精神力が高いため抑え込むことができたようだ。そもそもなぜソルがこうなったのか、理由が知りたい。
「こ、この船には、ゆ、『勇者』が乗るのだぞっ!!」
「えっ? ボク……?」
興奮しているのかソルの目は血走っている。
突然名指しされた勇者エレンが戸惑いの表情を浮かべる。セラもミカも、誰もがソルが必死に訴えるこの言葉の意図をわかりかねた。
「航海が一日だろうと一カ月だろうと関係などないっ!
勇者を乗せた船は必ずと言っていいほど『海賊』やら『怪物』やら『幽霊船』やら――――とにかく『なにか良くないこと』が起きるのだ! ぜったいにっ!!」
続きの言葉を聞いてみたら、ますますよくわからない。
ソルは両手で顔を覆って「うずまきとかにげらんないから」とか「おおあらしだけはかんべんください」などとぶつぶつと呟いたり呻いたりしている。
「えっとぉ、つまり『ボク』は船に乗らない方がいいってこと?」
「いやいや『勇者』であるエレンが乗船していなくては、それらの問題を解決できないではないか」
「――って、どっちなのさぁ!?」
ソルがなにを言っているのかはまったく不明のままだ。
仕方ないので彼と付き合いが長いセラが申し訳なさそうに説明する。
「……ソルさまは時々このような、どこで知ったかわからないような『勇者』に関しての情報をお持ちなようでして……その……ごめんなさい」
「うん。それはなんとなく、知ってたかも」
「ははは、本当に面白い方ですね」
セラの顔色はもう真っ赤だ。身内の恥を見られてしまったような、そんな顔をしている。
「――――ソルさまっ! もうっ! わがままばかり言ってはダメですから! 行きますよ!」
「ちょ、セラっ。まだ心の準備が……」
そんな細腕のどこに大男を引きずって歩くだけの力が隠されていたのだろう。小柄な魔術師セラが、格闘家ソルを船の甲板に引っ張り込んでいった。
実に不思議な光景で、海の男たちが目を丸くしながら道を開ける。
「最初からああすればよかったねぇ」
「はい、そうでしたね」
それを遠巻きに見ながら、エレンたちも船に乗り込んだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
怯えるソルを安心させるために、船員たちになにか話を聞いて回ろうということになった。
たった一日とはいえ、狭い船室にずっと閉じこもっていては気が滅入る。ましてや波に揺られている状況だ。精神的に相当参っているソルには少しでも気分転換が必要だった。
「なんだ出航前に騒いでた兄ちゃんじゃねーか! ガハハッ、安心しな!
ウチらの航海術の腕前は一級品だ。しかも以前に遭った海戦では敵の弾を一発をくらわずに制圧して『不沈艦』なんて呼ばれたりもしたんだ!」
豪快に自慢話をする海の男の顔は明るい。経験に基づいた自信と、危機を回避してきた自負が彼らの存在を大きく見せていた。
この辺りの船は持ち回りで定期船、渡し船をやっているらしく、今勇者たちが乗船している船も戦艦と貨物船を兼任しているそうだ。
「今回は大砲のほとんどを降ろしてきちまったんだが、その代わり船速は速い。この周辺海域に海賊は少ない上に、遭遇してもばっちり逃げられるって寸法だ。
残る脅威は『海魔』どもってわけだが……こっちも近年はずいぶんと大人しいモンだぜ。ここらは奴らの縄張りに近いんだが、新しい【魔海王】が君臨してからというもの、その姿を発見することさえ珍しくなってやがるんだ」
海の男は気軽に話す。安全な航海はむしろ望むところだ。
「ガハハッ、それに俺にはこれがあるからな」
そう言って見せつけてきたのは小さな木彫りのお守りだ。この海の男が付き合っている彼女が自分の手で作ってくれたものらしい。
「今回の航海が終わったら俺、その娘と結婚するんだ……」
ぜったいに帰る理由がある海の男は、エレンたちもほかの乗客もついでに無事送り届けてやると、そうおどけて笑いながら去っていった。
実はこれで四人目だ。ほかにも同じように「帰ったら意中のあの子に求婚する」「故郷に帰って両親と仲直りする」「生まれたばかりの息子にお土産を買って帰る」などと言った決意を勇者一行に話す船員たちがいた。
エレンたちは「おめでたい」「がんばって」以外の感想はなかったが、ソルだけは話を聞けば聞くほど顔を真っ青にさせていった。
「ほらぁ、なんだかみんないつもより気合いが入っているみたいだし問題ないよ。事故なんか起こりっこないって!」
「――――っ」
ソルは今にも白目をむいて泡を吹きそうな表情だ。絶望に身を震るわせ怯えている。
「ふぉっふぉっふぉっ。ご機嫌はいかがですかな、みなさん?」
穏やかな笑いとともに勇者たちに近付いてきたのはこの定期船の船長だ。問題なく航路を進んでいるため、甲板に出ている乗客の様子を見にきたのだろう。立派なひげを蓄え、一目でわかる豪華な帽子を自慢げに被っている。
ソルの異常な様子と、エレンたちから彼の抱いている不安感を聞いて、船長は穏やかな顔で答えた。
「……海を怖がるのは当然ですな。長年船の上にいるが、この儂でも時折怖くなる。
しかしその海の恐怖を知っているからこそ、我々は今まで事故もなく航海を続けられてきたのですじゃ。それに恐怖心は抱いても、恐れずに立ち向かわねば船は動いてはくれません」
その言葉は含蓄があって説得力があった。さすが船長のお言葉ともいえる。
船長は再び相貌を崩してソルに笑いかける。
「きっとこの航海も無事に行きますとも! 儂も『海上都市』でかわいい孫たちが待っておりますからな、ふぉっふぉっふぉっ。
まあ、船を沈没させるという『人魚』や『幽霊船』にでも出くわさない限りなにも問題はないでしょう――――――ん? 少し霧が出てきたようじゃな?」
いつのまにか天候が変わって、船上の空気が変化した。慌ただしくなったような、どこかピリピリしたものだ。ちょうど船長が不在だったことも影響したのだろう。
船長はエレンたちを落ち着かせるように明るい声を出す。
「なにかあったようですな。ふぉっふぉっ、なあに心配はいりませんよ。
――――おい、見てこいカルロ!」
ついでに近くにいた若い船員を走らせる。てきぱきと指示を出す姿は貫禄があった。
乗客たちも勘付いたのか、甲板にいた人たちはみな船室に移動を始めていた。エレンたちも船員の邪魔にならないように移動しようとするが、いつの間にかソルの姿が消えていた。
「ちょっ、ソルーっ!」
「ソルさまがいないっ? なんで? どうして?」
「あ、あそこにいますよ!」
ソルは船の縁で身を乗り出すようにしていた。苦しげに呻く声の合間には、腹の中のモノを吐き出す音が漏れ出す。完全に船酔いをしている。
早くソルを回収して船室に戻ろうとした矢先――――
「サーペントだーーーーーーっ!! クラーケンもいるぞーーーーーーっ!!」
見張りの船員の絶叫が響き渡った。
「早く舵を切れーーーーーーっ!! ぶつかるぞーーーーーーっっっ!!」
重い激突音と凄まじい衝撃。
巨大な帆船がひっくり返りそうなほどの揺れに、勇者たちは立ち上がることすらできなかった。
そして――――
「――――あっ」
ソルが、海に、落ちた。




