勇者たちと丘の上と港町
集落から半日、修験者の洞窟で一日、そこからさらに二日ほど進んで丘を越える。早く目的地へ辿り着きたい一心で、みな黙々と強行軍を続けていた。
全員が旅慣れているので疲労は最小限に抑えていたつもりだ。だがいくら旅慣れて気を使っていても疲労は少しずつ蓄積してしまう。
丘陵のゆるりとした上り坂が視界を遮り、ごつごつとした岩肌が足元を覆うようになってからは転ばないようにと気遣った結果、視線が下へ下へと俯くようになっていった。徐々に視線が下がっていくと、不思議と気分も一緒に下に沈んでしまう。
やがて勇者一行からは会話が絶えてなくなってしまった。
「………………ふぅ」
勇者エレンは短く嘆息して仲間たちを見回した。
先頭を歩く聖職者ミカの歩調は乱れずにしっかりとした足取りだ。たまに地図を確認する時に周囲を見回すので汗が流れる横顔が見えるが、その表情は道案内を頼まれた責任感に満ちている。彼なら疲れていてもぜったい面に出さないだろう。
エレンの真後ろには魔術師セラがいる。彼女は若干心配だ。そもそも体力系の職業でない上にもともと体力が低いようなので、真っ先にへばるのは仕方がないのかもしれない。しかし彼女にも不屈の精神が宿っているらしく弱音を吐いたことは一度もない。へろへろになりながらも杖を突いて必死に足を動かしていた。
最後尾を歩いているのは格闘家ソルだ。彼にしては珍しく顔色がすぐれない。今まで一緒に旅をしていたのでソルの体力が底なしということはもう判明している。現に今も一人で大荷物を引き受けてくれているのにもかかわらず悠然と歩み続けている。ならばいったいなにが彼の気分を沈ませているのだろうか。
ソルの様子が気になりだしたエレンは、彼に話しかけようとする。
しかしちょうどその時、先頭を歩いていたミカが声を上げた。
「エレンどの! みなさん! ようやく見えてきました」
振り返ったミカが丘陵の天辺から三人を呼んだ。手を振る彼の元へエレンたちが歩み寄る。ふと強い潮の香りが鼻腔をくすぐった。
そこで勇者たちを出迎えたのは、目を奪われ息もできないくらい美しい絶景だった。
茜色に染まる大海原だ。
上り坂で遮られていた視界が一気に開放され、丘陵の頂上から見下ろすと世界の果てなど存在しないように感じる広大な景色があった。そのずっとずっと先では空と海との境界線が溶け合って、赤く染まった世界がどこまでも続いている。
水平線のむこう側に沈もうとしている太陽は天空を仰いでいる時よりも赤く赤く燃え盛り、巨大な火の玉のようになったカタチを平べったくしながら、上空から覆い被さってくる夜の帳に天空を明け渡そうとしている。
視界いっぱいに広がるのは上空だけでなく、陽光を反射してきらきらと赤く輝く海面もだった。太陽が沈んでも溢れないほど広くて深いのだろう。初めて見た『海』というものはすべてを抱擁してしまうほど大きいものなのだと感じた。
エレンは感動を口にするのも忘れて、その絶景を眺めていた。
すると後ろからようやく追いついたセラが語りかけてきた。
「久しぶりに見ましたが、やはり海はとても広大なのですね。目の前に映るこの景色でさえ、海のほんの一部にしか過ぎないと聞いたことがあります」
「見えてるところだけでもこんなにおっきいのにっ!? まだ『ほんの一部』なの!?」
「ええ。ここからずっと奥に見える水平線の場所まで行っても、そのさらに奥にも別の水平線があるらしいのです。どなたかが『海は大きな水たまり』などとおっしゃってましたが、とんでもないっ。湖などと
も比べ物にならないほど広大だと伝えられています」
エレンが想像していた『海』がまさに「大きな水たまり」だった。てっきり湖よりもちょっと大きい程度だと思っていたのだが、そのスケールはまるでケタ違いだったらしい。
「――――でっっっっっっっっっっかいねぇ!」
そんな単純な言葉しか出てこない。
どれだけ表現を尽して感想を述べようとしても、けっきょく最後は単純明快な言葉が一番しっくりくる。これでも十分に伝わったようだ。
セラも同じ感想だった。頷くとエレンと並んで大海原の景観をゆっくりと楽しむ。
「自分もこの景色が好きだから、みなさんに気に入ってもらえてよかった……ではそろそろ行きましょう。このまま浜辺沿いに進んでいくと港町があります。完全に夕日が沈む前には到着できるはずです」
ミカが誘導して海側の斜面を下りていく。上り坂よりも岩でごつごつとした急斜面なので道を選びながらゆっくりと下りていった。
エレンたちも慎重にその後を追うが、すでに悪路には慣れている。セラに至ってはうまい具合に杖を持っているため転ぶ心配は、おそらくない。
絶景に心を洗われた勇者たちの足取りは途端に軽快になった。港町が近いと聞いて機嫌はもっと良くなっている。
和やかに談笑できるまで気分を好転させた勇者一行は再び歩き出した。
しかし目の前の美しい絶景に意識が向いたためか、一番後ろの人物の様子がどんどん悪化していったことに気付くことができなかった。
勇者たち四人の中で唯一ソルだけが暗い表情をしていたことに、ほかの三人は気付くことができなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ミカの予想どおり夜になる前に港町に到着した。しかし夜は船が出ていないため、そのまま一晩宿を借りて朝を待つ。
この港町は『海上都市』へ渡航できる数少ない場所だ。
大型帆船が停泊できるほど立派に整備された港を備えているが、一方で町の規模は村落に毛が生えた程度だ。人手や物品のほとんどはこの場所を中継するだけで海上都市へ集まるからだ。住宅街よりも倉庫街の方が発展しているくらいだ。
明朝になり、勇者一行もまた『海上都市』に向かうべく港へと足を運ぶ。
港区画は朝早くから荷運びや乗船客があちらこちらへと行き交っている。慌ただしく作業する下っ端や怒鳴り散らす親方、優雅に乗船する人々を案内する船長や添乗員、その乗船客に至っては人種も様々だ。
停泊している船は大小合わせて十隻。巨大な貨物船と個人所有の漁船のちょうど中間ぐらいの大きさの船が『海上都市』へ向かう定期船だ。おおよそ百人は乗船できる。
初めて海や帆船を見たエレンは物珍しそうにあちこち見物している。その表情は実に楽しそうで、新鮮な驚きに彩られた奇声を上げているほどだ。
「――――じゃあねぇ、ミーくん。あれはあれは? あの高いのはなんなの?」
「あれは『灯台』と言ってですね、夜間でも船が港へ辿り着けるようにするための大きな篝火です。目印代わりの巨大な松明といってもいいかもしれません」
「へえーすごいねぇ! それじゃあね。あっちに見える――――」
途切れることなく投げかけられるエレンの質問に、この辺りに詳しいミカが次々と答えていく。ミカも純粋なエレンの反応が面白いらしく、延々と疑問質問が繰り返されても不快ではないらしい。
その後方ではソルとセラが並んで歩いている。セラもまた知識はあるが実物を見たのは久しぶりだ。静かにじっくり観察するように大型帆船を眺めていた。
だがセラはすぐに隣を歩くソルの様子に気付いて声をかける。
「ソルさま、どうなされたのですか?」
「ああ…………うむ……」
「昨晩からご様子がおかしいとは思っておりましたが、なにかあったのでしょうか? 体調がすぐれないのであれば、このわたしになんなりとお申し付けください。すぐに魔法で治してみせますわ」
「うむ……いや、そうではないのだ……」
ソルは実に歯切れ悪く答えた。
その顔色は蒼白で一目で体調不良だとわかる。細かく震えていて今にも吐き出しそうなくらいふらふらだ。冷や汗がだらだらと流れている。しかし病気の類ではないらしい。
眉間にしわを寄せて憎々しげに船や海を見ては大きなため息を吐く。感動しているほかの三人とはまったく別なものを見ているのではないかと思うほど反応が違っている。
「…………なあ、セラよ」
弱々しくか細い声でソルが言う。
まったくらしくない声音に驚きつつもセラは彼の言葉を待った。いったいソルはどうしてしまったのだろう。まったく彼らしくもない。
「その……我らは、どうしても…………『船』に、乗らなければならぬのか……?」
「……はい?」
セラは思わず聞き返してしまう。
「だから……我らは、どうしても『船』に乗って『海』を渡らねばならぬのかと聞いておるのだ」
「ええと、そうでございますね。あの定期船に乗らなければ次の目的地に辿り着けませんので、乗船しなければなりません」
「………………そう、であるか……」
聞きたくなかったとばかりに辛そうな顔をさらに悲しく歪めるソル。
セラはそこでようやく気が付いた。だがなんと言っていいのか、なぐさめる言葉が出てこない。
「………………そうであるか。『遺書』とか書いておいた方が良いのだろうか……なあ、セラよ……」
「そ、ソルさま。別にそこまでしなくとも――――」
もうソルの耳にはなにも届かない。彼は今、悲壮感と絶望の渦中にある。
「泳げない」「海に落ちたら死ぬ」「惨めにも溺れて死ぬ」「確実に、死ぬ」。そんなことが頭をよぎって震えが止まらないのだ。なによりもそれらの死に様は格好悪い。
魔王ソルレオンは、泳げない。
それゆえにか魔王ソルレオンは『船』も『海』も大嫌いだった。




