魔王と勇者と魔王との交渉
食事の風景が流れ、満月が夜空の頂点に達する頃に魔獣王クアールが口を開いた。
『さてお前たちはいったいニャにをするため、吾輩のところへやってきたのニャ?』
今回の謁見の核心だ。
玉座としている世界樹の根の指定席に戻ったクアールは食欲を満たして機嫌が良い。だが決して完全に心を許しているわけではなく、目の前の客人に鋭い視線を向けた。
並んで丸太に座っている二人の客人は対照的だ。
金の長髪を持つ少女エレンは突然変貌した雰囲気に動揺したのか、先程までの元気にはしゃいでいた姿が嘘のように静かになり黙っている。細い体をカチコチに緊張させ、瞳の奥が不安げに揺れていた。
赤毛の大男のソルはその見事な体躯と同様に堂々とした姿勢を崩さない。悠然とした腕組みも、口の端に浮かぶ不敵な笑みもそのままだ。覇気すら纏っているように見える。
ついさっきまで三人目がいたのだがその珍客は【召喚獣】だったらしく、もう役目は終えたとばかりに帰っていった。その【召喚主】であるソルの正体がますます気になる。
『クアールさま、実は……』
魔獣王の使いであるイヌガミがクアールに説明する。実は【魔人王】と戦った後、エレンが気絶していた時にある程度の事情を聞いていたのだ。ソルの正体ももちろん知っている。
『ニャんだと? それは嘘じゃニャいのか?』
エレンに聞こえないよう、クアールにそれらのことを話す。ソルがエレンに正体を知られたくないとの意向を順守してのことだ。
その会話はエレンたちの耳には「わんわん、にゃごにゃご」としか聞こえなかった。
「か、かわいい……っ!」
エレンはその様子を見て、ただひたすら悶えていた。
一方でソルの正体を知ったクアールの表情は険しくなった。明らかに警戒している。
『殺し合いがしたいのなら相手にニャってやるが……それが目的とはとても思えないニャあ』
クアールが薄い緑色の目を細めた。長い尻尾と左右の触手をゆらゆらと揺らしながら少し思案するが、やはり目の前の者たちがなにを考えているのかわからなかった。
その答えはすぐにソルの口から語られた。
「なにをしに来たか、だと? それはもちろん貴様に挨拶をしに来たのである」
ソルははっきりとそう言った。
「…………え? あい、さつ?」
『挨拶、かニャ?』
『挨拶か、なるほど』
「そうである。挨拶である」
その言葉の意味を二体の魔獣はすぐ理解したらしい。
「ちょっと待ってよ! ただ『挨拶しに来た』ってどういうことなの?」
わかっていないのは人間の勇者であるエレンだけだった。説明を求めてソルの顔をじっと見つめる。
「うむ。そこの縄張りの支配者である【魔王】に挨拶をするのは当然の礼儀であろう」
「縄張り? そこの支配者が、魔王?」
人間たちが知らない魔族の常識だ。
本来【魔王】というのは、人間たちの【王】とはまったく違うものである。それこそ『その縄張りの中で一番強い魔族』といった『強さ』に対しての称号にすぎない。その縄張りに棲んでいるすべての魔族魔獣どもを統べているわけではない。
魔族たちが語る「魔王」とは「めちゃくちゃ強い魔族」という意味でしかない。そこには恐怖も敬意も存在するが、人間たちの語る【魔人王】のことを指す存在とはまったく異なっている。
「つまり魔王はほかにもたくさんいるってこと?」
「うむ。ほかにもたくさんいるはずである。噂だけで会ったことはないがな」
世界は広い。大陸最大の領地を支配している【魔人王】だが、そんな彼の国も世界と比べればまだまだちっぽけなものだ。彼の行ったことのない地にはきっと知らない魔王たちがそこを支配していることだろう。ひょっとすると『異世界』にも魔王たちは存在しているのかもしれない。
「だが一口に【魔王】といってもピンキリである。フハハハハ」
『そうだニャ。魔王といっても色々いるニャ。吾輩はめちゃくちゃ強いがニャ。ニャハハハハハ』
「そんな……あの魔王みたいなのが……たくさん…………」
勇者エレンの顔は真っ青だ。絶望の色とはおそらくこういう色合いなのだろう。「どうして人間であるはずのソルがそんなことを知っているのか」ということを疑問に思う余裕すらないようだ。
愕然とする彼女をよそにソルたちは逸れた話を戻す。
『それで、なんのための挨拶なのかニャ?』
「うむ。それはだな、この魔獣の森を使わせてもらいたいのである」
理由はエレンを鍛えるためだ。ソルが修行の場として選んだのが、この魔獣の森というわけである。
「不用意に魔獣王の眷属たちと戦闘しないためにも、こうして顔を合わせて挨拶しておいた方がよいと思ったのである」
『ほほう、それで?』
「こちらに敵対の意志はないのである。機械人形とイヌガミは力尽くで突破させてもらったが、これ以上魔獣王の陣営と矛を構える気はまったくない」
『ニャるほど』
「それと修行するため魔獣の森にしばらく滞在する予定である。どこかを我らの休息地として使わせてもらいたい」
ソルはいったん話を区切った。クアールの様子をうかがうが、彼は退屈そうにあくびをするだけだ。ちゃんと聞いているかさえあやしい。
「……どうであろう? 了承してもらいたいのだが」
『ひとつ、聞きたいニャ』
「なんであるか?」
「ニャんでわざわざ吾輩の森で修業をするんだニャ?」
クアールは観察するようにソルを見る。「修行したいだけ」という言葉を信じきれない。
わざわざ魔獣王の支配する地に訪れたのだから、なにか裏があると勘ぐっての質問だ。答えによっては即座に襲いかかる気であった。
それを知ってか知らずか、ソルは単純明快に答えた。
「それは修行といったらもちろん『山』か『森』に決まっているからであるな」
『…………ニャ?』
「だから、山が近くにないからこの魔獣の森を選んだのである」
あまりに真っ直ぐな答えであった。
『――――ニャハハハハハハハハハハッ!!』
だが魔獣王はこの答えをとても気に入ったようである。
『いいだろう! お前たちが吾輩の縄張りで修業することを認めてやるニャ。寝床は……そうだニャ、世界樹の中を使うがいい。場所は余っているからニャ』
クアールは周囲の魔獣たちにむかって、ニャ~ゴと鳴いた。
『眷属にはお前たちが敵じゃニャいことは伝えておいた。つまりお前たちに襲いかかってくるのは吾輩の眷属ではニャいから、遠慮ニャくぶっ殺すがいい」
肉食獣らしい凶暴な言葉をつけ加える。
『図体がでかいだけで生意気なやつらもいるからニャ。ついでにそいつらもぶっ殺しておくニャ』
魔獣王クアール。ネコに間違われるほど小さくてかわいい黒豹の魔獣。「魔王」と呼ばれるほど強くても、彼にだってコンプレックスはあるらしい。
「ああっ、またいつの間にか話が進んでるよぉ!」
ようやく正気に戻ったエレン。なんだか今日の彼女はまともでいる時間の方が短いのかもしれない。
『よかったら私も修行を手伝おうか? なあに、礼なら撫でてくれるだけでかまわない』
魔王の会話を邪魔しないように大人しく控えていたイヌガミも突然そんなことを言い出す。発狂エレンに撫でられ続けたのがクセになってしまったからだ。
イヌガミはお座りの姿勢でエレンを見つめている。なにか楽しいことに期待しているのか、尻尾をぶんぶんと振り回していた。
「あ、ボク、修行するんだ……」
エレンはぽつりと呟く。
気付いてもらえなかったイヌガミはしょんぼりと尻尾を落とす。
『吾輩へのお礼は【ねこまんま】がいいニャ! ……いや、撫でニャくていいから。吾輩は撫でニャくてもいいから』
目を輝かせたエレンを警戒してちょっと距離を置くクアール。助けを求めにイヌガミに近付こうとする。どうやらそれぞれの思いがすれ違う三角関係に発展してしまったようだ。
彼らを眺めるソルは穏やかな気持ちでそれを見守っていた。
「……こんな夜も、悪くないのだ」
夜空を見上げると満月がとてもきれいだった。




