夜
夜も更けて、外はしんと静まり返っている。春の夜風がマンションの窓をかすかに揺らし、遠くの街灯の光がカーテンの隙間から薄く差し込んでいた。
風呂から上がった美玲は、奈々穂に借りた部屋着姿でリビングに戻ってきた。白いパジャマの上着に、裾のゆるいチェックのハーフパンツ。濡れたオレンジ色の髪からは湯上がりのシャンプーの香りがふわりと漂っている。
「あー、さっぱりした! お風呂ありがとうございました!」
美玲はそう言いながら、タオルで髪を拭きつつ、ソファに座る翔太の隣にまたぴったりと腰を下ろした。翔太はちらりと彼女を見たが、その瞬間、洗い立ての肌と少し赤くなった頬に妙にどきりとしてしまい、慌てて視線をテレビに戻した。
「……お前、もう帰るんだろ」
「え? まだ帰らないよ」
美玲がきょとんとした顔で首をかしげる。そこへ台所から奈々穂が顔を出した。
「美玲ちゃん、せっかくだから泊まっていったら? もう遅いし、女の子を一人で帰らせるのは心配だわ」
「えっ、いいんですか!? 泊まりたいです!」
「もちろん。翔太の部屋に布団敷くから、翔太、美玲ちゃんのことちゃんとお願いね」
「はあ!? なんで俺の部屋なんだよ!」
翔太が勢いよく立ち上がる。奈々穂はにこにこと微笑みながら、リビングの物置から客用の布団を取り出し始めた。
「だって我が家には客間がないもの。ママの部屋はちょっと物が多いし、しょうちゃんの部屋が一番広いのよ」
「でも同い年の男女が同じ部屋で寝るのは色々まずいだろ!」
「大丈夫よ。翔太は変なことしない子だもの」
奈々穂はこともなげに言う。美玲も隣でうんうんと頷いている。
「そうだよ、翔太はそういうことしないでしょ」
「お前が言うな……!」
翔太は頭を抱えたが奈々穂の決定は揺るがず、結局、美玲用の布団が翔太の部屋に敷かれることになった。
夜十一時。部屋の明かりを落とし、翔太はベッドの上で天井を見つめていた。床には布団を敷いた美玲が横になっている。はずだった。
「翔太ー」
暗闇の中、突然ベッドの端がぎしりと軋んだ。
「おい、何してんだ」
「布団だと床が硬くて寒いの。翔太のベッド、広いから半分貸して」
美玲はそう言いながら、ずるずると翔太のベッドの中に入り込んでくる。彼女の体温と、シャンプーと、ほんの少し混じる女の子特有の甘い匂いが、暗闇の中で翔太の五感を刺激した。
「はあ!? お前、正気か! もう高校生なんだから自重しろ!」
翔太は飛び起きて、ベッドの端に逃げるように身を引いた。心臓が早鐘を打っている。
「俺だって健全な男子なんだし、襲うかもしれないだろ!」
声が少し上擦る。美玲は暗闇の中、少し驚いたように翔太を見上げたが、すぐにふわりと微笑んだ。その笑みは、窓から差し込む月明かりに照らされて、やけに大人びて見えた。
「そんなことしないでしょ。私の知ってる翔太は、そんな酷いことする子じゃないよ」
その言葉に、翔太は言葉に詰まった。反論できない。確かに自分はそういう男だ。彼女の信頼を裏切るような真似をできるはずがない。だけど、だからといってこの状況はあまりにも無防備すぎる。
「……お前、俺のこと信じすぎだろ」
翔太はぼそりと呟いて、諦めたように再びベッドに横になった。なるべく壁側に寄って、美玲と距離を取る。美玲は嬉しそうに笑い、布団を掛け直した。
「だって翔太は、小さい頃からずっと私のこと守ってくれたもん」
「……守ったことなんてない」
「あるよ。覚えてないだけで」
美玲の声は柔らかく、眠そうな吐息が混ざり始めている。翔太は天井を見つめたまま、まばたきもせずにいた。隣に誰かがいる。それだけで、こんなにも落ち着かない。
彼女の尻尾がもぞりと動き、翔太の脚に触れる。心臓がまた跳ねる。翔太は唇を噛みしめ、目を閉じた。
「……寝るぞ」
「うん、おやすみ翔太」
美玲はそう言って、小さく寝息を立て始めた。翔太はしばらく身動き一つできず、春の夜の静けさだけが部屋を満たしていくのを感じていた。




