おでんの話題
夜のマンションのリビングは、温かな照明に包まれていた。テレビではどこかの異世界特集が流れているが、音量は小さく絞られている。
夕食を終え、翔太はソファにだらりと座ってスマホをいじっていた。奈々穂はキッチンで食器を片付けながら、鼻歌まじりに洗い物をしている。
「あ、そうだ翔太」
突然思い出したように、奈々穂は手を拭きながらリビングに戻ってきた。手には自分のスマホが握られている。
「美玲ちゃんから写真が来てたわよ」
「……は?」
翔太の顔がわずかに引きつる。奈々穂は嬉しそうにスマホの画面を翔太に向けた。そこには、コンビニのおでんを手に、ピースサインをする美玲の姿。陸上部のジャージ姿のまま、汗で前髪が額に張り付いているが、カメラに向かって満面の笑みを浮かべている。
「『翔太に選んでもらったおでんです』って。ふふ、しょうちゃんが接客したのね」
「……あいつ余計なことを」
翔太はスマホから目を逸らし、天井を仰いだ。奈々穂はくすくすと笑いながら彼の隣に座る。青い尻尾がソファの上で機嫌良さそうに揺れていた。
「大根とこんにゃくを選んであげたんだって? しょうちゃんらしいわ。いつもママが作るおでんの大根を美味しそうに食べてるものね」
「別に、ただ聞かれたから答えただけだ。あいつが勝手に写真なんか送ったんだ」
翔太はぶっきらぼうに言いながらも、耳の先がほんのり赤くなっている。奈々穂はそれを見て、目を細めた。
「美玲ちゃん、しょうちゃんと話せて嬉しかったんだろうなあ。部活の後なのにわざわざ翔太のバイト先に寄ったんでしょ? 可愛いわね」
「可愛くない。ただの食いしん坊だ」
翔太は心の中で小さく呟く。バカ、と。写真まで送るなんて、あいつのそういう無邪気なところが、なぜだか妙にむず痒い。
「ねえ翔太」
奈々穂がスマホをテーブルに置き、少しだけ改まった口調で言った。
「今度の休み、美玲ちゃんをうちに呼んで一緒におでんでも食べない?」
「は?」
翔太は思わず奈々穂の顔をまじまじと見つめた。彼女の青い瞳は穏やかで、しかしどこか楽しげな光を宿している。
「だって、せっかくおでんの話になったんだし。ママ、張り切って作るわよ。大根もこんにゃくもたっぷり入れて。美玲ちゃんも喜ぶと思うの」
「……絶対やだ」
翔太は即答した。顔をそらし、腕を組んでソファの背もたれに沈み込む。
「なんで? 美玲ちゃん、しょうちゃんのこと好きみたいだし、ママも美玲ちゃんとゆっくり話してみたいのよ」
「あいつが来たらうるさいだろ。家の中でもあのテンションで騒がれたら落ち着かない」
「ふふ、でもしょうちゃん、美玲ちゃんが来たらなんだかんだ言ってちゃんと相手するじゃない」
「しない」
「公園で一緒に遊んでた頃からずっとそうよ。しょうちゃんはいつも美玲ちゃんに振り回されてるけど、嫌がってる顔はしてなかったもの」
奈々穂はそっと翔太の頭に手を伸ばし、髪を撫でる。その手つきは、彼がまだ幼かった頃から変わらない、優しいものだ。
「……絶対呼ぶなよ」
翔太は撫でられるままに、小さくそう言った。しかしその声に強い拒絶はなく、むしろ諦めにも似た響きがある。奈々穂はそれに気づきながらも、あえて何も言わず微笑むだけにした。
「はいはい。でももし美玲ちゃんが来たくなったらいつでも歓迎するからね」
「だから呼ぶなって……」
翔太はため息をつき、手にしたスマホの画面を何気なく見る。そこには、まだ美玲からのメッセージが通知として残っていた。
『おでん美味しかった! 今度は奈々穂さんのおでん食べたいなー』
翔太はそれを無視して、画面を伏せた。春の夜風がカーテンをわずかに揺らし、どこかで桜の香りが漂っているような気がした。




