打ち上げパーティ
十月二十六日、土曜日の夕暮れ。
井上家のマンション五〇三号室はかつてないほどの賑わいに包まれていた。リビングのテーブルには所狭しと料理が並んでいる。奈々穂特製の唐揚げにピザにパスタにサラダ、デザートのプリンまで勢揃いだ。窓の外では十月の夕日が沈みかけ紅葉した山々が茜色に染まっている。リビングからは黄金色に輝く銀杏並木が見え、時折吹く秋風に葉がはらはらと舞っていた。
「いただきまーす!」
美鈴が大きな声で手を合わせた。今日は私服だ。オレンジ色の髪に映える白いニットにデニムのショートパンツ。尻尾が嬉しそうにぱたぱたと揺れている。
「いただくわ」
ミギーも上品に箸を取った。白い髪を今日はサイドでまとめ、紺色のワンピースを着ている。純血ドラゴンの気品は私服姿でも隠せなかった。
「遠慮しないで食べてね。たくさん作ったから」
奈々穂はいつものクラシックなメイドドレス姿で微笑んだ。青い髪と青い瞳、立派なドラゴンの角。主婦としての顔とメイドとしての顔が同居した翔太の義母だ。
「いただきます」
翔太はいつも通り素っ気なく言って、さっそく唐揚げに箸を伸ばした。
ミギーが恐る恐るといった様子で唐揚げを一口かじる。サクッという衣の音がして、中からじゅわっと肉汁があふれ出した。白い湯気がふわりと立ち上る。
「……っ!」
ミギーの青い瞳が大きく見開かれた。
「なにこれ……美味しい……!」
「でしょう!」
美鈴がピザを頬張りながら得意げに言った。オレンジ色の尻尾がさらに激しく揺れる。
「奈々穂さんの料理は世界一なんだから!」
「こんなの初めてよ……」
ミギーは唐揚げをじっと見つめそれから奈々穂を見た。その表情には驚きと、そして少しの畏怖が混ざっている。
「これが……あの【破壊龍ガンディラ】が作った料理の味……?」
奈々穂が少しだけ動きを止めた。その青い瞳がわずかに細められる。翔太も箸を止めてミギーを見た。
「……ミギーちゃん、改めて聞くけどそれどこで?」
「私はお父さんから聞いたわ。純血ドラゴンの間では知る人ぞ知る伝説よ。かつて異世界で人間の少年を背に乗せて戦い最強と謳われたドラゴン……」
ミギーは唐揚げをもう一口食べた。サクサクとした食感と、中からあふれる肉汁。衣に使われているスパイスの配合が絶妙だ。
「この前のおにぎりもなんだか美味しかったけど、揚げたての唐揚げは別格ね。私の家の料理長よりずっと美味しいわ」
「あらあら、そんなに褒められると照れちゃうわ」
奈々穂はそう言いながらも、その青い瞳は少しだけ何かを懐かしむような色を帯びていた。頭の大きなドラゴンの角が照明に照らされてつやつやと輝いている。
でもそれ以上に。
翔太の方をちらりと見ると、彼は無表情を装いながらも耳がほんのり赤くなっている。母さんの料理を褒められて口には出さないけど心の中では誰よりも嬉しいのだ。
(しょうちゃん、嬉しそう)
奈々穂は心の中で微笑んだ。義母になって十数年。翔太の感情は表情に出なくてもわかる。今だって表面上はいつも通りクールを装っているけど、箸の進み方が少しだけ早くなっている。
「このピザも美味しいわ。生地から手作りなの?」
「ええ、ドラゴン族でも消化しやすいように特別な小麦粉を使ってるの。美鈴ちゃんからミギーちゃんが甘いもの好きだって聞いたからデザートのプリンもドラゴン族向けの高カロリー配合にしてあるわ」
「プリンまであるの!?」
ミギーが少女らしい無邪気な声を上げた。いつもの高慢な雰囲気はどこへやら、テーブルの上に並んだプリンを目を輝かせて見つめている。純血ドラゴンの気品も美味しいものの前では形無しだ。
「奈々穂さん……私、奈々穂さんの料理を食べるためにここに引っ越してきたいくらいだわ」
「まあ嬉しいこと言ってくれるわね。いつでもいらっしゃい」
「こらミギー、勝手にうちに住もうとするな」
翔太が呆れたように言った。でもその口元はほんの少しだけ緩んでいる。
「翔太は幸せ者ね。こんなに料理の上手なお母さんがいて」
ミギーがしみじみと言うと、美鈴も大きくうなずいた。
「そうだよ翔太! 毎日奈々穂さんの料理が食べられるなんて世界一の幸せ者だよ!」
「……わかってるよ」
翔太は照れ隠しのように唐揚げを口に放り込んだ。奈々穂はそんな翔太の様子を優しい目で見つめている。青い尻尾が嬉しそうにゆらゆらと揺れていた。
リビングの窓からは十月の満月が顔を出している。紅葉した銀杏並木が月明かりに照らされて幻想的に輝き時折吹く秋風が黄金色の葉を舞い上げていた。マンションの部屋の中は暖かく、美味しい料理と笑顔で溢れている。
「あ、それ私の分のプリン!」
「早い者勝ちよ美鈴さん」
「ずるい! 翔太も何か言って!」
「知らん。自分で取り合え」
賑やかな言い合いがリビングに響く。奈々穂は台所で新しいお茶を淹れながら、その光景を微笑ましく見守っていた。
(しょうちゃんに、こんなに素敵な友達ができてよかった)
彼女はそっと目を細める。かつて異世界で「破壊龍ガンディラ」と呼ばれた自分が、今はこうして誰かの母親として平穏な日々を送っている。そのことが何よりも幸せだった。
「奈々穂さんも一緒に食べましょう!」
美鈴が手を振って呼ぶ。オレンジ色の尻尾が嬉しそうに揺れている。
「私の隣、空いてるわよ」
ミギーも椅子を引いて場所を空けた。白い尻尾も機嫌よく揺れている。
「ありがとう。じゃあ私もいただこうかしら」
奈々穂は淹れたてのお茶を持ってテーブルに着いた。四人の席がようやく揃う。
「じゃあ新人戦の打ち上げと美鈴ちゃんとミギーちゃんの友情に乾杯」
「「かんぱーい!」」
四人のグラスが掲げられ、カチンと軽やかな音が響いた。十月の夜は更けていくが井上家のリビングの灯りはまだまだ消えそうになかった。窓の外では紅葉した山々が静かにその光を見守っている。




