仕上げ
十月に入り、街の景色が変わった。通学路の銀杏並木は黄金色に染まり足元には枯葉がカサカサと音を立てる。朝晩は冷え込むようになって、美鈴もマフラーを巻いて登校する日が増えた。学校の校庭から見える山々も紅葉で赤やオレンジに彩られている。
そんな十月最初の金曜日。放課後美鈴と翔太はいつものように異世界ゲートをくぐっていた。でも今日の行き先は、いつもの森林エリアではない。
「ここ、空気が違う……」
ゲートを抜けた美鈴は、思わず身震いした。空気が重い。肌にまとわりつくような湿気とどこか血なまぐさい匂いが混ざっている。あたりは荒涼とした岩場で、枯れ木が不気味にねじ曲がりながら生えていた。空は薄暗く赤みがかった雲が低く垂れ込めている。
「ここは森林エリアより難易度が上のエリアだ」
翔太はいつもの革鎧ではなく、少し厚手の装甲をつけている。腰の短剣も心なしか刃渡りが長いものに変わっていた。
「最後の仕上げだ。ここでお前を完全に仕上げる」
「最後の仕上げ……」
美鈴はごくりと唾を飲み込んだ。九月から続けてきた特訓ももう三週間になる。その間、数えきれないほどの魔物を倒しレベルもかなり上がった。百メートル走のタイムも、自己ベストを大きく更新している。翔太の声援があれば六秒台も夢じゃないところまできていた。
「来るぞ」
翔太の声に、美鈴は身構えた。
地面が揺れる。岩場の向こうから、巨大な影が姿を現した。全身が岩のような灰色の肌で覆われた四足歩行の巨獣。【岩鎧獣】と呼ばれるこのエリアのボスモンスターだ。体長は五メートルを超え、その名の通り皮膚は鎧のように硬い。小さな目がぎょろりと動き獲物を捉えた。
「グオオオオッ!」
岩鎧獣が咆哮を上げる。空気がびりびりと震え、近くの枯れ木がバキバキと折れた。
「美鈴、作戦通りだ!」
「わかってる!」
翔太が先行して飛び出した。短剣を振るい岩鎧獣の注意を引きつける。硬い皮膚に刃は通らないが、狙いはダメージではなくヘイトを取ることだ。
「こっちだ、デカブツ!」
翔太が叫びながら岩鎧獣の周囲を駆け回る。巨獣の爪が地面を抉り、岩が砕ける。その一撃一撃が致命傷になりかねないが翔太は紙一重でかわし続ける。
(翔太が作ってくれたチャンス……絶対に無駄にしない)
美鈴は深く息を吸い込んだ。心臓がドクドクと高鳴る。でも怖くはない。三週間翔太と一緒に戦い続けてきた。その積み重ねが、今の美鈴を支えている。
「いけ! 美鈴!」
翔太の声が岩場に響き渡った。
美鈴は地面を蹴った。岩が砕けるほどの強烈な踏み込み。体が風になる。景色が流れる。自分の足音さえ置き去りにして、美鈴は一直線に岩鎧獣へと突っ込んだ。
「はあああああっ!」
跳んだ。巨獣の背中を駆け上がり、一気に頭部へ。岩鎧獣が気づいて振り向こうとするがもう遅い。美鈴の拳が、巨獣のこめかみに炸裂した。
三週間前とは比べものにならない破壊力。レベルアップを重ね、数多の魔物を倒して培った経験値が美鈴の拳に宿っている。
ドゴンッ!
岩鎧獣の巨体がぐらりと揺れゆっくりと倒れていく。地面が大きく揺れ、砂塵が舞い上がった。巨獣は最後に小さく唸り声をあげるとそのまま動かなくなった。
「はあっ……はあっ……やった……!」
美鈴は肩で息をしながら倒れた巨獣を見下ろした。拳はじんじんと痛むが、それ以上の達成感が全身を満たしている。
「翔太! やったよ!」
振り返ると、翔太が短剣を鞘に収めながら歩いてくるところだった。革鎧は岩の破片で傷だらけで額には汗が光っている。でもその顔には、いつもの無愛想な表情の奥にかすかな笑みが浮かんでいた。
「ああ、やったな」
翔太が拳を差し出す。美鈴もにっこりと笑って、自分の拳をそっと合わせた。
こつん。
小さな音が、静かな岩場に響く。それは三週間前からずっと続けてきた二人だけの勝利の儀式だった。
「これで……私、ミギーに勝てるかな」
「勝てるさ。お前はもう十分強い」
翔太の言葉に、美鈴の胸が熱くなった。尻尾が嬉しそうに揺れる。
岩場の空に、倒した岩鎧獣の魔素がキラキラと昇っていく。薄暗かった雲の切れ間から一筋の光が差し込んだ。まるで、美鈴たちの勝利を祝福するかのように。
「帰ろうか」
「うん」
二人は並んでゲートへの道を歩き出す。十月の異世界の風は冷たかったが、美鈴の心はぽかぽかと温かかった。
ゲートを抜けると、そこはもう夕暮れの現実世界。管理局の窓から差し込む光は茜色で街路樹の紅葉がその光に照らされて燃えるように赤く輝いている。
「翔太、明日も特訓ある?」
「いや、明日は休みだ。明後日が本番だろ」
美鈴は足を止めた。そうだ。十月五日、日曜日。それがミギーとの再戦の日だ。
「緊張する……」
「当たり前だ。でもお前なら大丈夫だ」
翔太はそう言って、美鈴の頭にぽんと手を置いた。
「三週間、よく頑張ったな」
「翔太……」
美鈴の目がうるんでくる。でもそれは悲しみの涙じゃない。翔太が認めてくれた嬉しさと、明日への決意が混ざった涙だった。
「ありがとう、翔太。私、絶対に勝つから」
「おう」
二人の影が、紅葉の歩道に長く伸びている。十月の夕暮れは短くもうすぐ夜が訪れる。でも美鈴の心には、消えない灯がともっていた。




